見出し画像

私は精神障害者なんかじゃない

1. 甘える免罪符か二級市民の烙印か

…と考えている人の思考の素地に対する批判
何が言いたいか。鬱やADHD/ASDや双極性障害や統合失調症と診断された人で、精神障害者の手帳なり自立支援医療(精神通院医療)なりの制度を利用したくないし、合理的配慮も受けずに頑張りたいという人に対する批判。または、精神障害者に対してそのような印象を抱いている人に対する批判。

2.私と社会

 ここでは私が社会保障や合理的配慮を利用して生きるにあたってどのような哲学的態度でそのことを受容しているか、書き連ねる。

2.1 私ってなんだっけ

 私を規定するものは何だろう。

 学歴や性別や資格や納税額が私を規定するのだろうか?
 社会への貢献、能力や成果が私の存在意義なのだろうか?

どれも違う。私という物体や私という思考の主体は、素粒子が物理法則に従って動いた結果に過ぎない。そこに意味や良し悪しなど最初から決まっていない(内在的でない)。
 私が何か、その存在意義が何か、などというものは私が勝手に決めれば良い(或いは決めずに過ごすのも自然)ことであって、社会が勝手に規定することでもないし、受け入れるものでもない。

2.2 逆に言えば

 社会が私をどのようにラベリングしようと、私とその存在意義が毀損されることはない。私や私の存在意義などというものは、はじめから私だけのものであって、社会が規定するものではないからだ。うんこだろうが精神障害者だろうが無能だろうが運動音痴だろうが、そんなことは私にとって本質的にどうでも良いことであって、私はそんなことに左右されるものでは元来ない。

2.3 だったら

 社会がどのようにラベリングしようと私を既存することは絶対にないのだから、自分が楽になるように選択すれば良い。簡単なことである。私の場合は「ADHD/ASD及びその二次障害としての精神障害」を認めたことで手帳と自立支援医療の申請ができた(結果はまだ)。合理的配慮を受けられた。これは、得である。社会がどう思おうと私が困ることはなく、ただ、純粋に得である。ラベリングを認めるだけのことで得ができて、それ以外何の副作用もないのだからそれで良い。

2.4 認めてくれる、いや、すべからく理解する社会

 これまでの私の態度を見てきてガキのようだと思う人が多いだろう。これに回答しておく。まず、あなたが属している社会でこれが認められないようなら、そこは(言葉が悪いが)底辺である。次の項の内容で合理的配慮について論ずるが、これを鑑みて分かることである。
 そして、私を取り巻く社会(新潟大学理学部、同大学院自然科学研究科、同大学事務、一関工業高等専門学校、その他IT界隈の中でもWeb系や研究職などの部類の人たちが作る社会)では認められていて、全員がそのような態度で生きられることを相互理解して運用されている(私の観測範囲では)。
 学生だから認められているという話ではない。そもそも何か新しいものを作って社会に還元していくことができる人間はこのような態度で社会を主体的に運用している。社会とは、初めから存在して鵜呑みにして従うべきものではなく、自分が主体として意見し、また意見を受け入れて批判することができるものを云う。そのための土台として各自が抱えている問題を支え合うのは大前提であって、学校だろうが会社だろうが当たり前に運用されている。

3. 合理的配慮

3.1 合理的配慮に対する反発への反論

 合理的配慮の提供は障害者差別解消法(法律)の定める事業者の義務である。常識や社内規定など、法的に法律より下位にある規範がこれにどう反対しようと無効であり、すべからく棄却される。中学の公民参照。
 具体的に言うと労基がすっ飛んで来る。

3.2無用の用

 さて、合理的配慮は守られすぎの障害者特権ではない。
「無用の用」
をご存知だろうか?私が高専時代に国語の教員に教えられた話を紹介しよう。

「あなたが道を歩くとき、道の両脇に生えている草原や土地は無用である。ただこれがなくなって断崖絶壁になったら怖くて歩けたものではない。普段意識しないが常に必要としているそういったものを無用の用という。」

原文ままではない

いわゆる健常者が普段当たり前のように利用しているこの社会そのものがすでに健常者に対する配慮の塊である。配慮でないとは言わせない。上の例で書いたように意識すらしない気づきもしないあらゆる社会の側面それを無用の用という。配慮というのだ。
 これを当たり前のように享受しておいて、障害者、とラベリングした対象だけを特別視して「施し」のような態度で合理的配慮を提供してはならない。当然のこととして提供する必要がある。一番上で書いた通りこれに心理的にどう反発したところで、あなたの倫理的規範は法に勝ることが決してない。身の程を知って従うように。嫌なら私に言うのではなく国会議員に立候補してほしい(この法律を決めたのは私ではないし、そもそもこれを棄却する権利が私にはないので私に言われても困る)。

4. おわりに

 言うことがなくなったので適当に茶を濁すが、とりあえずまとめておくと

  • 合理的配慮は特別扱いを求めるものではない

  • 別に社会があなたをどのようにラベリングしようと気にするな

である。あとタイトル詐欺で、「私は精神障害者なんかじゃない!」と書くとそう思っている人たち、つまり読んでほしい人たちが食いついてくれると思って書いているだけで、私としては私が何とラベリングされようと気にしない立場である。
おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?