見出し画像

宣伝とは関係ない「よい小説」を求めて。私が古典(近代文学含む)ばかりを読む理由

個人的な事ですが、生まれてからいままで小説と漫画に恵まれた人生でした。実家には世界の名作シリーズが本棚に並んでいたし、漫画は相当エログロではない限り、買ってくれました。(本音としては親が漫画を読みたかったのでしょうが)。

お金持ち、というよりは両親が作家志望だったことで、このような状況に恵まれていたのです。

芥川賞や直木賞に輝いた作品も時代を経ても買って読んでいましたが、ある日ふと幼な心にも気がついたのです。それは「すぐ消える本とずっと残る本」があるっていうことです。

「ずっと残る本」とは、たとえば星の王子様とか風と共に去りぬなどの古典で、「すぐなくなる本」というのはつまり新刊のことだったのですね。

それが、当時の私には「ナゼ」なのかがわからなかったのです。

幼少期から高校・大学と成長するにつれ、新刊は出版社や売り出したい作家さんがいるところに、膨大な広告費をかけてプロモーションをし、ブランディングしてるってことがわかってきました。

風に乗った凧のように。上手く軌道に乗れば、もれなく「すぐなくならない本」になっていく。売れなかったらサヨナラとなるという。すべてはビジネス。ご飯を食べるための戦略だったのですね。

いまだったら(そりゃそうですよね)と思えますが。
子どもにはそんなことはわかるわけがありません。

むろん作家さんもそれらをよく考えてプロットを練るわけですが。こうなってくるともう「自分が書きたい」というより「次のご飯を食べるために」という明日への投資になってくるわけです。

最近このからくりに気づいたうえで書店にある本を手にするわけですが。正直、出版社の意図している所で読まれる本が決まってしまうのでしょう。

「ムリしてお金を出して、つまらなかったらなぁ。買って変な気分になって終わらない為にはどうすれば?」最近は、そんな風に思うようになりました。

とくに最近はやたら「死」に関するような本が多くて。ただでさえ景気が悪いのによけい落ちこみます。個人的には絶望の淵でもちょいハッピーになる要素がある小説がいいのですよね。

結論としてはやはり図書館です。ここに残っている本はベストセラーが多いですし、読まれない本はするっと破棄されていきます。

古典は新訳になるなど、ある一定の時期には平積みになりますが、あまり本屋で大々的にPRはありません。

ですが図書館にいくと、テープを何度も貼られて次の読者へと渡っていく様子がわかります。この履歴を実際に手に取ることで「いい小説なんだな」と感じます。

ロングセラーといえば ヘミングウェイ、サリンジャー、カミュ、モーパッサン、トルストイ。日本でいえば、芥川龍之介、川端康成、宮沢賢治、夏目漱石、太宰治 などといったところでしょうか。

やはり古典は圧倒的な強さです。またスティーブンキングや村上春樹氏は上記にあげた巨匠に比べて新しい作家さんですが、やはり強いですよね。

いい本を読めば新刊の質も見えてくる

本を読む力を養わないと、新刊を買っても「積読」になりがちです。ですから、まずは図書館に通う習慣がおすすめ。図書館は無料で良質の本が読めるので、ぜったいに利用価値は高いです。

読む力がついてくると、おのずと自己判断ができるようになります。新刊が出ても「面白くないなぁ」とも思うでしょうし、逆に何の宣伝もないWebにポンッとあがっている小説が「メチャクチャよい」と、ハマるかもしれません。

その域まで達するには、やはり「読む力」が必要ですね。昔本が読める環境だったことに感謝する今日この頃です。

読んで無駄にならないなぁと思う本(注意!好みにより)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?