わたしのおとうさんのりゅう 〔第8回〕
よいおとうさん悪いおとうさん
以前、私が、ネコ肉屋になんとなく父を重ねていたことを話しました。私が『キャラバン』と『緑のカナリア』をこんなに好きだったその理由は、ピピネラの生き方に刺激されたというのもありますが、同時に、「窓ふき屋」に惹かれたというのもあるかもしれません。
医者で、動物語ができて、あらゆる動物たちから慕われ、尊敬され、医学博士で、アマチュア音楽家で、本も書いてというドリトル先生が、私にとっての「よいおとうさん」(のモデル)としたら、「わるいおとうさん」は、窓ふき屋かネコ肉屋に相違なく、どこが「わるい」かというと、得体のしれない職業ないしは素顔を持っているところ。何かを隠しているところ。漂流するか、行商してあるくかというところ。そして「わるいおとうさん」は、実は「ほんとうのおとうさん」でもあるわけで、「よい」は「わるい」で、「わるい」は「よい」で、それなら「よい」ドリトル先生も、冒険、興行、非定住という点で、「わるい」にどんどん近づいていくのです。
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