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言葉について言葉にすることの難しさを対面で向き合うことで見えてくること➖『翻訳できない わたしの言葉@東京都現代美術館』➖

東京都現代美術館にて展示されている『翻訳できない わたしの言葉は私にとってとても深い展覧会になっていた。親愛なる美術の友である友人のキュレーションなので楽しみにしていた。実際に見ると楽しみ以上に発見が多かった。


1:言葉が、翻訳が私にとって重要である理由

ここで「言葉の重要性について」整理してみたい。私にとって「言葉」はとても重要だ。なぜか。それは翻訳という行為が近年の私には生きるために必要な手段になっているからだ。

お世辞にも英語が堪能とは言えない私。だけど、なぜか近年国際派である。10年ほど前から東南アジアに居住して2022年に本帰国。そして息子がカナダの大学に入学してそれにより現在は北米にも縁が出来た。今後は北米メインになるかなって思っていたらマレーシアやシンガポールの縁はまだ続いている。そして今年からは積極的に台湾と韓国との縁を築きたいと思っている。


不思議である。


正直、2022年8月に日本に本帰国した際は3年くらい神奈川県から出ない生活をするだろうと思っていた(今考えたらそれはない)。しかしなぜか国際活動は続いている。もちろん無言でも不可能ではないが、そこにコミュニケーションはあったほうがいい。私にとって、言語が堪能ではないため、母語である日本語以外を読み、思考し、考えをまとめるのは苦行である。そしてそのために「翻訳」は不可欠なのである。

ちなみに、国外に住んでいたときは国を跨ぐことにあまり抵抗はなかった。隣の都市に行くような気分だった。でも日本に戻ってからはなぜか国外に出る際にすごく意識をする。なぜだろう?
それは私が日本を拠点にしたことで「出発とゴールが母語」になったからではないだろうか。

そう思うと「母語の大切さ」というものが自分の中に再認識されるのである。言葉とその人の形成の関連性を感じるのである。そして「言葉が形成する人間性(人権)についての意識について考えずにはいられなくなるのである。


2:そもそも言葉って、母語って何と問いかけられて

この『翻訳できない わたしの言葉においての言葉はとても重要な役割だけど、具体的な定義を示していない。それはその人の中の言葉のセットの仕方が人それぞれだからではないだろうか。

そして言葉という存在には多くの方法(記載、記録、生の発信)がある。それぞれに大きな意味を感じることを強制的に実体験する場でもある。

今回、私が上記に定義した「言葉」について多面的に深く再考する機会を得たのは「マユンキキさん」とお話できたからだと思っている。

マユンさんは映像やテキスト、そしていつも使っている様々なものと一緒に展示室にいる。彼女そのものがいる。(ちなみにこの部屋は通行の強制はされていない。この選択した結果彼女と彼女の世界そのものに向き合う、という動線はとても考えられていると思う)。

マユンキキさんのトークはのこの展覧会では私の中でとても重要なファクターになった。彼女の話す言葉は映像作品とリアルが行き来する。まさに言葉の多面性。これは鑑賞者は試されるけどそれ以上に展示されるマユンさんに本当に勇気が必要なことだと思う。正直すごいと思った。


3:言葉を「その人を動かす乗り物」と定義したら

そして、言葉の定義がこの展覧会を通じて私の中で変化があった。
今までの私は「言葉とはその人の一番下の根底を形成する土台のようなもの」と思っていた。その一番下が母語。そしてその上にいくつもの言葉が重なっているのだと思っていた。

マユンキキさんの言葉から私は「言葉はその人の全部を形成してる土台ではなく、その人の世界の中に入り込む乗り物のようなもの」、と解釈を変更した。彼女が話す映像と実際の言葉を通じて「どの言葉をどのように自分の中にどう入れるか、どのくらい入れるか、入れてどう動かすかはそんな簡単に決められるものではない」、と自分で感じたからだ。

この「言葉を入れる」作業では「入っていた言葉を取り出す(強制的に取り上げられる)ことにもなる。なぜなら人間一人の内なる世界は広さがあるから人によってはいくつもの乗り物を入れられないから。つまり、入れる場合は取り出す場合もある。つまり今まで乗りこなしていた言葉を出さなくてはいけない。子供が自分の意思に関係なく転居することになったり外国に連れて行かれたり強制的に留学させられるのがこれに当たる。今まで愛してきた言葉を取り上げられることで取り上げられた側は「今まで通りに動けなくなる」。これは辛い。大人になってからの転居を経験した私でも辛かったのだから、これを世界が小さい子供なら尚更辛い。

私は映像を拝見するにつれ「自分は小さな子供から日本語という言葉の乗り物を取り上げた行為について本人に対して本人が納得できる説明、謝罪してきたか?」と強制的に振り返ることになり、呆然となった。自分以外の小さな人間が生きる過程での「言葉」について私はなんて配慮がなかったか、と猛烈に反省した。
結果として私の息子は2つの言葉(乗り物)を乗りこなしてるように見える。そして困ってる私を助け続けてきた。息子は私が困った時常に通訳をしてくれた。私は助けてもらってたばかりだった。
でも彼は私を助けながらどんな気持ちだったのか、自分の考えがとても足りないことに気がついた。

「言葉を変換してもらう行為」が労力を使うことはわかってたつもりだったけどやっぱわかってなかった。

強制的に連れて行かれた土地で、その言葉を使いこなせない人はどんな気持ちなのか、は常に私自身が考えてきたことだ。これは別に日本人だから、アジア人だからではない。
わかりやすい例ではトランプ元大統領メラニア夫人はこの「言葉」について本当に苦労していたと思う。

そしてこの展覧会では「発音ができない」だけじゃない。体のハンディから今まで話せなかったことが話せなくなる、というテーマについての展示もあった。

「今まで話せなかったことが話せなくなる」というのは大人になってから外国に家族の都合で転居した(自分の意思が最前線ではない)私もなんとなくではあるが自分に置き換えてみたりした。
 自分が全く話せない、理解できない言語の世界に放り込まれるのは「自分が話せない、理解できない」と状況的には近さを感じたからかもしれない。
使う言葉は種類だけはない。手話であったり、視線での会話であったり。伝えるということは多くの手段がある。そしてその手段おいてのマイノリティ、マジョリティに属することでものすごく辛い気持ちになったことを自分のことのように思い出した。

これはやはり「自分が多言語世界に晒されていた」経験が大きな影響を与えている気がする。この「自分が乗りこなせない乗り物(言語)が駆け巡る世界」に投げ出されることが重要なんだろうなと感じたり。そして違う言語が駆け回る世界を見ることが出来てることはその世界を知らない人からしたらものすごい幸運であることでもある。この自分の環境をどの面で見るか、という視点を持てるかどうかも重要ではないだろうか。(同時にその視点を持った人が感じる苦しみ、悲しみも忘れないでいたい)。

 「言葉」に真剣に向き合わないとその人の尊厳を傷つけることになってしまう。この「言葉」や「表現」についてどう向き合うか。そして真剣に向き合う人に対してとても不誠実な人がいる。その不誠実な人について私自身が強い憤りを感じることがある。でもこういう人たちをなんて呼べばいいんだろう。って思っていたらマユンキキさん、田村かのこさんが「人権ライトユーザー」と読んでいて思わず感服した。


4:考えてみようと思う人は自分が思ってる以上に沢山いたよ。だから


この文章を書いている時までに、私は展覧会を2回拝見した。のだけど本当に多くの人がとてもしっかり言葉に向き合っていたことを嬉しく感じた。

外国の方が増えている東京、様々な背景の人が増えてきた日本。

言葉について、言葉の背後について、言葉そのものについて、言葉を発する人について考える状況になっている。この展覧会はその考えを深める場所として、とても良い場所になってると思う。
言語教育の前に大人も子供も「言葉そのものに向き合う」ことから始めなきゃって気づける素敵な空間。

人が生きる過程で意思疎通に使う「言葉」。言葉を使う人の想いを自分はどれだけ考えてなかったかを思い知らされるとても深い、深い展覧会。自分の子供や身近なお子さんの言語教育について考えてる人は絶対行ってほしい。行って感じることができれば自分にも相手にも言葉について優しくなれるはず。
あと数回行きたい来たいと思ってる。そして記録集、すごく楽しみにしています。

翻訳できない わたしの言葉』。展覧会は7月7日迄。夏休みに届かないのが残念。多くのお子さんと、お子さんを見守る大人に見てほしい。