十月、ジターバグ、この街の跳び方。
渋谷のハンバーガー屋さんでトイレを借りた。
ドアを開けると見たこともない光景が広がっていて、思わず尿意も引っ込む。
「好きな場所のを使ってください」って、ことなのか。それとも、トイレットペーパーを使ったアートのつもりなのだろうか。収納場所のない狭いテナントを逆手にとった「それならば魅せよう」という工夫なのだろうか。
東京は、「分からない」ことが多い。
東京とつけるだけで美味しそうにみえる”東京ナポリタン”がずるい。東京とつけるだけでちょっと高くなっても文句をいわれることのない老舗喫茶のコーヒーがずるい。
今から話すのは、去年の冬の話だ。
あれからもう、1年が経とうとしている。もうすでに今年も秋が来てしまったのだけれど、今年初めてのキンモクセイの香りはまだかいでいないから、気分は「夏の終わり」のままなのだと思う。
◇◇◇
「今日、東京駅の点灯式なんだよね。仕事終わりに行くけど、行く?ユーミンくるんだってさ。じゃあ丸ビル集合ね。」
冬になると様々な場所で行われるライトアップ。各地で点灯式が行われすぎて、そうでなくとも電球が多いこの街の煌めきがさらに強くなるから苦手だった。私が生まれ育った長野県には、そんな厳かな点灯式なんてものは無かったし、それよりもシンシンと降り積もる雪の中の静けさが好きだった。
ごめん、行かない。
今日、映画、観るんだ。
そう言って断ったのは嘘じゃなくて、今日は、本当に観たい映画があった。公開初日に、新宿テアトルで観るのだと決めていた映画だった。
きれいなライトアップは、たまたま通りかかった時に見られれば良かったし、人込みも得意ではなかった。有名人を見るということにも、そこまでの魅力を感じることはなかった。
公開されたのは、今泉力哉監督の「窓辺にて」。
観終わった感想は、誰かと語り合わなくても、一人で心の中で噛みしめていられたらそれで良かった。
上映が終わり、ふわふわと階段を上がると、さっきまで観ていた映画の監督が、無防備な猫背で立っていた。
・・・まぼろし?
時が止まったかと思った瞬間に、私は改めて、「そうか。ここは東京だ。」そう、思った。
行きたい展示や制作発表会や試写会に、「あー、あとで行こっかな。」で行けてしまう。そんな距離で、会いたいと願わなくとも、凄い人達に会えてしまう。有名人に会いに行くのを断って行った映画の帰りに、その映画をつくった映画監督に会って話ができる。何かが、うごめいている。そうか、そうだ、ここは東京だ。改めて、そう、思った。
「ありがとうございました~。」
監督から直接お礼を言われて、少し硬直したけれど、柔らかい声で、「サインとか、します?」と、私が腕の中に抱えていたパンフレットを指さしてくれたから、「あ、はい、お願いします。」と、言葉を返した。
「やっぱり、こっちに、お願い出来ますか?」
思い立って、パンフレットの上に、映画の半券を置く。
「あ、今、半券って、あんまり見ないですよね。」
そう言いながら、「こっちにも、書いておきますね。」って、半券にもパンフレットにも、サインをしてくれた。サインをする監督をボーっと眺めながら、「猫みたいな人。」と、心の中で思った。
映画を観た人の心に棲みついて、猫じゃらしにもちゅーるにも釣られないのに、たまにすりすりと近寄ってきては気付いたらもうそこにはいない人。
東京に慣れてきた頃に知ったこと。東京の人は案外、冷たくも、怖くもない。ただ少しだけ寂しがり屋で、ただ少しだけ、確かなものに飢えていた。
♢♢♢
そのまま家に帰るのもなんだか惜しくて、わざわざ家から反対方向にある高円寺の野方屋でモツを食べていたら、隣の席の2人組が、アイドルについて話しを始めた。
「推しに貢いじゃうのはさ、全部、東京のせいなんだよなぁ。東京にさえいなければ、絶対にこんな沢山推しに会いに行ってないでしょ。断言するわ。全部この街の誘惑のせい。もうほんと全部、東京のせい。」
その人は、悔しそうな表情のくせに、どこか嬉しそうに、ビールをガ―ッと流し込んだ。なんか、その思いごと、全部、飲み込んでいるような気がした。
その横でその人の連れは、「そうだよな〜」とか「わかる、わかる」みたいに、当たり障りのない相槌を打ってその話は流れていったけれど、代わりに私の心の中で、最大級の共感の念を送った。
あぁ、今、横の人と、メジャーデビューシングル『全部、東京のせい』なんてタイトルを引っ提げて、全国ツアーが出来そうだ。
東京は、あまりにもいろんなものがそばにある。
凄い人が、そばにいる。
簡単に出会うことができる。
「何者か」になれてしまうような、そんな気がするんだろう。
そういう、不思議な街なんだろうな。
「芸術家になる道は抗いがたい天職だが、人生に犠牲を払うことにもなる。」
ふと、前に観たスピルバーグ監督作品『フェイブルマンズ』で、ボリスおじさんがそう言っていたのを、思い出した。
♢♢♢
帰り道、信号待ちをしていると、タクシーが目の前で止まって、5歳くらいの男の子と、そのお母さんらしき人が降りてきた。
男の子は、繋いだ手をぶんぶん振りながら、辺りを見回している。
私の左隣で信号待ちをしているスーツ姿の男性を指さして、「お父さん?」と、大きな声でそう口にした。左隣の男性は、自分とは思わない様子で真っ直ぐに前を向いたままだ。
「ねぇねぇ、お父さんって、本当にいるのかなぁ!?」
男の子の無邪気な声が、12月の空に響く。
お母さんは何も答えずに、前を向くようにと手を引く。
男の子はそれでも周りをキョロキョロしながら、横断歩道を渡ってすぐのところにあるデニーズを指して、「あー!デニーズ!ねぇ、デニーズ行くって言って〜?」そう甘えた声をあげて、あっけなく話題は変わった。さっき、お父さんいるのかなと聞いたのと、全く変わらない声色だった。
「おうち帰るよ。」
お母さんらしき人は、困った顔をしながらそう言って、男の子の手を引いて右へ曲がっていった。
男の子の代わりに、なんとなく、デニーズに入った。
さっき居酒屋に行ってきたのだから、もう、まっすぐに家に帰ったって良かったのに、なんとなく足が吸い寄せられた。
東京は、この時間になってもまだ、家族連れが多い。
ずっと煙草を吸いながら咳をしていたおばさんが、ずっと泣いている赤ちゃんに向かって舌打ちをして、「うるっさいなぁ」とぼやいていた。
ディストピアだと思った。
斜め前には「ハンバーグ食べたい!」と言って注文ボタンを押す、ブランドもののバッグを持った両親の子ども。「父親とは本当に存在するものなのか」と母親に聞いていたデニーズに行きたいという希望も通らなかったさっきの子ども。何が違って、この街の上で、同じ時間を生きているのだろう。
デニーズの店員さんの制服のスカートは、なぜあんなにも短い設計なのだろう。
コーヒーだけいただいて、お会計に立った。
本当、世界は、いろいろだ。
♢♢♢
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい(ばかばかしい)。重大に扱わなければ危険である。芥川龍之介が文藝春秋に寄稿していた言葉の中のひとつで、私はこの言葉を半ば肝に銘じて生きてきたような気がする。
子は親を選べない。
私は親に、なれるだろうか。
「結婚せなあかん、子供もたなあかん、仕事で成功せなあかん、稼がんとあかん、社会的な肩書を持たなあかん。これ全部、企業側の都合で作り出されたマーケティングの為の同調圧力と偏見や。俺らは常に何かが欠落してるんちゃうかと悩まされてるけど、俺らは俺らであるだけで完全なんやで。」
そんなふうに、あなたのように言いきれる大人に、私はまだ、なれそうにない。
私たちを取り巻く様々な関係は「友達」を経由して変化することがある。
友達から恋人になる関係、友達から親友になる関係、友達から仕事仲間になる関係、友達から悪友になる関係、友達から知り合いに戻る関係。
そして、友達からなんの関係性もなくなってしまうことも、友達から生涯友達のまま関係性が変わらないことも。
友達になってお互いを知って、その先の関係性に変化が生まれたり、生まれなかったりする。そこには時折「さよなら」も含まれる。そして時折「再会」も含まれる。
私たちは友達を超えるとき、時に体力を使う。心を躍らせ、同時にすり減らす。そこには多かれ少なかれ、ちゃんと跳ぶためのロイター板が必要だ。
怒涛の9月が過ぎ去った。
29歳の、半分が終わった。
ここのところ、心が追い付かないのに、そんな私のことなんかお構いなしに、29年間分の人生の伏線が、次々と回収されていく。
辛いとか苦しいとかじゃない。ただ、息つく暇もないままに、目の前の物事や人に、ちゃんと、向き合い続けるしかなかった。とにかくただ、たくさん走った。確証のないもののために、ただひたすらに、走るしかなかった。
それなのにまだ、ロイター板までたどり着くことすらできない。
やけに遠く、長い助走だ。
P.S.
Twitterを、やめました。
Xになる区切りだったのもあって、未練なく終われて良かった。24時間しかない1日の中から、SNS以外の時間を捻出できたことで、なんとランニングなんて始めました。健康か。笑
いつか会えた時に、えらく情弱になったねと笑われないように、社会情勢くらいは追っていようと思います。
文章は、少しずつ、書き続けるつもりです。
ことばは嘘をつかない。ありのままの心情を、具体的なだれかを思って書く。私にはきっとこれこらも、それしかできない。
仲良くしてくれて、ありがとうございました。
meme.
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。