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旅情奪回 第26回:常ならぬ世の定宿。

同じ土地や場所への旅が重なると、自然と「定宿」というのができてくる。365日、日本のどこかでビジネスでの出張があるのだから、今日日なら、各地の有名チェーンビジネスホテルは、ある意味で同じ暖簾という点でビジネスマンたちの定宿と言えるのかもしれない。
だが本来定宿というのは、ある定点についてのことを指すのであるから、違う場所の同じ看板を持つ宿に泊まっても、これは厳密には定宿とは呼べないかもしれない。

拗ねる訳ではないが、定宿という言葉がもともとあまり好きではない。宿の側からすれば、毎度利用してくれる客はご贔屓であり、お得意様であり、また重ねて利用されることから、そこにある関係性に特別な情が生まれるのはよく分かる。「この商売をしていてよかった」と思える源であり、これぞやりがいであろう。

一方宿泊客の側から見た場合、あくまで私の周りに、ではあるが、なぜか定宿を持つことを自慢気に話す人がたまたま多かった。そこが自分の指定席であり、宿にとって自分がいかに特別な客かを誇示したいという、どうでも良いことを振り回す大人が目についた。なんにでも唾を付け、すべての勲章と報奨は手を挙げたもの勝ちであると思い込むようなスタンスは、未熟な私にはあまり好きになれなかったのである。
そもそも旅などというものは、常ならぬことの中に真実があるわけだから、定宿を持つことの方が稀である。だからこその自慢だというならば、まぁそれも無理からぬことなのだが。

そういう私でも、定宿と誇るものではないが、なぜか一定間隔で身を預ける宿というものがあったりする。これは、恩師に連れられて25年ほど前に訪れた宿坊で、暑い夏にそこの一室で研究のための缶詰をした思い出のある宿である。
その後も、たびたびここを訪れたが、たまたま個人的に訪れたときに、山道の途中で、下山するこの恩師のゼミ一行と重なったことがあった。
向こうからやってくる恩師は私を見つけ、驚く風でもなく、「あ、●●君」と声をかけてきた。私は驚いて、「あ、先生。お元気ですか」と挨拶を返したが、それこそ恩師にとって定宿だったその宿坊には、自分が紹介したのだから自由に出入りして、という思いがあったのかもしれない。

だから、私がそこへ向かっているということに対して驚くでもなく、もちろん嫌な顔をするでもなく、「そっか、来てたのか」という当たり前の光景を前にしたような感じだったのだ。そして、これまたこの山頂で会ったのが最後となり、その後恩師は急逝された(なぜか私は旅先での偶然の再会が今生の別れとなるパターンが多い)。

そういうことがあったからか、かえってこの宿坊は私にとって離れがたい特別な場所になってしまい、厳かな霊峰の雰囲気もあってか、そこを訪れることが一種の参詣のように感じられたりする。
先日も、弾丸の旅ではあったが、都会の喧騒からしばし逃れるためこの宿坊に泊まってきた。深まる秋を感じるにはまだ早かったが、霧に包まれ複雑につづら折れる小径の陰から、茅葺屋根をくぐってひょっこりと恩師が現れそうな、そんな気配がいまでもするのだ。(了)

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