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雑雑

何かこう、頭の中をどうにかせんと、次のものに手がつかん、という有様で、何がどうしたとかそんな具体的なものなどはないのだけども、食べても食べても何にもならん、胃はもたれるけど上からも下からも出せやしない、かといって何も身になってないような気がしていて、とりあえず文字を打ち始めたのだった。

五月病といえば容易いのだけども、冬が終わった途端すぐ初夏がくる、あれ春は?春はどうしたんシフト入ってなかったっけ?え、勝手に夏と交代したん?夏その後どーするん通しで入るん?みたいなあのグダグダな感じ、どうにも気色が悪くて毎年好きではない。だがそんな季節に私は生まれたらしく、別に他の季節にしてくれたって良いのだけども、この社会にはどうしてか生年月日を個人を識別する情報として活用する悪癖があるがために、生まれてから40年に渡り、5月生まれを余儀なくされている。

そう、40代になったのであった。

人に歳を聞かれれば「今年何年でしたっけ…?」と計算から始めようとするくらいには年齢に興味を持てない人間であったのだけども、40代になるのはさすがに「おおおお」という気がした。頭の痛い子ならば一度は考えたことがあるはずの「30歳で死にたい」というあの謎の願い、当然私も思ったことがあるのであるが、だからなのか、どこかで自分には40代などこぬ、と思っていたのかもしれない。40代って実在するんすねーみたいな気持ちが、今もまだある。

40代になったからと言って、変わったことがあるかといえば、残念ながら特にはない。ただ、変えたことはあるように思う。せっかくだからとスーツを仕立てたり、タトゥーを入れたり、常連さんにかまってもらえるよう撮影会を仕組んだり、自分で自分に記念や思い出が残るように動いていたのは、それまでの自分では考えられない行動力であった。正直それを計画していた39歳の時の私は、ワクワクしながらも不安で仕方がなく、これちゃんと楽しくなるんかな、やらなきゃ良かったにならんかな、もっと考えてからでいいかなぁ、と毎日心をドブのように曇らせていた。30代になる頃には「20代の内に指パッチンができるようになりたい」と小一時間特訓した後に指が可哀想になりやめている私なのだから、やることが急に陽キャ味を帯びればそら怖くもなる。

結果的に全てやって良かったなぁ、になって安心しているのであるが、やって良かったなぁ、もさることながら、やれる私に変えることができて嬉しいなぁ、と思っている。変わったし、変えたよねぇ、人生らしくなってるねぇ、と思う。こそばゆい。

社会に出た頃には「何年働かす気やねん」と定年制度とまぁまぁ長い人間の平均寿命を呪ったりもしたのだけども、今の私は「後何年働けんのかな」と不安に思うことが多く、まだ撮れてない写真のことや、自分がすべき努力のことを思っては涙腺を壊すなどしている。そうして生き急ぎたい気持ちを持ちながら、体力は確実に落ちているのであって、心の中に砂時計を飼っている気持ちになる。

今は少し、年を取りたくねえなぁ、と思う。残りの人生で押せるシャッター回数のことを、このところ毎日考えている。

雑文!

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