人と自分に対する深い愛情を作品と活動に表現する−ガラス工芸作家・近藤綾
◇プロローグ:春霞または宝石の原石
ほんのわずかにザラついた感触の厚めの胴。
春先の晴れた空のように全体が白い中に所々青や薄紫・薄ピンクが入る。
「春霞を思わせるような、もしくは鉱山から見つけ出された宝石の原石のような器」
そんな印象を抱かせるガラスの器、それを生み出すのが新潟市に拠点を置いて活動するガラス作家の近藤綾さんだ。
6/24(土)から書斎ギャラリー・離れで個展の始まる近藤さんの器は、ふんわりとした中に腰の座った凛と美しい女性の姿を連想させる。
近藤さんはSNSなどのネットで、作品に対する自分の考えや思想など(いわゆるブログ的なもの)はほぼ発表していない。
画面を通して情報を得られるとしても作品に対してのみだ。
作品自体の印象とほとんど表に出ないご本人への先入観が重なり、とても高貴なイメージを取材の前に持った。
どんなことが話せるだろうか。
そもそもちゃんと話ができるだろうか。
取材前の私の不安は結構なものだった。
緊張と不安で迎えた取材当日。
それまでのイメージが、このとき一気に「いい意味」で崩れることになった。
◇初対面での直感
新潟市西区の端にある近藤さんの工房のチャイムをドキドキしながらを鳴らすと、明るめの髪の溌剌とした女性が出てきた。
これが近藤さんだった。
正直、作品から受け取る印象とは逆の雰囲気を醸し出しているように見えた。
そしてこのギャップこそが、「近藤綾」を形作る最も大切な要素だと後に理解した。
◇作家・近藤綾の誕生
近藤さんは新潟県内にある長岡造形大・ものデザイン学科を卒業後にアメリカ・オハイオ州のクリーブランド美術大学へ進学し、2つの大学を通してガラス工芸を学んだ。
幼い頃から、海外へ行くことや人に何かを教えること(伝えること)に興味があった近藤さんは、高校で近藤さんの人生の指針になる出会いをする。
それは美術を担当した先生だった。
この先生は型破りな人で独創的な世界を持っていた。
「これも、あれもやっていい。美術の世界は自由なんだ!」と、美術の世界に多くの選択肢を持つ広い世界と楽しさを感じた近藤さんは、このときに「美術の先生になる」という夢を持った。
そして学生時代に教員免許も取得した。
「美術は国境を持たないので、美術の先生になれば海外でも活動できると思って。英検3級の能力で渡米しましたが今思えば無謀ですよね。」
と近藤さんは笑った。
クリーブランド美大へは1年間通い、語学とガラス工芸について学んだ。
「元々は北欧のマリメッコが好きでテキスタイルに進もうと思ってました。でも『自分だけの模様』を作りたくて本当にたくさんのデザインを見てたら目が疲れてしまって。ああいうビビットな色のものより、自然の色を取り入れる何かを作りたいなと思ってたときに出会ったのがガラス工芸でした。」
帰国後からすぐに作品制作が始まり、現在では全国各地のギャラリーで展示会を行う傍ら母校である長岡造形大の市民講座でガラス工芸の講師を勤めている。
◇作品と作家のイメージの違いが意味すること
実は、幼い頃から手にするガラス作品を壊すことが多かった近藤さん。
お土産でもらったビードロ(長崎特産のガラス工芸。先が細い長い口と六角形の球体をしたポコポコ音を鳴らすガラスのおもちゃ)もすぐに割ってしまうような子だった。
ご本人曰く、とても大雑把だそうだ。
「本当はガラス工芸は一番手を出しちゃいけない分野だったんです。すぐに壊しちゃうから。でもだからこそ憧れもあって。壊れやすいものだからこそ大切に扱うじゃないですか。それが自分には必要な部分だと思ったからガラス工芸の道を選んだんですね。本当は自分が一番扱っちゃいけないことを仕事にしちゃいまいました。」
この言葉は、私が取材前に持っていた近藤さんのイメージを覆したとともに、作家が「なぜ作品づくりをするのか」を根源的に表していた。
「私が主に使うのはパート・ド・ヴェールという技法で、型の中にガラスの粒を糊で練って入れ、型ごと窯で焼いてその型を壊してガラスを取り出すというとても手間暇のかかる技法です。その工程を全てきちんとしないと絶対に作品は作れません。一つ一つを丁寧に行うこと、それが私にとってとても大切なことなんですね。」
数少ない私の学芸員経験として、作家さんは「自分の世界を表現する」「クライアントの要望に忠実に沿った仕事をする」「眼に見えるありのままの世界を表現する」などのタイプに分かれることが多い。
しかし近藤さんはそのどれにも当てはまらず、「自分にない対極の世界を実践することで自分を補完する」タイプだった。
自分の性質と対極の作業を行い作品としてきちんと世に出すことが、近藤さんにとって制作以上の意味を持っている。
こんな作家さんが身近にいるのか!ととても衝撃を受けたとともに、あの美しい器たちは近藤さんが必死に手をかけたからそ生まれたものだったと知って、とても腑に落ちた感覚になった。
近藤さんの作品は、ご本人と話してこそ、このギャップを感じてこそ、私たち使い手にとって完成し、愛おしさを感じられるものになるのだ。
◇講師業が近藤さんの愛情深さを伝えている
先述したが、近藤さんは母校の市民講座(市民工房)で講師も担当している。その傍らで作品づくりと時折ワークショップも開催し、性別や世代を問わず幅広くガラス工芸の作品づくりの楽しさを伝えている。
「講師をしていると人間のいろんな部分に気付かされます。例えば参加者が子どもだったら、私の言葉を素直に受け取って色使いとかその子なりに自由に表現する子が多いんです。子どもは自分のことを聞いてもらうのが嬉しい子が多くて、私が耳を傾けるととても嬉しそうにします。その嬉しくて楽しい気持ちが作品に反映されている印象があります。
一方で大人は、これまでの人生の経験上で培われた固定観念や、作品の理想のイメージをはっきりと持っている方が多いです。理想が上手く表現できない方もおられるので、理想とできることの妥協点を一緒に探っていくのが楽しいです。固定観念を取っ払うことも(笑)また、大人になると集中して何かをする機会が減るので、制作をしている時間を提供できるのが嬉しいです。」
子どもと大人どちらかの世代に偏らず、それぞれの人に寄り添って一緒に楽しむ。
そしてその先に導いて形にしていく。
もしかしたら講師として当然のことかもしれないが、きっと近藤さんの生徒さんたちは心地よく作品づくりに向かえていると思った。
そしてその懐の深さに、人間愛のようなものを感じた。
◇プロローグ:直接話すからこそ、伝わる近藤さんの魅力
近藤さんはSNSでも作品を世界に発信しているが、それを見たアジア諸国でファンが増え時折り個展も開催している。
特にこの2年はコロナ禍でネットから情報を得る人が増えたそうで、現地のギャラリーに管理してもらう形で展示を行っている。
世界中、どんなに大勢の人に受け入れられるようになっても近藤さんの芯は変わらない。
「今後もガラスの器を中心に制作を行いたいです。オーナメントとか欄間とかフレキシブルに動いていきたいです。もちろん、制作の原点であるガラスボタンも続けたい。(近藤さんはガラスボタンから作品制作が始まった。)
そしてガラスの制作の楽しさを今と同じように伝え続けたいですね。制作の時間が、その人にとっての息抜きとか拠りどころになってくれたら嬉しい。」
そう言って近藤さんはすっきりとした笑顔を見せた。
近藤さんは、作品づくりを行うことで自分を補完している作家であり、補完した先に他者にその世界の楽しさを伝えている。一人の人間がこんなにもたくさんの要素を上手く外に出せていることに衝撃を受けた。
だからこそ願う。
会期中、近藤さんは終日在廊する。私が受けたこの衝撃をたくさんの人に知ってもらいたい。
たくさんの人にご本人と話をして一緒に笑ってほしい。
そしてぜひ、直接近藤さんに作品の感想を伝えてほしい。
「頂く作品の感想には、その人の楽しかったり嬉しかった記憶が重なります。私はそれを聴くのがとても楽しいんです。」
きっと近藤さんはどんな感想でも笑顔で受け止めてくれるだろう。
6/24(土)〜7/2(日)に三方舎書斎ギャラリー・離れにて「近藤綾展−記憶に寄り添うガラスの器たち−」を開催します。会期中近藤さんは終日在廊します。ぜひ近藤さんに会いにいらしてください!
皆様のご来場を心よりお待ちしております!
執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。
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