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2022.3.6 ロシアvsウクライナの歴史

先週から今週にかけて、プーチン政権によるウクライナ侵攻でTVなどでのニュースは持ちきりですが…。

そもそもロシアとウクライナの対立は、2014年のクリミア併合が発端。

実は、そのクリミア併合の時点で
「いずれ日本も危ない」
と警告したウクライナ人学者がいました。

一体、その理由とは?
そして、日本に迫る危機とはどういうことなのか?
今回は、この点について書き綴っていこうと思います。

貴方が望んでいる日本の未来はこれなのか?

こんな国がありました。

・国民は平和ボケしている。
・「軍隊はなくてもいい」という論調が強い。
・近年、国益を明らかに損なった売国政権を経験している。
・外国に媚びた弱腰外交を行っている。
・愛国者は「ナショナリスト」「ファシスト」とレッテル貼りされている。

まるで、日本の事を言っているようですが違います。

ウクライナです。

ウクライナは1991年、ソ連から独立した際に、多くの核兵器と巨大な軍隊を引き継ぎましたが、維持費が掛かるのと隣国ロシアから警戒されるという理由で、全ての核兵器を廃棄しの上、軍隊を大幅に削減し、大国の対立に巻き込まれないようNATO(北大西洋条約機構)の集団安全保障体制にも加わりませんでした。

日本の9条教徒なら、
「素晴らしい非武装平和主義政策だ」
と称賛することでしょう。

その結果はどうなったか。

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ウクライナ出身で、今は日本で活躍している国際政治学者のグレンコ・アンドリー氏は、
「こんな政策は素晴らしいと考えている方を是非ウクライナの前線に連れて行きたいです。戦火で燃え尽きた村の廃嘘、ミサイルが落ちている中で学校の地下に隠れている子供、二十歳まで生きられなかった戦没者のお墓を見せて聞きたいです。貴方が望んでいる日本の未来はこれなのか?戦争を言葉によって止められるものなら、その言葉を教えてくださいよ!」
と訴えています。

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ウクライナのクリミア自治州と東部2州では、2014年2月からロシア系住民による反乱を契機に戦闘が広がりました。

これには、ロシア軍が背後で糸を引いていたとされています。

現在までにウクライナ軍1万6000名以上、ロシア系分離主義者とロシア軍7000人以上の死傷者が出ています。

国連総会では、現状を
「ロシアによる占領」
と認めています。

空想的平和主義がどんな悲劇をもたらすか、ウクライナは事実でこれを示しています。

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その事実をアンドリー氏の著書『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』から見てみようと思います。

劇的な『軍縮』

まずは、アンドリー氏の著書から、ウクライナの『軍縮』の実態を見ておきましょう。

<ウクライナが1991年末にソ連から独立した時点で、ウクライナ軍は次のような編成であった。
兵士780万人/戦車6500両/戦闘車両7000両/大砲7200門/軍艦500隻/軍用機1100機、そして1500発以上の戦略核弾頭と176発の大陸間弾道ミサイルという、当時世界第3位の規模の核兵器も保有していた。>

まず、核兵器を放棄するようアメリカとロシアの双方から“脅迫に限りなく近い非常に強い圧力”が掛かりました。

ウクライナの指導者たちはこの要求を全て呑み、
「3年間で全ての核兵器を放棄する」
という約束をしました。

見返りは、
<米英露はウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保障する>
という覚書だけでした。

覚書は国際条約ではなく、それを守る法的義務はありません。

その結果が、ロシアのウクライナ侵略と米英の口先だけのロシア非難でした。

アンドリー氏は、せめて代償として、経済支援か最新の通常兵器提供かを求めるべきだったとしています。

あるいは核廃棄に長年をかけて交渉カードにしていれば、その間はロシアの侵攻を防げたでしょう。

多くの通常兵器は外国に売却されるか国内で解体され、古い航空機などはアジアやアフリカの発展途上国に売れました。

未完成の航空巡洋艦ヴァリャーグは中国が買い、中国は軍事的使用をせず水上カジノにすると約束をしましたが、すぐ反故にして中国最初の空母『遼寧』として完成させました。
そして、今や東シナ海から太平洋へと進出し、日本や台湾に対し緊張感を与える始末です。

ロシアの情報戦で作られた平和ボケ

核兵器廃絶と軍隊の大幅削減という大軍縮が行われた背景には、米露の圧力や財政問題、軍の腐敗などもありましたが、最も大きな原因はウクライナ社会の『平和ボケ』にあったとアンドリー氏は指摘します。

ソ連が崩壊してウクライナが独立した時、人々の間に広まっていた考えは次のようなものでした。

「軍は金が掛かるだけ」
「これからは平和の時代だ。戦争が起こるはずがない」
「そもそも戦う相手がいない」

この平和ボケは、ロシア側の情報戦の結果であったと氏は指摘します。

<ウクライナが独立して以来、ロシアは連綿とウクライナ国内で情報戦を繰り広げていた。テレビ局の約半数や人気の新聞や雑誌の半分以上はロシア寄りの報道、もしくはロシア政府の公式の立場をそのまま流していた。多くのメディアはロシア資本やロシア系の資本で運営されたのだ。>

情報戦にはソフト的な内容も含まれていました。

<ロシア製の映画やテレビドラマが大量にウクライナで放送されていた。それを通して、さりげなくロシア人やロシアでの生活にシンパシーを持たせていた。特に大きな役割を果たしていたのは、ロシア軍や諜報機関、またはロシアの警察を英雄扱いしている作品だった。このような作品を通してロシア国家の威厳が強調され、親露感情が誘導されていたのである。>

さらに、
「ウクライナとロシアは姉妹だ。今のウクライナ政府は家族を裏切って、ウクライナを西洋支配下に置いている」
「争いは良くない。きっと平和的な解決があるはずだ」
などと『平和的』なメッセージが国民心理に刷り込まれていきました。

そして、不幸な事件もありました。

2000年のミサイル発射の演習で1基のミサイルが弾道から外れて、民間マンションを直撃しました。

この事件が、
「軍人が無能で国民を危険に曝すなら、こんな軍はいらない」
「民家に当たるかもしれないミサイルを飛ばすな」
という反軍的世論を巻き起こしたのです。

もちろん背後にはロシアの世論工作もあったでしょう。

さらに、
「ウクライナはもうだめだ。汚職が蔓延している。若者は国外に逃げていく。もうこの国に希望はない」
などの自虐メッセージも吹き込まれていきました。

こうした報道は、自国を『守るに値しない国』との先入観を植え付け、祖国のために戦おうという気概を萎えさせ、『寄らば大樹の陰』との依存心を増長させます。

両国が共に歩んだ歴史?

国内での情報戦に呼応して、ロシア側からの内政干渉も続けられました。

ウクライナ国内のロシア系住民は平均で17.3%。

西部でこそ5.4%ですが、東部では30.3%、クリミア半島では60.4%にも達します。

これは、ソ連時代からウクライナ人の多くがシベリアや我が国の北方領土を含め極東に移住させられ、代わりにロシア人がウクライナに流入した結果でした。

これらウクライナ国内のロシア系住民の処遇についてロシアは、ウクライナ語ができなくとも、行政や教育など全てのサービスがロシア語で受けられるよう要求しました。

ロシアの歴史的蛮行を明記した歴史教育をしようという動きがあった際には、
「両国が共に歩んだ歴史が侮辱されている」
と非難しました。

ロシアからの理不尽な要求を歴代ウクライナ政権はほとんど呑んで、譲歩を続けました。

政府や多くの言論人は、
「ロシアを挑発してはいけない」
「ウクライナはロシアと歴史的なつながりがあるので、ロシアの意見を無視してはいけない」
と主張しました。

ウクライナが譲歩すればするほど、ロシアの要求はエスカレートしました。

挙げ句の果てに、ロシアはウクライナにEUとの協力協定締結を止めさせ、ロシアとの関税同盟に入るよう要求しました。

この要求を併合の前段階だと危機を抱いた国民が、親ロシア政策を執るヤヌコビッチ政権を倒した途端、ロシアはウクライナのクリミアへ侵攻を始めたのです。

NATOの戦争に巻き込まれる

アンドリー氏は、せめてウクライナがNATO(北大西洋条約機構)に加盟していれば、ロシアの侵略を受けなかっただろうと指摘します。

旧ソ連構成国のうち、ウクライナとジョージア(旧グルジア)は侵略を受け、バルト3国は受けませんでした。

バルト3国のうち、ラトビアとエストニアはロシアと国境を接し、200万人足らずの人口4分の1はロシア系です。

ウクライナとジョージアと同様、ロシアの侵略を受けても不思議ではありませんでしたが、そうはなりませんでした。

そう、NATOに加盟していたからです。

NATOは加盟国が外部から侵略された場合、加盟国全てが共同で防衛する義務を負います。

その加盟国にはアメリカ、イギリス、フランスが入っているので、ロシアも迂闊に手が出せません。

1949年のNATO成立以来70年間、その加盟国の領土は一度たりとも武力攻撃を受けたことがありません。

なぜウクライナはNATOに入らなかったのか。

実は、ウクライナ政府も加盟を進めようとしたこともありましたが、国民世論の6割が加盟に反対し実現に至りませんでした。

「NATOの戦争に巻き込まれる」
「NATOに支配される」
「軍事費が増える」
そして、
「ロシアが反発する」
などの理由からでした。

加盟に反発するロシアの外交的圧力もありましたが、国内世論もNATO加盟を許さなかったのです。

売国政権による意図的な軍の解体

2014年2月、ロシアによる侵攻の引き金になったのは、ヤヌコビッチ政権の崩壊でした。

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親ロシア政策をとっていた同大統領は、ウクライナの最高議会で解任決議がなされた後、ロシアに亡命しました。

ヤヌコビッチ政権が売国政権だった事は、防衛大臣がロシア国籍を持つロシア人だったことで明らかになりました。

この防衛大臣も政権崩壊後にロシアに逃亡しました。

そして、モスクワのクレムリン宮殿で行われたクリミア編入を祝う式典に出席しています。

彼がロシア国籍を放棄していなかったことは、逃亡後に発覚したのです。

<このような人を防衛大臣に任命する大統領はどういう人か、想像がつくだろう。この4年間の売国政権の間は、それまでに無秩序に起きていたウクライナ軍の衰退が、意図的に軍の解体に変わった。あの売国政権は、ロシアの指示を受けてウクライナの防衛力を削いでいたのだ。>
と、アンドリー氏は語っています。

自らの血を流して戦わない国は、助ける意味がない

2014年3月、ロシア軍がクリミアを占領し始めるとウクライナは武力による抵抗をせず、国際社会にロシアの暴挙を止めるように要請しました。

国際社会はロシアを批判し、クリミア半島のウクライナへの帰属を確認する声明を発します。

そして、ロシアに対して、直ちにロシア軍をクリミア半島から撤退させるように要求しました。

しかし、実際にロシアの侵略を止めるための行動をした国は一つもなかったのです。

“自らの独立のために血を流して戦わない国は、助ける意味がない”と判断したのでしょう。

しかし、2014年4月以降、ロシアがウクライナ東部への侵略を開始すると、戦わずして国際社会に助けを求めても無駄だと悟ったウクライナは、弱体化した軍を立て直しつつ自力で戦いに臨みました。

すると、国際社会の反応は少しずつ変わり始めたのです。

ロシアに経済制裁を行い、ウクライナへの経済支援を開始しました。

ウクライナ軍とNATO軍の合同軍事演習が実行され、NATOからウクライナ軍に指導官が派遣されました。

戦争が長引くにつれて対露経済制裁は次第に強化され、ウクライナへの支援も経済援助から軍事物資や兵器の提供を含むようになりました。

ウクライナ政府は防衛予算を2倍増とし、兵隊の数も増やし、装備の充実と新兵器の導入を始めました。

しかし如何せん、戦争になってからでは遅いのです。

明日は我が身

ロシアとの戦いは、ウクライナ人を覚醒させました。

旧ソ連時代の残滓ざんしの一掃を始めたのです。

まず、戦争前にはウクライナ各地で2000基以上建っていたレーニンの記念碑を撤去し始めました。

この動きをロシア政府は、
「歴史を侮辱する蛮行」
と猛批判しています。

並行して、ソ連時代にちなんだ地名や通りの名称も改められました。

自治体の名称変更だけでも917箇所、通りや広場を含めれば万単位となります。

例えば、キエフ市の『モスクワ通り』は20世紀前半にウクライナ独立のために生命を捧げた人物に因んで『ステパーン・バンデーラ通り』となりました。

これについてアンドリー氏は、
<・・・ソ連の後継者であるロシアから侵略を受け、多くの人が目覚め、現在では、ウクライナはソ連に占領されていたという歴史認識が広まりつつある。第二次世界大戦の評価も変わった。それまでソ連は善でナチスは悪という解釈だった。しかし今はソ連もナチスドイツも悪であり、ウクライナはその二つの化け物の犠牲者だったという史実に基づく見解が広まっている。>
と述べています。

ヨーロッパにおける第二次大戦が、ソ連とドイツによるポーランド分割から始まり、ソ連はフィンランド侵攻により国際連盟を除名されています。

こうした史実を見れば、ウクライナの歴史認識は正しく修正されたことが判ります。

しかし、こうした覚醒は、ロシアの侵略を受けて、戦争になってからようやく実現したものでした。

空想的平和主義からもっと早く覚醒していれば、ロシアの侵攻を受けて国土が荒廃し、その一部を奪われるという悲劇を防ぐ道は色々あったはずです。

ウクライナの悲劇を『明日は我が身』として、果たして今の日本は防げるのだろうか…。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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