『偏心――重症心身障害児(者)の妹・イン・ザ・ダイアローグ』エピローグ

Text by:たくにゃん

コロナにかかった後のいまここ

 2022年11月、初めて新型コロナウイルス感染症に罹患した。妻が発症した2日後にうつった形だ。そう、私は第十六話で触れたカノジョと3年ほど前に、運よく結婚できた。今では、自分の中に妹・沙也香だけではなく、妻も同居しているような感覚がある。でも、妹は自分の外にはあまりいないし、自分の中の妻はあまりしゃべることはない。
 結婚がきっかけとなり(理由ではない)、両親とは事実上の絶縁をした。今回、父親の過干渉や母親の精神障害などを含む我が家の崩壊の歴史について、満足に深掘りすることができなかった。植松聖の公判と似ている。今後の課題だ。もっとも、両親の声は聴きたくもないのに、ときどき嫌でも聴こえてくる。
 両親と絶縁していて一つだけ厄介なことが、妹の面会である。妹の施設では、家族の面会は週に一回一時間、面会者は一人までと制限されている。申し合わせずに私が行くことで、両親のペース等を侵害することになりかねない。仮に実行して問題が発生した場合に、その対処をする余裕が私にはない。

 「相変わらずそうやって理由をつけて面会には来ないんだね。会いたい気持ちを、文章を書くことにスライドしてしまっているんじゃないの」

 「……と見せかけて、今度こそ面会に行こうと思ってるよ。問題発生時の対処方法として着信拒否をすれば良いし、実は今、無職だから、時間的にも余裕があるんだ」

 「何度目の振り出し? 呆れてものが言えないわ。それもまた働き出したら、余裕がないって言いだすんじゃないの」

 「二度とそう言わないように仕事選びしたいと思っているんだ」

 「ふうん。せいぜい頑張ってください」

 妹の声が聴きたくて物書きを志し、批評と出会った。障害のある人と世間の橋渡し役を目指して、編集者になった。中間的で曖昧な、重症心身障害児(者)のきょうだい児(者)の生き方としては自然な到達だったかもしれない。ただ、これからはもう少し偏心の比重を、「重症心身障害児(者)」から「きょうだい児(者)」へ移したい。「批評」より「創作」、「メディア」より「現場」。批評の師匠・佐々木先生も3年近く前から、「批評家」改め「思考家」と名乗るようになり、小説を書くなど変化し続けている。私は手始めに今週末から、ガイドヘルパーの研修(知的障害)に参加する。小さいけれど大きな変身になる。
 と言っても理想は低く、地に足をつけて。先を急がず、肩の力を抜いていきたい。知的障害のある人とプロの音楽家たちからなる即興音楽集団「音遊びの会」の自由自在な演奏(セッション)のように。


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