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α7と私

あれは何年前だったであろうか。少なくとも私は30代、時代が平成と呼ばれていた頃だったと思う。私は中古でα7というカメラを買った。

私は長いこと「写真は好きでもカメラは嫌い」という複雑な感情を腹に抱えていて、それは主にあのカメラの偉そうなデカさと重さ故であった。育つということに対して意欲のなかった私の手はとても小さく、また握力も皆無で、そんな私の手にフルサイズのデジタル一眼レフカメラはどれもこれも大きく、そして重かった。カメラの必要性は十分分かっていたし、カメラの歴史で考えればこれでもコンパクトになっているかはもちろん分かっていたが、頭では分かってても指先が痺れていては仕方がないのだった。

そんな私の前に現れたのがα7であった。

カメラ好きの後輩の首から下がっていたα7は二度見するくらい小さく、触らせてもらうと尋常じゃない軽さで、さながら新生児を抱いた時のような反応をしてしまうほどだった。それ程小さいのにフルサイズ、しかも露出がすぐ分かるという、それまで持っていた某APS-C一眼レフの面倒さを一気に解決してくれるα7に、私は速攻で惚れ、すぐさま購入した。中古で8万円くらいだったと思う。

それから外に出る時はずっとα7と一緒だった。α7は私に色んな世界を見せてくれた。それまでAPS-Cにズームレンズをつけていた私にとって、ボケ味というものは都市伝説か何かだと思っていたが、フルサイズのボケは圧倒的だった。これは私の写真の組み立て方に対する考え方をより明確にしてくれたし、レンズに対する理解度も深くしてくれた。現像もちゃんと勉強するようになった。何より撮る時のストレスが大きく減り、代わりに「写真楽しい!」と思える瞬間が増えた。これは、私の人生において十分改革と呼べることだと思う。α7の与える「写真楽しい!」がなければ、独立もしなかったであろうから。

しかし、そんなα7との付き合いも一生は続かないのだった。

仕事でのメインの撮影はα7Ⅱに任せていたが、サブ機として、また遊びに行く時の同行者として、α7はまだまだ活躍していた。しかし、ある日α7が急にこんなことを言い出した。

「エリアを設定して下さい」

これは、カメラの初期設定で1番最初に求められる、居住区域の設定である。この時はまぁこんなこともあるか、と「日本ですよ」と教えてあげた。

しかし、α7の「ここはどこ?」はその後も度々起こった。「ここはどこ?」の次には必ず「今は何年何月何日?」がくるものだから、お前タイムスリップでもしたんか、と悪態をついてしまうこともあった。たまに面倒で設定しないまま撮ってしまい、真夏の写真が2013年の元旦の日付になるなどした。

基本マニュアルレンズをつけていたから気づかなかったが、AF機能のついたレンズが認識されなかったりすることもあり、薄々「そろそろかな」と感じてはいたが、ついに決別を考えざるを得ない時期がきた。電源を入れる度に毎回「ここはどこ?」と聞かれるようになってしまったのだ。

「ここはどこ?」
「日本だよ」
「ここはどこ?」
「日本だってば」
「ここはどこ?」
「さっき日本て言ったでしょ」
「ここはどこ?」

同じことを何度も聞かれることに耐性のない私の頭の中に、血管の切れる音が聞こえた。

「日本に決まってんだろ!島国からそんな簡単に出れねえよ!」

そこから私はα7の「ここはどこ?」に返事をしなくなった。代わりに新しいカメラを探し始めた。友人からカメラ屋のセール情報を手に入れ、まぁ次買うならこれかなぁ、というものをネットで購入し、α7の下取りを依頼した。α7の下取想定額は約3万円で、思ったより高かった。

私は8万円でα7を買った日のことを思い出した。下取りが約3万円だから、5万円で私の手元にいてくれたことになる。

5万円か…と思ったら、急に何かが決壊した。α7の価値は、決して5万円の数値に収まるものではなかった。α7以外にも、手放したカメラはいくつかあった。でも、その時はこんな気持ちにはならなかった。

独立したての頃、ミラーレスのα7はまだ馬鹿にされていた。私も色んな現場で色んな理由でナメられていて、そんな私にα7は最高の相棒だった。一緒にいてくれたのがα7だったからこそ「見返そうね」という気持ちになった。周りのカメラがどれだけ画素数を増やそうと、どれだけ機能を追加しようと「私達の写真の価値には関係ないよね」と励まし合えた。そんなことを思えたのは、α7だけだった。元々中古で買ったα7だから、一生が無理なのは分かっていたけれど、できる限り長く一緒にいたかった。壊れるならせめて明日にしてね。それを毎日思っていた。

下取りに出す数日前、最後のお出かけをしようと思ってα7の電源を入れた。すると、いつもの「ここはどこ?」はなかった。「今は何年?」もなかった。代わりに、こう言われたような気がした。

「出かけますか、どうせ遠くには行かないでしょうけど」

久々に触れた、正気のα7だった。私は「なんでこのタイミングで」と思ったが、「このタイミングだからだ」とも思った。

いつも通り、近所を撮った。いつも通りの枯れた花。いつも通りの錆びた自転車。いつも通りの木漏れ日、いつも通りの古びた街並み。いつも通りの散歩が、これからは全て過去になる。右肩から下げたα7の、軽さと重み。

その後、α7は当初の想定査定額よりだいぶ安い値段で下取りをされ、代わりにα7ⅲが届いた。α7に比べればだいぶプロらしい面持ちのカメラで、私は数日人見知りをしていたが、大人なので少しずつ歩み寄っている。

9月、まだ気温は高いが、日陰はだいぶ涼しくなった。ちょっと散歩に出ようかな、と思う度、まだあの軽さと重みを思い出す。



追記
私の買ったα7ⅲ、整備してくれたのがお客さんだったらしく(カメラ屋にお勤めだったらしい)、時間はかかりそうだけどちょっと仲良くなれそうな気がしてる

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