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smorzando


一般的に、人の一生は動的な産声から始まって、静的な沈黙で終わる。

小さな子供は動き回り、騒いで成長していくし、大人になれば身体能力も高まり、他者へアプローチするためのコミュニケーションスキルや言語能力も身につき、様々な意味でエネルギーが外部に向いていく。

しかし不慮の事故などを除けば、いずれ人は一様に老衰し、エネルギーを失っていく。喋ること、自由に動き回ること、思考すること、そういった基本的な能力が少しずつ抜け落ちていく。


坂本龍一が死んだ。
個人的な話だが、長く続けた仕事を辞め、一人暮らしに戻り、生活が急変している時期の出来事だった。

周りからその話を振られてもあまり話す気分になれず、追悼という名目を纏った大量のツイートを見る気も起きなかったが、ある程度落ち着いてきたので、思い出や、この1ヶ月余りの間に考えたことを書き残しておこうと思う。


中学生の時自分が所属していた吹奏楽部はかなり特殊だった。中学校にして部員は110名以上いたし、顧問の先生がとにかく熱心で、徹底して音楽的な人だった。
男子の割合も比較的高めで、その上所謂"音楽ガチ勢"みたいな人が多かった。顧問の方針で作曲を齧っている部員も何人かいたが、当時としてはそれはかなり珍しいことだったと思う。
2学年上の男子の先輩が弾いていたピアノ曲の美しさに感動し、「これ、なんて曲ですか?」といった感じで話しかけた翌日、プリントした楽譜を渡されたのが、坂本龍一のaquaだった。

キーはGで、それまで一切ピアノの経験が無かった自分にも(これなら弾けるかも)と思わせるシンプルさだった。(後になってわかったこととして、メジャーキーのトニック、しかも基本形のトライアドから始まるなんて非常に坂本龍一らしくない)
それからは毎日毎日楽器の練習もせずにこの曲やデタラメな即興を弾き続ける日々が始まった。部活が終わったあとも全ての部屋が施錠される直前までとにかくピアノに触って、カセットレコーダーで録音し続ける毎日だった。

それから今に至るまで、坂本龍一は自分の人生の通奏低音のような存在だ。
ミニマルミュージックに傾倒した時期も、ノイズミュージックに傾倒した時期も、入り口は違えど、坂本龍一の100歩後ろを歩いていたような気がする。


カールステン・ニコライやフェネスと共作を始めた頃から、坂本龍一の音楽は劇的に"遅く"なっていった。「音が消えていくのを聴くのが好きだから」とよく語っていたが、この感覚は本当によくわかる。交響曲一曲が一つの人生に例えられるように、もっと規模の小さい音楽であろうと、一曲を一つの人生と捉えることができるし、一つのフレーズ、一つの音と細分化していくと、そこには必ず大小様々なADSRがある。

坂本龍一はこのディケイ-サスティン-リリースに非常に敏感な人だった。それは日常生活レベルでの"所作"みたいなものに通ずる感覚だったと思うし、その上品さが好きだった。


坂本龍一が亡くなる前、自分はグールドのゴルトベルク変奏曲をよく聴くようになっていた。55年に録音されたものと、グールドが亡くなる前年の81年に録音されたものがあり、前者は速く動的で瑞々しく、後者は遅く静的で、瞑想的だ。

バッハもグールドも大好きだった坂本龍一は折に触れてこの2つの違いについて語っていたけれど、自分がグールドの晩年の"遅い"ゴルトベルクを聴いている時期に坂本龍一が亡くなったのには何か因縁めいたものを感じた。


前述したように、坂本龍一の演奏もグールド同様遅く瞑想的に変化している。

坂本龍一の場合は身体的な制約の影響も少なくないとは思うけれど、こういった変化の共通点や、冒頭に書いた人間の活動エネルギー的な話を関連付けて色々と考え続けていたら、あることに気づいた。
人は肉体的にも精神的にもある特定のポイントを境に減速し続けていつか停止し、減衰し続けていつか消滅する ということだ。ピアノの一音が永遠に持続しないことと重なり、とても美しいと思う。
それは有機体の特性であり宿命で、out of noise以降の坂本龍一が追い求め続けた音響の思想そのものだ。


癌を患ってからの坂本龍一は、ずっと減速して減衰していた。亡くなったことでADSRは完結したものの、これから先もずっと自分の中にはその美しい残響(リバーブ)が残り続けるし、自分自身も1981年のグールドや2022年の坂本龍一のように枯れた瞑想的な演奏ができるようになりたいと思う。
ただ、まだ減速したり減衰するには早すぎるので、生活を立て直して、まだしばらくは動的で外向的なエネルギーを高めていきたい。他人からしたら「何故そんな結論に」と思われるような話だけれど、自分にとって今回の件は本当にそう考えるきっかけになった。


Gというキーにはシンプルなやさしさと慈愛に満ちた印象がある。坂本龍一が娘のために書いたaquaと同じように、自分も様々な思い出を慈しみ、懐かしみ、大切にしながら前に進みたい という気持ちでピアノ曲を書いた。

この曲のB-C-(D)-D-(B)-D-C-B-Aというラインはコラールでありバッハだ。
B-C-Dに対する内声のG-F#-Eというアプローチは完全にバッハを意識したものの、D-C-B-Aと下るところに関しては、(恐ろしいことに)無自覚にコラールをなぞっていた。
格好つけて言えば、(バッハのコラールをカバーしようとした坂本龍一が、自分の中にいる…!)みたいな、中二病めいた感覚だ。



20歳くらいの頃、「坂本龍一と同じ日に生んでくれてありがとう」と母親に言ったことがある。いつまでたっても坂本龍一はヒーローで、その思想と音はこれからも自分の中で生き続けるし、坂本龍一が目指したものは自分が作っていくぞ という気持ちすらある。

ただの憧れでしかないけれど、自分にとって本当に大切な人が亡くなったことで色々なことを思い出し、考えてしまった。
そういったまとまりの無い考えを、こうして書き残すことが出来て本当によかったです。ご視聴ありがとうございました。「良かったな、役に立ったな〜」と思う方は是非!高評価とチャンネル登録もお願いします。また明日の動画も見てくださいね。

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