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今年の目標

人の人生を勝手に区切ってんなよ、くらいの気持ちでいる人間なので、あまり「今年の目標」というものを立てた事がないのであるが、今年はある。言った方が守る気がするのでここで言っておく。

今年は、というよりも、去年からずっと思ってはいて、でもなんやかんやできていなかったことを今年から改めてちゃんと意識をしたいと思っている。具体的に言うと、言葉の使い方だ。とある2つの言葉をできる限り使いたくないな、と思っている。

まずひとつ目は「普通」という言葉である。

「普通」という言葉を、私は「一般的」とか「大多数」という意味で使うのであるが、世の中には何故かこの言葉を「正常」という意味で使う人がいる。何故かいる。一定数いる。そういう人間と交わす会話はよく分からないことになる。例えば私が「普通卵かけご飯には醤油だよね」と一般的な例を示すために「普通」という言葉を使っているのに、相手は「普通そうだよね、ソース使うとか意味分かんない」と誰かを異常扱いする為に「普通」という言葉を使っていたりする。「普通」という言葉を、自分を正常化する為に使ってないか?とすら思わざるを得ない人もいる。吐きそうになる。

後、たまにこういう人間もいる。「普通って何?」みたいなことを言う人間。こういう人間と打ち合わせをすると終わらなくて地獄である。こっちは「普通のお客さんはこれを選ぶ」と一般的な例を示すために「普通」という言葉を使っているのに、相手は「普通って何?」と型にハマらない自分を気取るために「普通」という言葉を使う。うるせえ。

そんなこんなで「普通」という言葉がある場所に幸せは少ない。だから使いたくない。「普通」という言葉自体はもちろん悪くないのだが、多分人間側がこの言葉を使いこなす器にないと思う。だからせめて私は使わないことにする。できる限り「一般的」とか「大多数」とか「平均的」とかいう言葉を使いたいと思う。

もうひとつの言葉は「ない」である。

これは使わない、というよりも、「ない」という表現をしたくない、と言った方が正確かもしれない。

例えば私には色んなものが「ない」のであるが、最近、もしかしたら一般的な恋愛感情が「ない」のでは?と思うようになった。なので、誰かにそういう話を振られた時に「自分恋愛感情ないんすよ」と早々に言うことにしていたのだが、最初こそ「話が早く済んで楽だぜ」と思ったものの、「恋愛感情がない」と言ってしまうと、「誰のことも好きにならない」と誤解されてしまうことがあり、それがどうにも腑に落ちなかった。

いや、私は私なりに人を好きにはなる。ただそこに性欲や独占欲や結婚願望がなく、恋愛感情とは呼べないかもしれないというだけの話だ。なのに恋愛感情が「ない」と言い切ってしまうと、私なりの好きという感情も「ない」ものにされてしまう。私にとっては、間違いなく至高の感情なのに。

他にも色んなものが「ない」のだが、それも「ない」という言い方をしない方が良かったな、と思うことが多々ある。「ない」という言い方をしてしまうと、当然であるが「有無」の話になってしまい、そこで私と対象との関係が断ち切れてしまうように思う。

私は動物に興味は「ない」が、SNSで流れてくる動物動画にふふっとなることくらいはあるし、ロリータを着たいと思ったことは「ない」が、撮影するのはとても好きだし、ファッションとして尊敬の念がある。どうせなら、この「ある」部分を語りたい。「ない」ものよりも、「ある」ものの話を。

まぁなんか、「普通」も「ない」も、使い手側の私より、聞き手側の問題な気がしなくもないんですけどね。頑張ります。使ってたら指摘してもいいけど限界来てたら「お前はどうなんだよ」とか言いそうですが。

そんなのも乗り越えて、さらりと自分なりの話し方で、大事な人達と会話をできる自分になりたいものだと思っております。

賀正!

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