『偏心――重症心身障害児(者)の妹・イン・ザ・ダイアローグ』第十九話

Text by:たくにゃん

思想家の声を聴く

 2020年3月16日、横浜地方裁判所は植松聖被告に求刑通り死刑を言い渡した。弁護人は同月27日に控訴。しかし、植松被告が控訴期限の同月30日にそれを取り下げた。初公判からわずか83日で植松聖の死刑が確定した。被告は公判中から、「どんな判決が出ても控訴しない」と宣言していた。
 私は16日に判決後の2つの記者会見へ行ったが、そこで初めて、植松聖と面会や手紙のやり取りを続けてきた、和光大学名誉教授で思想家の最首悟さんを生で見た。最首さんのことは、著作や雑誌のインタビュー記事などを読んで知っていた。彼の思考や文体は、とても自分に似ていて、本論も多分に影響を受けている。
 最首さんには、重度のダウン症と視覚障害を併せ持つ娘・星子さんがいる。歩くこと、しゃべることができないため、重症心身障害児(者)と似たような状態だと言える。だが、最首さんによれば、「言葉はしゃべれないのでなく、しゃべらないのである」。それは、しゃべれるのにしゃべらないということではなく、しゃべらないことに問題はない、むしろそこに本質があるという捉え方の表現である。

 星子は穏やかで、そして自分を分析解剖することを厳しく拒否しているように見え、そしてすべてに超然としているように見える。そしてそしての(原文ママ)連続が星子をそのままに受け取るということにつながってゆく

『星子が居る』P374

 最首さんにとって星子さんがこのように見えた背景には、最首さんが父親であり、星子さんと奥さんが「二人で居る」という「場」の中に、踏み入ることができないと感じる側面があったようだ。ともすればネガティブな発見だが、最首さんはそこから、「二者性」という概念を考案する。
 最首さんによれば二者性とは、日本列島人に特有の「生きるよすが」であり、言葉(日本語)の中に端的に表れている。たとえば、日本語には、「(私はあなたのことが)好きだ」のように、英語の「I」と「you」に当たる主語や目的語が無くても成り立つ話法がある。どうしてこのような話法が成立するかと言えば、その場に私とあなたが居るからである。「私」や「あなた」という単語を用いなくても、基本的には私があなたに対して「好きだ」と言っていることとなる。この「居る」という状態の中に二者性が立ち現われる。
 ここで重要なことは、二者性における「私」と「あなた」は、欧米哲学的な確固たるものではなく、輪郭が溶けていて、「場」においてつながっているという点だ。そのことを分かりやすく示すために、最首さんはそもそも日本語には二人称しかなく、一人称と三人称はないと指摘している。ここではその考察について割愛するが、抽出したい結論は、「私」は「あなたにとってのあなた」の私であり、「あなた」もまたその逆であるという理論である。つまり、「私」と「あなた」は単につながっているのではなく、融け合う中で入れ替え可能な存在に近づいているというのだ。

 言い換えれば、星子が私の頭の中に居るということなのです。私がしゃべり星子がしゃべる、そして星子と私が入れ替わったりして、私の思いをしゃべっているのかもしれない。その逆もまた然りです。「共に生きる」ことの一つの描像であり、「相手の身になる」ことの現像でもあるのです。あるいは自他未分の協働性といってもいいかもしれません。

『こんなおきだから 希望は胸に高鳴ってくる――あなたとわたし・わたしとあなたの関係への覚えがき――』P282

 「えっ。それって、まさにお兄ちゃんが私とこうやってしゃべってることと同じじゃん!」

 「そうなんだよね。でも、そこで微妙な違いがあると感じていてね」

 「お兄ちゃんがしゃべろうとしているというより、私のしゃべりを聞こうとしているっていうスタンスの問題かしら。でも、それって最首さんと一緒の裏表なだけじゃない?」

 「さすが鋭いね。おれはね、沙也香がしゃべることにはとっくの昔に気づいていたし、それは当たり前のことだった。だから、俺にとって大事なことは、どうやって“しゃべり続け”てもらうかっていう、次の段階の問題だった」

 「“居る”ことの中で、直感的に分かり合うだけではなく……」

 「そう。これは“しゃべる”ことの可視化/描写によって、“しゃべり続ける”ことを目指す試みと言えるかもしれない」

 最首さんと私の違いはまず、最首さんは介助込みの父親であり、私は介助を免除されたきょうだい児であるという立場の違いから来たものだと思う。少なくとも最首さんは、毎日の入浴介助を担当している。小さい頃から妹と距離のある私のようには、星子さんとの対話を欲望せずに済んでいるのではないか。
 ところで、最首さんは会見では、「共生社会と言うときに、共死社会のことも考えなければならない」という旨のことを仰っていた。それは、親亡き後の問題というより、いわゆる超高齢化社会における姥捨て山の問題との親和性を指摘する発言で、非常にキャッチ―な表現だった。一方、私にとって妹・沙也香が『しゃべり続け』ていない状態では、彼女が本質的には「生」きてすらいないと感じていた。だから、脳性まひ者がボーカルのパンクバンド「脳性麻痺号」のライブアクトのような、「生」を感じさせる時空間を生み出したかった。


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