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闘病生活365|病気とアイデンティティ

病気とアイデンティティ

36年間、私は私のアイデンティティに病気をいれたくなかった。
双極性障害(統合失調感情障害)は私を形成する要素の一つだけれど、私を包括的に統合する要素ではないと思っていた。そうあって欲しくなかった。

もうすぐ私は私の人生の37年目を迎える。今まで自分の創る『こうあるべき』に苦しんできた分、37年目は自分というものの認知を変えようと決めた。

普通になりたい

ただ、普通になりたかった。病気を言い訳に、社会に出てない人たちのことが嫌いだった。平日5日8時間働いて、税金を納める人になりたかった。それができない人は人間失格だと思っていた。

つまり自分は人間失格だと思っていた。

何度も転職を繰り返し、その度に発症する。週3日働けるようになったと思って負荷を増やしたら発症する。ここまで稼げるようになったら、一人暮らしできると思って生活を変えたら発症する。誰かを好きになったら発症する。

どうやら私は働かないんじゃなくて、働けないんだということに気づく。
そして、そうゆう人間がいてもいいことを37年目にして学んでいる。

人間が創った社会ごときが社会の問題を全て解決できるわけじゃない

精神科医でYoutuberの益田裕介先生が自身のYoutubeチャンネルで言っていた言葉がじわじわと胸に沁みてきている。私の想像していた、理想としていた『普通の人』は存在するのかもしれないけれど、そこに当てはまらない人間はごまんといる。そしてそうゆう人が社会に存在するのは当たり前なのだということ、それを含め社会だということを今学んでいる。『イワシの群れにも活きのいいのとそうじゃないのがいますよね?人間の世界でもそうです。』と言っていたのも深く心に刻まれる。人は自然の営みの中で生まれてきた。その、自然に生まれてきた『人』が作った『社会』という概念の中で、大多数に定義される『普通』とされる人だらけで、社会ができているわけない。少数派がいるはずだ。私が病気を受け入れられていないのは、社会というものをまるっと知らないからだ。

働けない人の世界

働けない人は人間失格なのか?いや、人間として生まれてきた限り、生きるシステムが体に内蔵されている。命を授かった時点で人間合格なのである。
私の体は、ただ、人間が作った仕組み『社会』の中で、『社会生活』を営みにくい体に生まれただけなのである。

セーフティネットがある

日本には憲法で守られた生存権という権利がある。国民が人間らしい生活ができるように、これに必要な条件をととのえてくれるよう要求する権利のこと。らしい。
日本に生まれた以上、国民は、私は、この権利を持っているのだ。素晴らしい考えだ。そして、私は、7月からこの権利を主張して、生活保護を申請している。

生活保護を申請するということ

今年の5月6月は、このことをネガティブに考え過ぎて、稼げない自分のことを否定したり、こんな人間存在価値がないという理由で希死念慮が出たりと大変だった。7月、申請してから妙に開き直れるようになり、楽になった。そこに至るまでは、先述した益田先生のYoutubeを拝見して、自分の認知を変えるのに、たくさんの時間をかけた。

価値観を変える

負け組とか、穀潰しとか…自分を否定する言葉はたくさん出てくる。でも、よく見てみたら、私が健康になるように気をつけて生きているだけで幸せそうな両親、家族が存在するのである。彼らを笑わせたり、和ませたり、時には当たったり当たられたりする中でお互いを支え合っているのである。私の応援するYoutuberやタレント、俳優さんは私のいいねで活動の励みを得るのである。私の存在価値は、稼ぐ、稼がないとか、そんな次元にあるのでない。ただ資本主義社会に生まれて、稼ぐことが価値あることという価値観のもと生活してきたが、人間の存在価値というものはそんなところにはない。命はもっと大切にされて然るべきだ。そして、自分の命を大切に思うのは、第一に自分であるべきだ。

病気とアイデンティティ

私のアイデンティティは病気によって形成されることもある、というのが結論。それが、普通とかけ離れているとか、説明しにくいとか、そんなことで自分を否定することがあってはいけない。調子がいい時と調子が悪い時があるのが自分。社会で働けるようにいま調整しているのが自分。調子が悪くなると入院してしまうのも自分。そんな自分をコントロールできるように物理的にも、精神的にも、居心地の良い生活の組み立てを模索している。それが今の私であり、私の人生のテーマ。


病気と共に生きてきたから、見えた景色がある。病気を決して否定しないこと。

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