LGBTQへの考え方

 初めてLGBTQの方と関わったのは、私がタレント養成所に通っていた時、高校3年生の17歳。当時はまだそう言った呼び方はなかったが、今でいうトランスジェンダーだ。若さもあったからか、彼にとても興味を持ったのを覚えている。私の体験と、年月を経た今の考えを書いてみる。

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 初めは彼が苦手だった。
当時、養成所内で私のお付き合いしていた子が入っていたコミュニティの中に彼はいた。生まれて初めて接するバリバリの関西人で、思ったことにズバズバと切り込んでくるタイプだ。自分の若さもあったからか、とにかく衝撃だった。「ここが良くないよ」「ここを直した方がいいと思う」「服も髪もダサいよ?」といった具合に距離を詰めてくる。
今考えると彼の優しさだったのだが、当時の私には「え?え??」といったような事が沢山ある出会いだった。
同じクラスでダンスレッスンを受けて、同じイベントに出演したり、一緒にご飯を食べに行くようになって、ようやく彼への信頼や居心地の良さを覚えるようになった。彼は当時24歳で、私の事を可愛い弟のように思っていたのだと思う。沢山服をくれたり、色んな話をしてくれてた。ちなみにその時、彼が紹介してくれた美容師さんは18年たった今でもお世話になっている。

 彼と出会って半年くらい経った頃だろうか。突然、自分の本来の性別は男性ではないことを告げられた。周りの人は知っていたみたいだ。ありがたいことに、彼がどこかのタイミングで、私にも伝えていいと思えるくらい仲良くなったと思ったのであろう。私は、「あ、そうなんですね。全然気が付かなかったです」と言った。本当に気がつかなかったのだ。それくらい彼は男性だったし、それ以上にストイックなエンターテイナーだと感じていた。
というか、それを聞いた時に性別はどちらでもよかった。彼は彼であって、私に何か気を遣って欲しくて伝えた訳ではないだろうし、彼に居心地の良さを覚え始めてたのは事実だからだ。
その後は、他の友達と同様に疎遠になっていったし、私も彼もそれぞれ目標があったからそこに向かって走り出しただけだ。元気にしているといいな。
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彼との出会いが今の私の考えに作用しているかはわからないが、少なくとも私はそういった性自認を持つ人に対してマイナス的な感情は一切無い。というか性自認の持ち方に関してはなんとも思っていない。人であることは変わりないし、沢山傷ついて、自問自答を繰り返し、向き合って、自分の居場所や考えを確立したり、悩み続けている人たちを心から尊敬する。

私はLGBTQと呼ばれる性自認を持つ人に対して過剰な気は使わないし、そうではない人と同じように対等と尊敬の気持ちを持って接している。

なぜこんな長い話をしたかというと、最近話題になっている『ジェンダーレストイレ』や『入浴施設』について「???」な事が多いからだ。

まずは、どっち側の選択肢に偏っても、不快に思ったり我慢を要さなくてはいけない人が出てしまう。という事は仕方がない。

トイレの問題に限らず、LGBTの人やそうでない人も、少数派でもそうでなくても、とにかく今の生きづらい日本にいる以上、お互いの歩み寄りや、理解を示す事が大切なのではないか。

そんな中で、絶対に許してはいけないのはルールを破って犯罪まがいな行動を起こす事。そして嫌だと不快感を示す人の考えを無理やり捻じ曲げるようなことはあってはならないと感じた。

 LGBTQの方の権利はとても大事だが、それによって全ての女性や男性の権利の迫害をされてしまっては元も子もない。
男性と女性の共存ですら難しい世の中で、歩み寄りや、理解の仕方で成り立ってきた部分はあると思う。だからこそ、このセンシティブな問題は誰かの無責任なエゴで決めるのはなく、当事者に寄り添った形で、本当の声を聞いていかなければ先に進んでいかない。

世界はこうだから日本もこうだ!と決めつけるのではなく、柔軟な対応と決断を求めたいし、意見は持っておきたい。

この問題の自分の立ち位置としては、
LGBTQの方々の人権は私たちと平等にあるべきだ。区別も差別もしない。だが、悩んでいる方への寄り添いや歩み寄りはLGBTQ関係なく誰だとしても怠るべきではない。そして、それに甘んじて犯罪やルール違反をする人が出てきたらそれに対する厳罰はするべきだと主張したい。そしてLGBT法案には反対派だ。

女性の権利、男性の権利、LGBTQの権利はそれぞれがしていけば、また一歩先への議論も生まれてくると思うし、それがいいんじゃ無いかとも思いました。

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