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編集後記ダイジェスト

 三輪車としての初めての同人誌では、二つの部門を設けて執筆を行い、原稿を持ち寄りました。「家族」をテーマとした課題文と自由創作(エッセイ、批評、ジャンルを問わず)です。全く別々の時間を過ごしてきた三人ではありますが、出来上がった内容には貫通する「何か」があったように思われ、それを踏まえた並びとなっています。可能ならば最初から通読していただけると嬉しいです。



aより

 テーマについて、経緯は忘れたけど、私が「師弟関係」に興味があると言い出したことがきっかけだったと聞いて思い出してみた。そういえば講談のなかには、一見体たらくな人物が、師匠や目利き、親方に見出され成り上がっていく様子が示されているから、原家族がぼろぼろでも、新しい人間関係を単なる過去の再演にさせないのは、何か要因があるだろうというのが常々気になっていて。

 鍵になったのは、港家小そめという浪曲師が、名披露目興行に至るまでのドキュメンタリー『絶唱浪曲ストーリー』だったのかもしれない。浪曲っていうのは、浪曲師(歌)と曲師(三味線)の二人で一つの作品を作るダイナミズムがあるんだけど、師弟のみならず、浪曲師と曲師のお互いに影響しあう関係も内在していて。その、小そめの師匠である小柳の曲師であり、小柳に代わって小そめを育て上げる曲師の玉川祐子師匠(なんと100歳越え)が放つ言葉「血は繋がってねぇけど、芸は繋がってっからな」って。この一言にかなり心が掴まれた。自分が師として選んだ人と血縁とは違うけれども家族に似た、そして新しい関係性が構築され、その中で自分も関係性も変化していくのだろうな、と。

 私が家族で書いたテーマにも、私自身が弟子入りをするような一文の記載があると思うんだけど……私の先生は、年内に廃業することが決まっているからか、今、すごい目をかけてもらっていうのもあって、状況が重なったというのもテーマ設定と関係があるかもしれない。

 ただ、私の想いとはちがって、たくにゃんも安里くんも師弟関係には興味がないってことで、家族がテーマになったんだったと記憶していて。 結果「家族」がテーマで良かったと思います。ちょうどあずまんも新刊で訂正可能性を有する共同体としての家族について論じているし、あずまんとは違う観点でホットにしていきたいな。

 実際に書いてみたら、私は、自分の考え事を外的なものを用いて具象的に示しているだけで、あまり進展がない。安里くんと私の内容は一見似ているようにみえるけど、安里くんは娘との関係のなかで、自分を見つめ直し、娘らしさにも感動を覚えたりしている。コミカルな感じで温かく、微笑ましいのもよかった。たくにゃんは、きょうだいにせよ、ガイヘルにせよ、自己も客体として観察しているように感じていて、障害やきょうだい児について研究のような立場から、探求をしていると思った。しかも、なんだかんだで結構巻き込まれながら(笑)「今がどういう状況なのか」説明しようとしている!

 それぞれの書き方も探求の方法もあるけど、人としての面白さとか、着眼点の鋭さも見えてきたのではないかな。


たくにゃんより

 客観的な感想からなんだけど……
・2人とも抒情/叙情性が高くて、それはおれの原稿にはないから見習っていきたいと思った。 
・その上で2人の差異は、安里くんのが楽観的で、お福さん(a
)のが悲観的な性格が出てるところかな。

 具体的な感想に入っていければと思うけど、まずテーマ家族という観点だと……
・安里くんのは、保育園の送り迎え(そもそも育児)について書かれた(批評家の)文章を目にすることは少ないから、それだけで価値があるし、個人的にも読みたかったジャンルだから嬉しい原稿だった。
・お福さん(a)のは、家族に関する作品について乳幼児観察の手法を用いて批評している点に独自性があり、冒頭の描写からして文学性が高くて面白いんだけど、後半になるにつれて論理展開的に読者が置いてきぼりにされていて、作品批評のパートに消化不良が残ってしまうのが惜しいと感じました。

 次に、自由部門について、
・安里くんのは、自分の状況や内面を率直に語っていて、それは今さっき投稿してくれた「書いてみての感想」の語りにも感じられることで、その素直さみたいなものは本当に魅力的に私の目には映る。
・お福さん(a)のは、こちらは良い意味で読みやすくて全体の1本目に推したわけだけど、それにしてもこんなに死とかを自然に語れる(書ける)人は少ないと思うので、改めてこれはお福さん(a)の武器だなと感じました。

 最後に、自分が書いてみての感想だけど……
・きょうだい児については、安里くんの感想の通りだと思っていて、
・だからこその2本目(ガイヘル)だったんだけど、これは正直に言うと時間不足というか、もっと長く濃厚に書けるテーマを2300字に圧縮しているため、結局物足りなさが残っていると思う。これは必ずいつかリベンジする。
・その上で全体として、自分はまだまだ「こう書かなきゃいけない」あるいは過去の書き方の癖に囚われていて、半批評への道は始まったばかりなんだなと知れたのが大きな収穫だった。


安里和哲より

 テーマは決まったものの、家族について書くことに気後れした。妻と娘(5歳)との具体的な暮らしのなかで家族というテーマで文章を書くと、生活感たっぷりのテキストしか書けない気がしたから。せっかく文章を書くなら、他のことを考えてみたかった。あと、個人的にはコロナ以降の家族ブームにちょっとうんざりしているのもある。結果としておれの書いたテキストの生活臭さはやっぱりすごい。とはいえ、娘の保育園の送り迎えという日常を記録しておくことができたのはよかった、と今は思っている。お風呂に入る前はめんどくさいけど、いざ入浴した後には「入ってよかった」と思う、みたいな感じの今。

たくにゃんへのコメント
 なぜたくにゃんが自己表現に至ったのか、その切実さみたいなものは伝わってきました。ただ、その自己表現こそを読みたかった、あるいはその迂回の日々を読みたくなってしまう。そしてそれが自由部門で解消されなかったので、結果的にこっちも食い足りなく思いました。「次回の機会に譲る」と言っていた、その次回をなんなら今回見たかった。たくちゃんには今回その必要がなかったとしても、そっちのほうに興味が出てしまう文章になっている気がしました。たくにゃんの【自由】テーマのほうは、ひとりのヘルパーの体験・感慨として十分面白かったです。ただ「ガイヘル≒デート」の比喩がいまいちしっくりきませんでした。ちょっと誤解も招きかねない表現とも思った。あとラスト、「妻も寂しくなってないように思う、曲がりなりにもお金入ってるから」という、たくにゃんと奥さんの非対称性(たくちゃんはガイヘルの体験で寂しくない/奥さんはお金があるから寂しくない)について「どうしてなんだろう?」と思ったので、そこをもっと読みたくなりました。もしくは、妻とのデートの日々を手厚く書くと、ガイヘルとの類似・差異がよく見えたかも。

aへのコメント
 師匠と家族を接続しようという試みが面白かった。内容については、たまたま僕も『リビング・ダイニング・キッチン』を観たので、赤ん坊が「いない」「亡霊である」という言及を面白く読みました。僕はむしろ声だけがあることで赤ん坊が「いる」ことばかりを強烈に感じていたので、逆の見立てがおもしろかったです。(もっというと、赤ちゃんが泣き止んだときの静寂って、世界のおとをぜんぶ赤ん坊の寝息がぜんぶ吸い込んでしまったような静けさだったのをよく覚えていて、声がないとき─正確には寝息は聞こえるんですが─のほうが、その子の存在が世界の中心って感じがしたのを、『LDK』を見て思い出したのでした。吉笑さんについての言及もおもしろかった。たくにゃんの「惜しい」という気持ちもわかるけど力作だと思う。【自由】テーマはめっちゃ好きです。僕には難しくて具体的に何が言いたいのかはわからない部分も正直あるけど、たしかな情感が伝わってきました。そのわからなさも、煙に巻かれてる感じも、好きです。内容ももちろんですが、それ以上に文体というか、文章の佇まいが好き。もうちょっとメタな自分を捨ててこっちの文体で恥ずかしげもなく突き進んでも良いと思います。

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