櫻井くん夢cp001

【徒然】私と嵐と嵐の櫻井君の話。

2019年1月27日。アイドルグループ「嵐」が2020年12月末での活動休止を発表しました。

私は島根県隠岐郡の知夫里島に2018年4月末に移住して以来、嵐のあの字もほとんど出さずに、のほほんと暮らしておりますが、実はひそやかに嵐を応援しておりました。

今は思うところありファンクラブにも入っておらず動向を逐一追うこともありませんが、彼らには、思い入れと愛と感謝を持っております。

まじで、愛と感謝しかありません。

なので、活動休止に際して、「私の嵐に対する愛と感謝の思い出」をnoteにも書いてみたいと思います。


ファン歴は短く、2013年から。その当時は東京に住んでおりました。

以前から嵐のことは知ってはいたものの、二宮君かわいいな~、大野君ってうちの弟に似てるよな~、とか、松潤って派手だけどザ・ジャニーズという感じで好かんな~

という程度でした。

が、昨年2013年春ごろ、「嵐のライブがスゴイらしい」というお話を聞き、
興味を持った私、ライブのDVDを(なぜか)ファンでもないのに購入し、観てみたのです。

私の中で「オラオラ系」「クール」系だった松潤が、もしかしたら私の思っているような人ではないのでは??・・・とものすごく気になりだします。

そして気づいたら、嵐のメンバー5人が全員大好きになっていました。それが2013年の5~6月頃。
そして、その年の夏の終わり、私の離婚が決まりました。

辛かった時期に、嵐の曲を聴いたら歌詞が心に沁みて沁みて、大泣き。嵐の曲と、嵐の存在に、あの時期を支えてもらいました。

当時の旦那さんと最後に観に行った映画も、松潤と上野樹里ちゃんが主演の『陽だまりの彼女』でした。
この映画の内容も、私たち夫婦と何か絶妙にリンクしていて、夫婦ふたりで映画館で号泣(笑)。映画館を出た後、なんとなしに二人で手を繋いで帰宅した思い出があります。旦那さんと私との今世のご縁を、まあるく優しく包んでくれるような、すてきな映画だったなあ。

あの時期に、嵐に出会ったのは何かご縁があったのではないかと思うくらい、嵐は、私を支え、サポートしてくれる存在でした。

そして思い込んだら一直線、どんどんハマるさとみさん。離婚したら絶対ファンクラブに入るぞ!!!と決意し、離婚後、即実行。

離婚後は、単身名古屋に引っ越して、離婚が決まった直後から通った学校で取得した「足もみ」の技術で独立開業を試みました。もともと不妊や目眩や虚弱体質などの不定愁訴の改善のために趣味で始めた「足もみ(足裏マッサージ、リフレクソロジー)」にドはまりし、毎日自分と旦那さんの足をもんでいた私。子どもができないまま離婚が決まった時に「あ、私の人生、なんもねえ。守るものもねえ。そしたらもう、好きなことで生きていこう」って腹をくくったのですね。

アルバイトを掛け持ちしながら、足もみ師として活動しはじめ、ブログやSNSで宣伝活動をしながら日々馬車馬のように大回転していました。

そして、数か月たったころ。

私のパソコンの調子が悪くなり出しました。

接続スピードが格段に遅くなり、パソコンも、文字を打っても表示されるまで数秒時間がかかったり、「s」のキーが反応しずらくなったり。
困る~、どうするべ~、と思いながら過ごしておりましたら…

夢に、嵐の櫻井翔くんが出てまいりました。

櫻井くんが夢に出てきたら、パソコンの調子が良くなった。ほほう。
この様子をfacebookにつらつら綴ったところ、友人達から反響がありました。

私、ふと思いつきました。

夢で櫻井くんを見続けたら、パソコンが復活するんじゃなかろうか、という旨を、facebookにつぶやいたところ、私の知人の、夢に詳しいカウンセラーの方が

「夢ってね、意識したら誰を登場させるかくらいなら、わりとコントロールできるんだよ」

とのサジェスチョンをくださいました。

なるほど。

それでは櫻井くんを1週間、夢で見続けてみよう!!!

という訳のわからない探求心に火が付き、「1週間、夢で櫻井くんに会い続けよう」キャンペーンをひとり開始することにいたしました。

思い込んだら一直線の私。毎日櫻井くんに想いを馳せ、頭の片隅に櫻井くんが常駐するように意識。画像や映像で櫻井くんを見まくり、就寝。起きたら夢日記をつける。その様子を毎日facebookにアップ。(もはや仕事のようである)

友人達に励まされ、夢に詳しい方々から「どうやったら同じ人を夢で見続けられるか」のポイントを教えていただき、なんとか6日間櫻井くんを夢で見続けることに成功!!

そして最終日。ついにこのような境地に到達。

くだらない好奇心が、櫻井くんによって職業的関心へと昇華。そしてそして、ついに7日間、無事に櫻井くんを夢で見続けることに成功したのでした。

7日めは、もはや前頭葉が痛くなって頭がくらくらしておりましたが、無意識の領域である夢をコントロールするという新たな世界へと私を導いてくれた櫻井くん。

そして何より、私は松潤ファン(ファン用語では潤担という)だったはずなのに、夢を見続けるために櫻井くんを常に意識して過ごしていたら、櫻井くんの足がもみたくて仕方がない「櫻井の足担」になっていました。


当時は、まだまだ駆け出し足もみ師でバイト掛け持ち、お金に余裕のない中、来年のファンクラブ会費は払えないかもしれない状況でした。今年、どうしてもライブに行きたい。ライブに行って私を支えてくれたお礼がしたい。交通費や宿泊費も出す余裕がないから、私の住む場所=名古屋のライブ限定!どうにか当たってくれ!!!

…と応募したライブが、念力が通じたのか当選。しかも会場は名古屋。

当日、会場に行って判明した座席がアリーナ席のステージ真ん前、「櫻井ゾーン」という場所だったというオチまで付きました。


・・・

渇望していた初めての、そして最後になるかもしれないライブ。

予想では、もっと「キャーーー!!」って大興奮するはずだったのですが、
予想外に、感動しつつも冷静にライブを観ておりました。

なぜならば、嵐のメンバーやステージを盛り上げるジャニーズJr.の方々、
それらを支えるスタッフの方々が、本当に真のプロフェッショナル集団だったから。

超多忙な中でここまでの水準にパフォーマンスを持ってくる実力と裏側の努力と覚悟みたいなものに、戦慄に近い畏怖の念を覚えました。「吸収できるものはぜんぶ吸収して帰りたい」と思いながら観ていました。私も体を扱う分野でプロフェッショナルになりたい、と思いました。

あれから数年経ちました。

私はまだまだ生ぬるいまんまです。甘いなあと思います。嵐に並び立てるなんて微塵も思いません。でも、そんな私を受け入れて、自分を信じて、人生のステージの変化の中で、ゆっくり、ゆっくり、体験を蓄積しながら、体を扱う分野の学びを、永遠に続けていこうと思っています。


そして大野くん。



大野くんは、10代のころから走り続けて走り続けて、ずっと違う世界への興味を持ちながら、ひたすらに責任を全うしてきたように思います。

ライブ中の大野くんは、なぜか目がひきつけられてしまう独特の存在感と、遠くにいるのにすぐ近くにいるような、境界線を溶かす力のようなものがありました。この人すごいな、と素直に思いました。

お休みする選択ができて、自分を自由にしてあげる選択ができて、本当によかったなあ、と私は思います。

彼ももうすぐ40代、新たな世界を見に行きます。

私も今年40代突入。移住した知夫里島にて、人生が新たなステージに入りそうです。

奇遇だね。40代、自分を生きることで見える新たな世界を、お互い楽しもうね、と、蔭ながらエールを送りたいと思います。

そして、気が向いたら知夫里島に釣りに来てくれたらうれしいなあ、なんて思っています。そしたら大歓迎だけんね~!!!


・・・

ということで、以上が私の嵐との思い出でございました。

次回からは、また知夫里島での日常などを書いていきたいと思います!

むらもとさとみ


読んでくださってありがとうございます。知夫里島に興味を持ってもらえたらうれしいし、RTやシェアして頂けたらさらにうれしいです。