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白いカーネーション

幼稚園生くらいの頃に、
花屋さんで 

「白いカーネーション」

を見かけました。

可憐で、美しくて、
すいこまれてしまいそうで、

「これがほしい」と母に言ったら、

「これはお母さんがいない子の
カーネーションなんだよ。」

と言われ、
買ってもらえませんでした。




当時の私には、

「母親がいる」

ってことがあたりまえだったから 

「母親がいない子がいる」
「母親がいるということは
あたりまえではない」

っていうことが、
とても衝撃でした。



時はながれて…


私の結婚が決まり、
大切な友人に電話をして報告をしたら

「おめでとう」と言ってもらえなかったのです。

なんでなんだろう。
私ののろけ話を
いつも楽しそうに聞いてくれていたのに…。


私の結婚式の数日前に、
私の携帯に彼女から電話が。

彼女のお母さんが亡くなったとのこと。


彼女のお母さんは、
末期の癌で、
壮絶な闘病生活を送っていました。


気がついた時にはかなり進行していたとのこと。


どうして
お母さんの病気に
気がついてあげられなかったんだろう、
花嫁姿を見せられなかった、

…と、彼女は自分で自分を追い詰め、
責めていました。


私は彼女に
うまく言葉をかけることができませんでした。



私の結婚式が終わったある日
彼女から連絡があり

彼女が私を
ごはんがおいしい素敵なお店に
連れていってくれて、

豪華で素敵なお花のアレンジメントを
結婚のお祝いに、と、
私にプレゼントしてくれました。

食事代も彼女がだしてくれて、

「お金はこういう時のためにあるの!」

と。



私は彼女の気持ちに
よりそいたかったけど、
大切なひとを失う気持ちは
私にはわからなくて、

可愛いお線香を探して
彼女に贈りました。



彼女のお母さんの命日が
母の日のあたりだった気がするので、
母の日のカーネーションをみるたびに、


当時の彼女は
どんな気持ちで
店頭に並ぶ花を見ていたんだろう、

あたりまえのように
赤やピンクのカーネーションが
店頭に並ぶ母の日って
なんて残酷なんだろう、

って
つい偏った見方をしてしまうのです。


「家族」「心身の健康」は
あたりまえなんじゃなくて
「あり」「がたい」ものなんだってことを
再認識する気持ちを呼び起こしてくれる
そんなカーネーションの季節。

私にできることはほんの些細なことですが,何かこころに響くことばがあったなら,何かお役に立てることがあったなら,嬉しく思います。