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 「イタタタタ……」。久しぶりに口にした。きのう朝、通学途中の娘に頼まれたものを届けようと走って追いかけて、道で転んだ。右手、右肘、右膝、右太ももを擦りむき、右半身を強く打った。シビれる右半身をさすりながら、再び娘を追いかける。なんとか追いつき、ぶつを渡して、とぼとぼと歩いて家に帰った。

 右手の人差し指ゆび、右肘、右膝の傷が深く、血が出ていた。水道水で傷口を洗い流すと、また、傷口から新しい血が出てくる。「痛っ」と口にしながら、身体に感じる痛みが、新鮮でもある。いま、日常を生きているなかで、血を流すようなことは滅多にないからだ。へまをしなければ、運が悪くなければ血を流すことはない。

 夏も冬も家のなかでは、年中同じような服を着ている。建物のなかや道路は、できるだけ人が転ばないように安心、安全に作られている。痛い、と血を流したことで、生きていることを再確認できた気がした。

 毎日生きているはずなのに、生きていることを忘れてしまっていたのかもしれない。昔、岡本太郎さんの本を読んで、「死ぬか、生きるか」なのだと感じた。「生」を感じていないということは、死んでいるということ。この世に生きるとは、心だけではなく身体の生も伴う。心が痛いときにも身体は元気に生きてくれている。でも、身体をゼロに壊されてしまっては、生きることができなくなってしまう。

 人と人とが心も身体も傷つけあう、戦争がある。「痛い」と身体が感じたときに、この痛みから逃れられないところにいる人たちのことを思った。痛くない日常、へまをしなければ痛い思いをせずに生きれる日常を、送ることができたらいいのに。

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