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【Kuubo.Magazineβ】選べなかった人生~第2回 岩渕貞太~

選ばなかった、あるいは選ぶことができなかった生き方に触れると、いつでも身体が火を噴いて我が身を焼く。自分で選んだ、あるいは当時はそうするしかできなかったと納得していても、もう一方の道を歩んでいる人を見ると、うら暗い気持ちになる。そうした気持ちとの折り合いを未だつけられず、身から出た糸にこけつまろびつしながら、解決の糸口を探しているのがこの私だ。しかし、そうした葛藤を抱えているのは、きっと私だけではないだろう。あの人はどのような生き方を選ばなかったのか。そして、選ばなかったほうの生き方と、どのように折り合いをつけているのか。話して、聞いて、考える。

第2回の対談相手は、岩渕貞太氏。

貞太さんのことを知ったのは、数年前に共通の友人に誘ってもらってダンス公演を観に行ったときだった。舞台上では、人間のようには、あるいはこの世のものとは思えないような異形のものに見えたのに、公演後にお話すると物腰がとてもやわらかく、驚いたことが強く印象に残っている。

【リレーコラム】『手と指、マニキュア 身体に内蔵されたテクノロジーと呪術』(岩渕貞太)

それから、貞太さんが主催しているワークショップに何度か参加させていただいたり、SNSの投稿を拝見する中で、“踊りの人”でありながら古典を毎日模写したり、爪に色を塗ったり、猫を愛でたり、韓国アイドルグループの「TWICE」の魅力について熱く語ったりと、その多面性に興味を惹かれてきた。

とりわけ強く印象に残ったのは、かつては演劇の道を志していたという話だ。今や踊りの世界で活躍する貞太さんが、演劇の道を志した理由は何なのか。そこから踊りの道に転向する際に、葛藤はなかったのか。そこにはまさに、選べなかった人生のヒントがある気がした。

今回は「選べなかった人生」をテーマにした、振付家・ダンサーの岩渕貞太氏との対談をお送りする。

岩渕貞太(いわぶちていた)
振付家・ダンサー
玉川大学で演劇を専攻、並行して、日本舞踊と舞踏も学ぶ。2007年より2015年まで、故・室伏鴻の舞踏公演に出演、今日に及ぶ深い影響を受ける。2005年より、「身体の構造」「空間や音楽と身体の相互作用」に着目した作品を創りはじめる。2010年から、大谷能生や蓮沼執太などの音楽家と共に、身体と音楽の関係性をめぐる共同作業を公演。2012年、横浜ダンスコレクションEX2012にて、『Hetero』(共同振付:関かおり)が若手振付家のための在日フランス大使館賞受賞、フランス国立現代舞踊センター(CNDC)に滞在。自身のメソッドとして、舞踏や武術をベースに日本人の身体と感性を生かし、生物学・脳科学等から触発された表現方法論「網状身体」開発。桜美林大学で非常勤講師を務める。DaBYレジデンスアーティスト。

Photograph: Hideto Maezawa

アニメ声優のラジオ番組に救われていた中学時代

佐々木 今回は「選べなかった人生」がテーマということで、踊り以外の話を中心にお伺いすることになるかと思います。本日はよろしくお願いいたします。

岩渕 よろしくお願いします。今でこそ「振付家・ダンサー」という肩書がありますけど、大学に入ったときは演劇の道を志そうと思っていましたし、その前は声優になりたいと思っていた時期もありました。

佐々木 えっ、何歳くらいのときからですか?

岩渕 中学生のときですね。中学2年生のときにバレーボール部だったんですけど、部内でいじめの対象になってしまって。今思えば、ほんの些細なことから始まったものだったんですが、学校や部活に行きたくなくなってしまったんですよね。

もともとラジオはよく聴いていたこともあって、部活に行かなくなってからは1日の大半をラジオを聴いて過ごしていました。いろんな局のラジオを聴いていたのですが、その中のアニメ声優系のラジオを聴いたとき、「これがあれば、全然大丈夫かも」と思えたというか。週に1度の番組だったので、そのラジオだけを楽しみに1週間を過ごすみたいな。

その頃はアニメに興味があったというよりも、声優さんに救われた感覚でしたね。それからは雑誌を買い始めたり、声優という職業について調べ始めたりと、貪るように情報収集を始めました。

佐々木 当時はどんなアニメや声優さんが盛り上がっていた時期だったんですか?

岩渕 『新世紀エヴァンゲリオン』がワーッと盛り上がる直前の「第3次声優ブーム」の頃ですね。ブームと言っても、オタクにはまだまだ市民権がない時代でしたから、ある一部分での盛り上がりだったんですけど。そこから高校卒業後の進路を決める直前まではずっと、声優になりたいと思っていました。

佐々木 声優になりたいと思っていた期間って、意外と長かったんですね。

岩渕 まぁ、声優になりたいというのも、いわゆる“オタクあるある”だと思うんですけどね。ほとんどのオタクは、一度は通る道な気がします。私の場合は、声優になるために何かをすごく努力していたということもないですし。

ただ、思春期の行動指針の多くはアニメでしたね。高校時代は柔道部と演劇部に入っていたのですが、柔道部に入ったのは、高校に入学して初めて話した友達がオタクで、その子が柔道部に入ると言ったからでした。演劇部にもアニメが好きな人が集まっていたし。

佐々木 でも、その頃は意識していなかったでしょうけど、アニメがきっかけで始めた柔道という武術も、演劇という身体表現も、後に貞太さんの「ダンス」に続いていくと考えると、不思議な縁を感じますね。

岩渕 そうですね。これはダンスを始めるときの話にも関わってくるんですけど、「自分がこんなことをするなんて」という選択肢が目の前に出てくると、ちょっとドキドキするんですよね。「柔道をするなんて全然思っていなかったし、似合わない気もするんだけど、そんな自分が柔道部に入るのはおもしろいかもしれない」みたいな。振り返ってみると、柔道で学んだことが踊ることや人と接することにもすごくつながっているのを感じるので、やっててよかったなって思いますね。

演劇の道を志したきっかけは、サッカー部のエースの一言

佐々木 大学に入学するときには、すでに演劇の道を志していたわけですよね。高校卒業後の進路を考える段階で、何があったんですか?

岩渕 高校を卒業したら、声優になるための専門学校に行きたいと思っていたんですよ。専門学校に行きたい人向けの進路相談会にいろいろな専門学校の人が説明しに来てくれていて、その中の一人に映画学校の方がいたんです。

私としては、声優の道に少しでもつながるならという気持ちで話を聞きに行ったんですが、そこで「皆さんは今後どうして行きたいんですか?」みたいなことを聞かれるわけですよね。そのときに、同じく進路相談会に参加していたサッカー部のカッコいい同級生が「僕は映画監督になりたくて」と言ったんです。

佐々木 カッコいい!

岩渕 そう、カッコいいんです。それを受けて私は何と答えればいいんだと……。

当時はオタクに市民権がなかったという話をしましたけど、学校で「アニメが好き」だなんて言ったら、学校に居場所がなくなって、青春が終わってしまうみたいな。絶対にバレてはいけないからと、オタク友達とはアニメの話を隠語で喋っていたほどで。

佐々木 迫害から逃れる信徒さながらですね……。

岩渕 自分のことをオタクだとは知らない、カッコいいサッカー部員の前で「声優になりたい」なんて言えないじゃないですか。だから、咄嗟に「俳優になりたいんです」と言ってしまった。
でも、いざ言葉にしてみると、演劇のことが気になってきて、舞台のビデオやテレビの放映を観たり、映画学校のパンフレットに載っていた「いま君たちが読むべき100冊」の中から、寺山修司の本や島尾敏雄の『死の棘』なんかを読み始めたんですよね。

結局、声優の専門学校の資料を取り寄せて親に相談したら「大学には行ってほしい」と言われました。大学に声優コースはなかったですし、演劇が学べる学科を受験することにしました。オタクだとバレたくない一心で咄嗟に出た言葉でしたけど、今思えば、あの場で「俳優になりたいんです」と宣言したことが大きかった気がします。

「舞台で一歩も動けない」初めて味わった“挫折”


▲大学時代の貞太さん(写真中央)


佐々木
 大学で演劇を学ぶことになった背景には、そんな出来事があったんですね。大学では主専攻が演劇だったということですか?

岩渕 学科は演劇・舞踊という括りで、授業は演劇7割、舞踊3割くらいで、ほとんどが演劇の授業でした。

佐々木 そんな環境下で、演劇から踊りに転向するのは勇気がいりますよね。転機になった出来事などはあったのでしょうか?

岩渕 2年生のときに全員が必ず役者をやる新人公演という課題があったんですが、みんながイキイキと楽しそうに演じている中で、何をどうすればいいかわからなくなってしまって、舞台上で一歩も動けず本番中に何度もセリフを言えなくなりました。

私はもともと人前に立ちたいわけでも、目立ちたがりでもなかったのですが、「声優になりたい」と言ってしまったばかりに表現の道に来てしまいました。もともと自意識が強かったこともあって、それがネガティブに爆発した感じでした。

佐々木 でも、高校のときも演劇部に所属していたんですよね。

岩渕 高校のときはみんな同じくらい下手だったし、強いダメ出しもあるわけではなかったけど、大学に入ったらプロを目指している人たちがたくさんいて、専門的な先生が目の前にいて、という環境の中で演劇をしたときに、怖くて動けないって言うんですかね。

もちろん、立ち位置までは行くんですけど、その後はもう一歩も動けないし、パニックでセリフも忘れてしまって、傍から見ていて「あの人大丈夫かな……」と思われるような状態になっていたと思います。それで、これでは続けていけないかもと、ほかの方法を模索し始めて、舞踊にたどり着きました。

佐々木 演劇の道を諦めるきっかけとなった「出来事」としては新人公演があると思うのですが、演劇を続けていけないと思った決定的な理由って、何だったと思いますか?

岩渕 演技をするっていうことがそもそもわからなかったんですよね。演劇は登場人物の感情やバックグラウンドを調べながらつくっていくと教わったんですけど、感情を動かせと言われても、何をどうすればいいのかわかりませんでしたか。逆に言うと、身体ならここにあって、動かし方もわかるじゃないですか。

もともとわりと器用なほうというか、何でもやれば平均以上はできたんです。ただ、その先にはとくに何もないということにコンプレックスを感じていました。でも、演劇に関しては初めて「本当にできない」と思った。踊りも表現の一種だから苦手意識はあったのですが、この苦手は先に進むための難しさだと感じたんですよね。

▲卒業した年に参加したダンス公演のタイツアー中の貞太さん

それからはもう必死で、2個上の先輩に勧められたコンテンポラリーダンスの公演を毎週何本かずつ観に行ったり、オーディションを受けたり。大学を卒業してからも、とにかく舞台を踏まなければという気持ちでした。

佐々木 貞太さんが仰る“その先”には、シンプルな表現欲求よりも大きい何かがあった、ということでしょうか。

岩渕 もちろん「表現したい」とか「人に見てもらいたい」という欲求がないわけではないです。でも、それ以上に、身体とか人間の世界の見え方について考える“方法”が欲しいという感じで。これも今思えばですけど、何を通して考えるかというレンズのようなものが必要だったのかもしれないですね。

だから、”いわゆる”ダンサーになりたいわけじゃなかったのかもしれない。もちろん、自分にとってダンスはすごく大切なものなんだけど、ダンスのためにダンスをやっているわけじゃないというか。

佐々木 だから、貞太さんは、踊りの人でありながら武術をしたり、古典を読んだりと、いろいろな手段を持とうとしているのかも。

岩渕 そうかもしれないですね。あと、読んでいる本で言うと、兄への憧れも大きいかな。兄は5つ年上なこともあって、小さい頃から敵わない存在だったんですよ。そんな兄が大学に入る前から急にすごい量の映画を観始めて、家の本棚にも現代思想とか美術とか、そういう本が並び始めるんですね。憧れの人の本棚にあるものはいいものだと思って、そういった本を読む習慣がついた気がします。

それから、60年代への憧れも、今の私をかたちづくっている気がしますね。全共闘とかをやってた時代の人って、もちろん肉体も鍛えているんだけど、それと同じ熱量でものすごく理論武装をしていたじゃないですか。ゲバ棒みたいにサルトルを振り回すみたいな(笑)。

舞踏のワークショップに通い始めたきっかけにも60年代への憧れがあったし、知識を得るということと表現することはつながっていると、その頃から何となく思っていたのかもしれません。

自分が変容することへの怖さと喜びに突き動かされて

『ALIEN MIRROR BALLISM』Photograph:Hideto Maezawa

佐々木 踊りの道に転向しようと思ったとき、「自分はダンサーになるんだ!」っていうイメージが湧いていたんですか?

岩渕 全然湧いていないですね。むしろ自分がダンサーになるなんて思えない。だけど、そこでもやっぱりドキドキしたんですよ。

佐々木 高校時代の「俳優宣言」のときにも、同じことを仰っていましたよね。そのドキドキっていうのは、楽しいドキドキ?

岩渕 怖いけど、楽しい。自分が思っていたものじゃないものに変わってしまうんじゃないかって。演劇で別人を演じることとはまた別の感触なんですけど。

佐々木 動物が「変態」するみたいな。

岩渕 そうですね。後で登場する舞踏家の室伏鴻(むろぶしこう)さんも「メタモルフォーゼ」と言っていたし、「変身する」とか「何者かに“なる”」っていう踊りに影響を受けている気がします。自分が変容してしまうことへの怖さと喜びは、小さい頃からずっとあるんですよね。

大した話ではないんですけど、小さいときに観ていたロボットのアニメで、仲間の一人だった女性のキャラクターが敵にピアスか何かで操られるみたいなシーンが出てきて。その人なんだけど、その人じゃなくなっちゃうことにすごくドキドキした覚えがあるんですよね。

佐々木 変容が、貞太さんを突き動かす大きな動力であることには間違いないですよね。でも、変容してしまうことってやっぱり怖くもあるじゃないですか。

岩渕 階層がいくつかありますよね。ちょっと変わっていくのは全然怖くないですけど、一度「ヤバいな」と思ったのは武術の先生に陰陽の身体観を教わったときですね。

世界っていうのは「陰陽」という理(ことわり)みたいなものに則っていて、例えば左手の表と裏では身体に起こっていることが全く違う……みたいなことを習ったんですが、そのときに「こんなことも知らないで踊っていたのか」と衝撃を受けました。このことについてしっかり考えなくちゃと思いましたけど、考えたら踊れなくなるかもと逡巡した期間が何年も続いて。

でも、そこでどう向き合うかによって、道が分かれる感じがしますね。知らなければよかったと思って忘れてしまうのか、知るしかないと思って向き合うのか。

自分の場合は、5年でも10年でも時間がかかってもいいやと思っているところがあるので、陰陽の問題も今すぐには解決しないけど、10年くらいやってれば何かがわかるかもしれないなと思える。

佐々木 時間のゆとりを持てば、大きなものにも向き合っていけるということですね。

私はかなり任侠の人っぽい気質があって、ある地点を超えると「白黒つけろ」と自分や相手の喉元に刃物を突きつけてしまうようなところがあるんですよ。貞太さんのように5年単位、10年単位で物事を考えられたら、切らずに済んだ人間関係や可能性もたくさんあったんだろうな(笑)。

岩渕 いや、でも、私も今思いましたよ。5年、10年と言わないで、今やれよみたいなこともたくさんあるんだろうなと。それぞれに一長一短がありますね。

恩師の死を経て掴みとった「死者との対話」の手触り

▲室伏さんのカンパニーで踊っていた頃の写真(Photograph:bozzo)

佐々木 大学を2002年に卒業してからはダンサーとして国内外の舞台で経験を積み、2005年頃からは創作も始められるんですよね。その中でもとくに影響を与えたのは、先ほどお話になっていた室伏鴻さんとの出会いでしょうか?

岩渕 そうですね。室伏さんとは、2007年に受けたオーディションに合格して以来、年に1回の海外ツアーに必ず参加させてもらっていました。

室伏さんは「死者と踊る」とか「舞踏は水子の踊りなんだ」とか言うんですよ。言っていることはカッコいいんだけど、最初は意味がわからなくて「霊感もないのに、どうしたらそんな風に踊れるの?」と思っていた。

それが身に迫ってわかるようになったのは、室伏さんが亡くなった後ですね。それまでも室伏さんの作品で踊っていて充実感が感じられるし、すごく好きだったんですけど、それは私の踊りではないからと、自分の作品に入れ込まないようにしていたんです。

でも、室伏さんが急にいなくなってしまったことで「このままこの踊りが世界からなくなってしまうのは嫌だな」「室伏さんの踊りが自分にとって何だったのか、考えたいな」と思って、室伏さんの踊りを直接的に扱い始めました。

そのときにすごく助けになったのが、若松英輔さんの『死者との対話』(トランスビュー)で、この本を読んだときに、私の中で「死者」が具体的になったんですね。霊感があるから見える/見えないじゃなくて、死者と対話することには具体的な道筋があるのだとわかった。

佐々木 死者との対話、どのようなものなのか知りたいです。

岩渕 武術の「型」の話とも重なったのかもしれません。

たとえば、今残っている型は、1人の天才がいきなりつくったわけではない。実際の命のやり取りの中で、何十年も、何百年もかかって洗練されてきたものです。ある型ができていくときに、生き残った人と死んだ人がいて、また次の世代になって発展したり変形したりしながら、この型がある。

そう考えると、この型を身に着けることは生き残ったり、生き残れなかったりした「誰かたち」の経験を身体にインストールすることと同義だというか、ものすごく具体的な感じがしたんですよね。

だから、室伏さんの踊りの動きを自分自身でもう一度解釈し直すことは、室伏さんと話をすることでもあるし、室伏さんとともにあることでもある。そういうことが古典を読むことにもつながっていったのかもしれません。

エヴァンゲリオンに「応答」し続けたい

『ALIEN MIRROR BALLISM』Photograph:Hideto Maezawa

佐々木 貞太さんのこれまでを振り返ってみると、偶然に対して素直に身を委ねることで、人生がドライブしている感じがしました。

岩渕 みんなはどうしているんだろう。私は今43歳ですけど、人生を選ぶ、道を選ぶときにはやむを得ず感が強いなというか。逆に言うと、自分が大きく変わるような選択をするときって、交通事故のような感じもします。室伏さんとの出会いも、室伏さんが好きだからオーディションを受けたわけではなかったんです。存在は知っていましたけど、観たこともなかった。

佐々木 ある意味で思い通りにならなさを受け入れていったことで人生が拓かれていった、という感じもしますね。それから、貞太さんを突き動かす力として、表現したいという欲求以上に「知りたい」という欲求が大きいように感じました。一度掴んだ問いをぎゅっと握って離さない射程の長さがあるというか……。

岩渕 もしかしたらインタビューに関係ないかもしれないんですけど、個人的に影響を受けたと思っていることについて話してみても良いでしょうか?

佐々木 ぜひ、お願いします。

岩渕 私が17歳くらいのときに劇場版『エヴァンゲリオン』(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)が公開されたんです。その中に人類補完計画っていうものが出てきて。個人的には、心の寂しさを人類がどう解決していくかという命題のもとに立てられた計画だと思っているのですが、最終的にすべての人間が液体になって同化してしまうんです。そこからはみ出て、肉体を持ち続けた主要キャラクターの2人がこれからどうやって生きていくのかという何とも言えない結末で。

佐々木 重い……。

岩渕 そうなんですよ。庵野さんはあの時点でそういう答えを出したけど、私は寂しいからと言って、溶けて一つになっちゃうのは解決ではないと思っていて。ちょっと大げさに聞こえるかもしれないんですけど、30代半ばくらいまでは強すぎる自意識と葛藤しながら、エヴァンゲリオンの映画に自分がどう応答できるんだろうと、踊りを通じて考えたいと思ってきた気がします。

佐々木 応答、ですか。

岩渕 応答、ですね。室伏さんが亡くなった後も、彼が残してくれた表現物に、自分がどういう応答ができるんだろうと考えてきた気がします。室伏さん自身が「先生」のようなコミュニケーションを取る人ではなかったんですよ。ツアーに行っている間に飲みに行くと「俺はこう思うんだよ」と言ったうえで、「お前はどう思うんだ」と聞いてきてくれる。年齢や性別は関係なく、同じ考えでなくても良くて、とにかく話したい、みたいな。

佐々木 室伏さんの存在自体が問いのようですね。

猫のまだ(写真左)とまう(写真右)

岩渕 私にとっても、問いは大きいものから小さいものまでいくつもあります。哲学でもいいし、現代思想でもいい。もっと身近なことで言えば、奥さんとうまくいかないときや、猫の機嫌が悪いときにどう応答すればいいのかとかも(笑)。

そうした大小さまざまな問いに対してどう応答していけばいいのか。私にとっては、どう応答するかを考えるための方法の一つが踊りだったのだという気がします。


貞太さんのお話を聞いていると、「素直」と「頑な」という2つの言葉が浮かんでくる。人生において勃発する“事件”や“事故”に素直に身を委ねること。しかし、考えなしに生きているわけでは全くなく、むしろ、人生のどこを切り取っても続いている命題を頑なに追求し続けること。一見すると相反する2つの軸を持っていることで、どんな過去も、行先も、受け止められるのではないかと感じた。

翻って、私はどうだろう。

頑なではあるが、素直ではない気がする。しかし、過去を振り返ってみると、“事件”や“事故”に身体を開いているときは遠くに飛ばされこそすれど、時間が経ってみると良かったと思えることも少なくない。“事件”がなければ、文句を言いながらも会社を辞めていなかっただろうし、“事故”がなければ、憧れの東京に未だにしがみついていたはずだ。しかし、今となっては会社勤めを続けていたほうが、東京に住み続けていたほうが良かったとは思えない。そもそも、ろくでもない自分が想定することなど、ろくでもないのだ。

偶然に対して、素直に身体を開くこと。
そして、時間の射程を長く持つこと。

それこそが過去と未来を復縁させる術ではないだろうか。
貞太さんとお話する中で、そんなことを考えた。


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