個人の発信が世の中を耕すと思う

りょーこです。

なんでも発信できる今、
昔よりもコミュニティの母数が増えて、世界は広く近くなっていると思う。

それは物理的近くに仲間がいなくても、
遠くにいる近い仲間を見つけられる可能性があるということ。
より有機的に人々が繋がれるようになったということ。


話は少し変わって、
土壌病害ってなんで起きるのか?

栄養や微生物や空気や水が偏った結果、
特定の病気が増えやすくなるからだ。

だから、深耕といって、
深く耕すだけで、病気を緩和できることもある。

そう、定期的に耕さないといけないのだ。

新しい空気、生態系の多様性…
それは、人間にも言えるなーと常々思っている。

偏った見方や思い込みで排他的に生きるよりも、完全に受け入れる必要はないから、自分と違った存在がこの世界にいることを許して、カオスに混じり合えば、みんなハッピーなのになぁ、と思う。


"インフルエンサー"という言葉は
そんなネガティブな印象ではないけれど、
やっぱり独占的だったり支配的なものは悪い宗教のようだなと見ていて思うし、
政治やビジネスにしたって、独裁がうまくいかないということを人間は知っているはずだ。

なのに、他人を攻撃したり排除しようとする人がいる。(別にインフルエンサーがそうであると言いたい訳でなく。)


だから、そんな人たちを気にせずに
個人の発信をしていくことは、
世の中の土壌を耕して、互いに住みやすい世界をつくっていくことになると思うんだよね。

カルチャーcultureが
耕すcultivateからきているように。

それぞれの立場でそれぞれの存在を証明するというか。

たとえ誰からも相手にされなかったとしても笑、その人が発信した情報は必ず存在していて、それがある世界とない世界は必ず違うということ。

いいねがなくても存在しない理由にはならない。
そして存在してはいけない理由などない。


今や、
「我思う、故に我あり」
じゃなくて
「我発す、故に我あり」
とも言えるのかもしれない笑



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