心に水やりを

1年前の自分と今日の自分をくらべると、少し変化していることがわかる。

これが10年前ともなると、もはや他人なのではないか、と思えるくらいに大きく離れていることがある。変わっているのは身体だけではない。心にも変化が起こっていることに気がつく。

心……という単語が適切かはわからないが、心のようなものは、とにかくコンクリートのように一度できあがったらかたちが変わらないものではないらしい。

自分のもののはずなのに、どうにもとらえるのが難しい。目には見えないし、温度も感じられない。何か感触があるわけでもなければ、音を出すわけでもない。

思っている以上に、心というのはわからないものなのだ。

人間は天然由来の生物である。自然の一部なのだ。そう考えると、心もまた自然の一部ではないのかと思える。

完璧な自然というのはなかなか存在しない(少なくとも私たちの目に映るものに関しては)。むしろ自然らしさを保つために、手入れが入ることは少なくない。ごみを拾ったり、かたちを整えたり、質の調査をしたり、栄養を与えたり。大きな海から小さな鉢植えまで、私たちは手入れをしている。

心にも手入れが必要なんじゃないかと思う時が、ときどきある。鉢植えに生っている植物を剪定したり、水をやるように。そうすることで、本来の自然な心に整う気がする。手入れをさぼってしまうと、あるいは手入れが必要なことに気が付けないと、根が腐ったり虫がついたりしてしまう。

思っている以上に、心というのはわからない。だから、少し気にしすぎなんじゃないかと思うくらい目を向けてあげるくらいが、ちょうどいいのかもしれない。枝が細り葉が黒ずむ頃には、もう根は腐っているのかもしれないのだから。

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