保育園の先生にお礼を伝えると、何倍にもなってうれしいことが返ってきた
それは、過保護じゃなくて親の愛だよ、お母さん。
そう言って、昨年の秋にわたしを励ましてくれた保育園の先生が3月末で辞める知らせが入った。
他にも長男と関わりのあった先生が4人も退職すると聞いて、今回こそはお礼を伝えたいなと思った。
過去には突然園を辞めることを知り、きちんと挨拶できずに去っていった先生が数人いる。ショックすぎる!と思いながらも、次に会えるわけでも連絡手段もないので、少し心残りだった。
だから、息子の忘れ物を届けるとともに、お昼に出向いてお礼を伝えに保育園に行ってみることにした。
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保育園の先生方にはいつも頭があがらない。
日中は我が子の個性と健康面を尊重しながら、社会性を育んでくれている。その間、わたしは仕事に没頭できるわけで、自分に戻れる時間でもある。次男の育休中の間も、次男のお世話に集中できたのでとても助かった。
息子にとっても彼を肯定してくれる先生方の存在はとてつもなく大きいし、日々感謝の気持ちでいっぱいだ。
それなのに、親というのは貪欲なもので、保育園から子どものお迎えの呼び出しがかかると、「よりによって、今日なの?」と、イラッとしてしまう。
朝夕の送り迎えでは、子どもに手を焼いて感情を振り回されているため、先生方への配慮に欠ける時もあったと思うと反省した日もある。
特に今年度は次男が生まれ、赤ちゃん返りとイヤイヤ期まっただ中の長男を根気よく見てくれた。
そして、いつも我が子の良いところだけでなく、わたしたち親までも励ましてくれた。
余裕のないときの、保育士さんからのやさしい声掛けは、泣けるほど響いた。
わたしは基本的に3歳になる長男のことを信頼していない。(我が子を心配する意を込めて)
いつ道路に飛び出すかわからないし、日本語は通じているようで通じていないし、突然予想だにしない行動を取り出すから、徒歩での園の送り迎えの道中は気が気じゃない。
だから、手を繋いで帰るか、息子が走り出したら鬼のような顔をして捕まえられる範囲まで伴走している。
わたしが過保護なのか、信頼していないだけなのかが気になって、ある日先生に聞いてみた。
「3歳児はある程度、目を離しても大丈夫なんでしょうか。帰り道がいつもヒヤヒヤで。わたしが過保護なのか…と言いますか、どこまで理解できているかがよく分からなくて。」
「いえ、3歳児は目も手も離さないでください。まだ、理解できていない年齢なので。」と教えてくれた。
やっぱりまだまだ目が離せない年頃なのか。と思っていた矢先に、冒頭の言葉を伝えられた。
「子育てのことを相談すると、それは過保護だよって周りがいうことがあるかもしれないけれど、そんなものは無視してください。親が思う過保護は、愛情だよお母さん。」
この言葉が瞬時に出る先生は、なんて心豊かな人なんだと思った。そして、過保護の概念がわたしの中で少しいい意味に塗り替えられた。
他にもお礼を伝える度に、どの先生も素敵な言葉を送ってくださった。朝夕はバタバタしていたので、お昼にいったのもじっくりお話ができてよかったなと思う。
先生方は人のいいところを見つける才能に長けている。そして、言葉が巧みだ。
まだまだ未熟なわたしは、先生方の前向きな視点や声掛けに学ぶことが多い。
お礼を伝えに行ったのに、反対に励まされてしまった。とてもありがたいし、また新年度もこの園で先生方と一緒に息子の成長を見守っていきたい。今年の春からは次男もお世話になる。
今年度も本当にありがとうございました。
新年度も新たな気持ちで、息子達と共にわたしも一緒に成長していこうと思う。春からもよろしくお願いします。
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