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「誰になんて言われるとうれしいですか?」承認欲求を素直に正しくつかう方法

「人からなんて言われる(褒められる)とうれしいですか?」と何人かの友人に質問をしたら、あまりにそれぞれで、その人らしくて、とてもおもしろかった。


ある人は「かっこいい」と言われるのがいちばんうれしいと言い、ある人は「努力してるね」、ある人は「楽しそうだね」、ある人は「かわいいね」、ある人は「頭がいいね」などそれぞれの答えがあった。

誰に褒められるかにもよるし、恋愛面で言われるのと仕事面で言われるのではまったくうれしい言葉がちがうという人もいれば、どんな人に褒められても別にうれしくないという人もいた。

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今の時代はSNSで他人の目標や努力や達成なんかが目に見えるから、つい比較して「自分はできていないな」と思ってしまったり、全方向でがんばっていないと足りないと思ってしまったりする。それはつらい。


SNSは承認欲求を満たす場だと言われることがよくあるけど、今はそれすらむずかしくなっているように思う。一方を満たすと一方が欠けていくような気がするのではないか。

でも、自分が人に褒められてうれしいこと、つまりいちばん評価されたいのがどこかを知ってると、それ以外の評価軸や他人の評価軸に惑わされなくてすむのではないかなと考えた。どうせ承認欲求を満たすなら、全部はムリだから、ただしく自分が満たしたい部分だけを狙うのが健全なのではないかと。

そう考えてみんなに聞いてみたら、評価されたい部分はやはり人によってぜんぜんちがった。そして、それぞれの答えとその人の行動を照らし合わせてみたら、なるほどと思うことがたくさんあった。

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ただし、「こう思われたい」という気持ちに合わせて行動するには危険もある。承認欲求が大きくなって自分の本来のしたいことがわからなくなる、他人の評価軸で動いて承認欲求につぶされてしまうようなことがある。

それは、褒められる対象が「みんな」になっているからだと思う。「みんなにこう思われたい」だと、どれだけ賞賛されても足りないと思ってしまう恐れがあるからだ。

だから、「誰に」褒められたらうれしいのかが大事だと思う。


ちなみに、わたしの場合は「おもしろいね」と言われるのがいちばんうれしいんだけど(笑わせるほうじゃなくて興味深いの方の)、それは世間に評価されたいとかみんなに認められたいというのではなく、過去に尊敬するすきな人が「おもしろい」と言ってくれたことが「あの人がそう言ってくれたから大丈夫だ」とお守りみたいになっているので、わたしにとって「おもしろい」ということが大事なんだなとわかった。

それは「自分の価値はそこにある」と思っている部分だということで、つまりわたしは、容姿や知識や努力の数や所属やステイタスではなく、自分のあたまで考えたことにおもしろい価値があると思っているということだ。


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「あなたの価値はどこにありますか?」と聞かれても謙遜したり自己評価が低かったり照れたりして、きっとすんなり出てこない人が多いと思う。

自分で自分を褒めるとか認めるというのは、とても大事だけど、できない人にとってはとてもむずかしい。自分がなにでよろこぶかを当たり前のように知っていて、他人に言われなくても自家発電ができる人もいるけど、それは少数派だと思う。(そういう人は先の質問にも「別に褒められなくていい」と答えていた。うらやましい)

でも、自分で認めることができなくても、目の前のことをちゃんとやっていたら価値は周りの人がつけてくれるのだと思っている。そしてその評価をちゃんと受け取るのは相手への敬意なので、自分に自信がなくても、相手を尊敬していればその人の言葉を信じることができる。


自分で自分をよろこばせる手段を知って、できるようになるのがいちばんよい。それをどうやってみつけたらいいのかというと、急にはむずかしい。

だからまず「あの人が言ってくれてうれしかったこと」を思い出して、いったん誰かのせいにしてでも自分を調子に乗せるといいと思う。


やりたいことがあるとかないとかについて考えていて、いろんな人に「どうして今の仕事を選んだのですか?」「それが得意だといつ気がついたんですか?」と聞いたとき、かなり多くの人が「たまたまあの人が褒めてくれたから」と答えた。

それは小学校の先生に「上手だね」と褒められたとか、バイト先の先輩に「才能あるんじゃない」と言われたとか、些細な言葉だった。

そんな誰かの言葉をきちんと真に受けて「え、そうかな、才能あるのかも」と調子に乗って、そこをがんばることができる素直さは、とても大事なんだなというのは、いろんな人の話を聞いてわかったことだ。

相手の言葉を素直に真に受けることができるように、素直でいられる人と一緒にいるのが大事だなとも思った。


自分ががんばれていないなと感じるとき、何をがんばればいいのかわからなくなるとき、自分の泉にやる気が自然に湧いてこないなら、しょうがないからいつかの誰かの言葉で潤して、騙し騙しやっていくのもいいと思うよ、という話。

「誰に、なんて言われるとうれしいですか?」ひとりで考えても、周りの人と話してもおもしろいよ。

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