恋と短歌の関係性
この10年で、何度か恋をしている。
片思いのまま終わったものもあったし、そうではないものもあった。人生で最大の恋だった、と言える経験をした時期もある。
どんな終わり方であっても"恋"というかたちをとって、人が人に強く惹かれるというのは素敵なことだ。例えそれがDNAに操られているものだとしても。
誰かと出会って、互いの心と身体の距離感を測りかねる時期が一番好きかもしれない。
触れられそうで、触れられない関係。
互いの境界を侵食しあってない関係。
独立性を保った関係。
本当はその時期を経て、愛に変わるの事の方が素晴らしいかもしれない。けれど、恋、というポジティブで、ピュアで、独りよがりで、あるいは暴力的に心が揺れる時期は、ことさらヒトとしての精神活動の喜びがあると思う。
そう、恋の始めの頃の、そのもどかしい距離感がすごく好きだ。
高校生の時の私は、相手の実体すら手が届かない(実際は話しくらいはしていたが)ような距離感を思い描いて詠んでいた。
そして、その後。
相手の実体に触れる歌を詠んだのはこれが初めてだった。
愛しさを指の動きに置きかえて わたしのかたちを辿っている君
これも朝日新聞の短歌欄に掲載されたのだが、大学の同じ専攻の女の子の同級生が記事を見つけていた。もちろん短歌の趣味があることなんて、大学では誰にも話していなかったので、偶然だった。
"sannaちゃん、新聞の投稿、見たよ"
肩越しに、普段無口な彼女がことさらボソッとその3語を囁き、私は振り向きざまに肩がすくめるほど驚いた。
当時付き合っていた人のことは周知のこととなっていたので、別段隠すようなことでもなかったのだけれど、だからこそ多少の気恥ずかしさもあった。
高校生のときも同じことがあり、そこまで私自身は衝撃はなかったのだが、彼女がまるで見てはいけないものを見てしまったような様子で話すので、こちらもつられてしまった。
"うん、私、たまに短歌を詠むんだよね" と少し苦笑いしながら答えた。
人は思いもよらぬ趣味があることをお互いが認識し、全国版に本名で掲載されれば多くの人が見るのだなあ。。と改めて思ったのだった。
恋をしていると琴線に触れる出来事が増える。
高性能のセンサーが五感に張り巡らされているみたいに。
相手の一挙一投足、その指の動き一つでも、その耳朶のかたちに感動する瞬間だけでも歌が詠めてしまうくらいに。
そんな恋の歌を幾つか書いておこうと思う。
生牡蠣を啜るあなたのくちびるの 温度をおもえば酔いまわるよる
タクシーの車中行き先聞かぬふり ごめんね君の逡巡見ぬふり
砂浜に覗く貝のごと滑らかな 耳朶をひとたび沈めたくなる
あなたの心の襞に、どれか一つでも拡散しますように。
では、また。
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