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エッセイ:笑いながら怒るな


クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』が日本でも公開され話題となっておりましたが、原爆慰霊碑の碑文「過ちは繰り返しませぬ」の主語は誰か。そして、力にまつわる不合理について。



強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)は、不合理な行為や思考を自分の意に反して反復してしまう精神障害の一種である。

Wikipedia



↓尺13秒。
「ざけんじゃねーぞ、この野郎(笑)!」
と笑いながら怒るネタ。



理屈に合わない、筋の通らぬことを不合理といいますが、竹中直人氏のギャグ、笑いながら怒る人は不合理です。人は笑いながら怒らないし、怒りながら笑いもしない。笑うべきときに笑い、怒るべきときに怒る。

世にあっては、誰もが感情を押し殺コントロールして暮らしています。他者と共生していくためには、そうあるべきであると教えられるものですが、罰を伴うのが躾というもの。

一般的に、恨む、憎む、怒るといったいわゆる負の感情は良くないものと忌避され、時には罰せられる。子供のころ、理不尽な暴力に対し怒りを顕わに仕返しを試み、叱られた経験、おありではないしょうか。大人になれば、親や教師はただ子供の喧嘩が面倒くさかっただけだとわかりますが、暴力は何も生み出さないと教えられて育った方は少なくないかと思います。これは倫理的な判断というよりは、功利的な判断といえるかも知れません。つまり暴力がいけないのは、非生産的であるからだと。

熊代亨『人間はどこまで家畜か』によれば、人は「より群れやすく・より協力しやすく・より人懐こくなるよう」に、進化の過程で攻撃性を排除してきたといいます。人は群れ、協力し合うことで生産性を高め、文明を築いてきた。何も生み出さない暴力はコストですらない、取り締まりの対象である。昨今の性加害、虐待、ハラスメント騒動も然り、清潔が善であり汚濁が悪である「ホワイト社会」にあっては、ますます暴力は締め出されていくでしょう。問題は、行き場を失った怒りである。

怒るべきときに、怒りを向けるべき相手に向けることを、正しく怒ることだとすると、正しく怒ることができなかった場合、その矛先は往々にして弱者か己に向けられるもの。虐待も自傷も、自虐も不合理です。不合理を正当化することを合理化といいますが、東京裁判史観を受け入れ、教科書を黒く塗りつぶした戦後ニッポンは、無辜の虐殺たる原爆投下についても合理化することで、正しく怒ることを避けてきたという側面は否定できません。合理化は戦勝国による罰として強要されたものだったのか、あるいは敗戦国という弱者なりの生存戦略だったのか。

いずれにせよ、正しい怒りの矛先を忘れ、力については否定的となり、冷戦という構造もあってアメリカの庇護のもと経済発展に邁進し、その結果、「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国」(三島由紀夫)となった。とはいえ今は昔、衰える一方ですが。

あの二発の原子爆弾投下について、十数年前イ◯ガミアキラという悪魔が、日本が降伏しなかったから落とされたと述べておりましたが、違和感を覚えない向きもあるでしょう。そういう方々を批判するつもりはありませんが、あれは悪魔の言う事です。鵜呑みにしてはなりません。

過ちをおかしたのは日本である、アメリカである、どちらも誤りであります。アメリカにはアメリカの正しさがあり、日本には日本の正しさがある。アメリカにはアメリカという依って立つ場所があり、日本にも同様に日本という依って立つ場所があります。が、悪魔には依って立つ場所などない。ゆえに悪魔の言う事は空論であります。


「過ちは繰り返しませぬ」の主語は誰か

日本という場所に依って立つ私たちからすれば、主語は私たちであり、人類などという依って立つ場所を名指し得ない抽象的な概念ではありません。いやあり得ない。核兵器廃絶を、世界平和を訴える言説が空しく響くのは、人類というあり得ない立場ゆえでしょう。虚構である。そして戦争、核兵器という力に対し、言葉で抗おうとすることもまた虚構でありポーズであり、不合理であります。力に対抗し得るのは同等の力か、それ以上の力です。平和=力の否定というこの80年に及ぶ戦後ニッポンの不合理のもたらした錯誤は、強迫性障害といっていいでしょう。

日本という場所に依って立つ私たちには、核兵器の廃絶も、世界平和の実現も、願う思いはあれど、叶える力はありません。力の裏付けなき主張は傲慢であると知るべきであり、考えるべきは二度とこの国を同じ目に遭わさないようにすることです。そのためにはまず正しく怒るべきではないでしょうか。正しく怒り、彼の国の大統領に毅然と謝罪を要求する。
実現しなくとも要求することはできるはずであり、そうすべきである。
なぜなら人類普遍の正しさなどなく、それゆえに誰もが己の正しさを貫かねばならないからです。
己の正しさとは、他者が忖度するものでは決してありません。己が誇示すべきものであります。その姿勢を見れば、人びとの意識も変わるでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



ざけんじゃねーぞ、この野郎(怒)ってさ。
ね。文雄さん。
何処に立っている、
人類、日本、それとも広島?






↓原爆実験動画
ようこんなん人に落としたな




↓近年、精神疾患が増えているという指摘も興味深かったです