エプロン、ミシン、ゆかた。
引っ越しを期に始まった、「とにかく捨ててみる」チャレンジ。まずはハンカチから捨てました、という話がこちら→
捨てようと手にとった品々にまとわりつく「のに」…たとえば
「高かった“のに”」
「いつか使うかもしれない“のに”」
これらが少なめのハンカチから捨ててみるのは正解だったようで、ハンカチを捨てたあとは、少しずつ大きめのものも捨てられるようになっています。
引っ越し前にけっこうものを処分したつもりだったけれど、以前の家の半分くらいになった収納には、まだまだ入りきらない。もっとがんばらねば…。しかし、捨てる手を止める「のに」が多いのが
「いただきもの」「プレゼント」
です。
贈り物には
「せっかくいただいたのに」
「高級品なのに」
「まだ新品同様なのに」
「まだ使えるのに」
「いつか使うかもしれないのに」
こんな「のに」が、隙間なくびっしり貼り付いて、ゴミ袋に投げ入れるにはあまりに重い。す、捨てられない…っ。
でもですね。
何年も前にプレゼントされて、まだ新品同様のままだということは…
つまり、私はそれを使わなかったんですよね…。
使わずに、新品のままの贈り物。たとえば、ゆかた。
一揃えが、20年押入れに眠っていた。
…私、和服を着たこと、ほとんどないんですよ。七五三で着せられたのが最後なはず。窮屈な上に似合わなくて腹が立ち、カメラを睨みつけた7歳の写真が残ってる。
もちろん、自分ひとりで着られるはずもない。そんな私にどうしてゆかたを贈られたのか。思い出せないー。
それから、ミシン。
不器用だから家庭科はずっと最低点、何を作ってもうまくいかない、いまだにボタンつけもできないのに、もちろんミシンなんてまっすぐ縫えたことがないのに、どうしてこれを贈られたのか。雑巾くらいしか、縫いそうなものはないのに。
そういえば以前、結婚報告をした時に、「目上だから丁寧に接してはいたけれど同じクラスなら絶対一緒にごはん食べたくないような人」に、ピンクのふわふわしたエプロンをお祝いだと贈られたことも思い出した。あれは、物には罪はない…と何度か我慢して使って処分したなあ。
ほとんど使われないままになった贈り物には「せっかくいただいたのに」「まだ使えるのに」という私自身の「のに」の他に、送り手の
「あなたはこういうのが似合うべきなのに」「結婚したら、かわいいピンクのエプロンで料理をするべきなのに」「ミシンで、素敵な手作りをするべきなのに」「ひとりでゆかたくらい、着られるべきなのに」
という「のに」が、くっついている。ような、気がする。気のせい?
もちろんそこには善意しかなくて、贈った人たち自身がそれらを使いこなして便利に感じているからこそ、私に贈ってくれたんだとはわかる。私にそれらがふさわしいと思ってくれたのもわかる。わかるんだけど、その品を見ると「私はそうはなれなかった」と思って申し訳なくもある。だからなかなか捨てることができなかった、のかなあ。いつか期待通りの人になりたいと思ってて、でもなれなかったし、本心ではなりたくなかった。
たくさんの「のに」がついた品物に「ありがとう、でもごめんなさい」と感謝とおわびをして、さようならする。
私は、みなさんの贈り物が似合うような、期待された人ではなかった。でも私、そんな期待はずれの私のことが、今はそんなに嫌じゃないんですよ。
黒い麻のエプロンで、なんだかよくわからないごはんを、自分のためだけに作る。ハンドメイドはあきらめた。いつか着たくなったら、自分の好きな柄のゆかたをあつらえてもいいかも。もちろん着付けはプロに頼もう。
贈り物をありがとう。その気持ち、ありがとう。みんなの理想通りの人ではないかもしれないけど、私はこうして元気でやってます、安心してね。
それにしても、贈り物はむずかしいですね…私も、渡した瞬間相手が微妙な笑顔になるのを、これまでに何度も見て「あ、失敗した」って思ってきたし。
なんか、ものじゃなくて「今日、あなたと話ができたことが贈り物だよ、ありがたいよ」みたいな…そういう人になれたら…いや、それがいちばんむずかしいですね、きっと。
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