[後書き] 寂光の弔い

プライベッターで2016年に書いたものです。
自分の5年前の文章自分にとってはただの黒歴史なんじゃ~~という気持ちもありつつ当時の勢いも大事だよな…と思って…そのまま持ってきました…。

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寂光
… 安らかで、静かな光。真理の寂静とその智慧の働きとしての光照。

寂光土
… 生滅変化がなく,煩悩による乱れがなく(寂),智慧の輝く(光)ところと説く
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%82%E5%85%89-525436
(仏教用語ではあるけど、宗派は違うので詰めがちょっと甘い…)


1)大倶利伽羅の欲に対する意識の変化
2)大倶利伽羅が光忠に「寂しさ」を告白することによって寂しさと決別すること
3)一番最後の3ページの光景と、光忠の心情

のトリプルミーニングのつもりでした。
寂しい光、って言葉の並びがすごく綺麗で、大倶利伽羅くんの眼光に形容詞としてつけたい字面だなって思って。

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■表紙

なので、彼の表情と、瞳に目が行くように色味とか構図とかを整えました。
黒い帯の部分は『LIFE IS BEAUTIFUL』と対になる夜空にして、上下に空きを作ることで光忠の刃紋に見せたいなって下心も…あんまり見えないですけど…気持ちだけ…。
「眼帯」や「龍」、本文でも意図的に出さないよう意図したんですが「三日月」みたいな、彼らのイコンになるモチーフを取り除いた状態=人間としての素の状態で向き合ったときの感情・表情・しぐさ…みたいなのを出せてたらいいなと思ってます。

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■内容

1.大倶利伽羅と「他者」
2.水戸徳川家の刀としての燭台切光忠

の2つを描きたかった。エピソードを5.6個削ったけど、それでも詰め込みすぎてわかりにくかったと思う…でもこれ以上伸ばしても長すぎたと思う…。

1.は、「人の躰で出来る事」「LIFE IS BEAUTIFUL」で大倶利伽羅の葛藤をあまり描けず、すごい理解のよいスパダリになってしまったなという所があって、どん底までブレた後に自己形成しながら這い上がってどっしりとした軸を持ってほしいという気持ちでメンタルをタコ殴りにしました。そのあと、他我を知って、自我に至る、という過程が描けてたらいいなと思います。

この辺で言ってる。


2.のきっかけはこの記事。

水戸徳川家当主が語る"墓を守るということ" #BLOGOS http://blogos.com/outline/91404/
>僕の祖父は、「いいもの」から売ったんですね。何故「こんないいものから売るのか」と父が聞いたところ、「いいものであれば、誰の手に渡っても大事にされるんだ。誰もがいいものだとわかるからこそ、いいものから売るんだ。我々にしか価値が理解しにくいものは、我々が守ってやらなければならないんだ」と。

これがもう、ものすごい…ものすごいガツンと来て…。水戸家のそういう考えに対して恩返しをしたいと思っていてほしい、それが光忠の自我の形成の根底に流れていてほしい、という気持ちが私の中であって、人の役に立ちたいという考えを持ってる子だろう、って思って。
刀としての役に立つ方法しか知らなかった光忠が、大倶利伽羅と出会って、「守る」って言葉の意味を覚えて、オチの結論につながる…みたいな感じです。
それと実際に君は恩返ししていると思うよという気持ちがあって…。光忠公開当初にツイッターで回って来た、「タクシーの運転手さんが『燭台切さんがずっと居てくれたらいいのに』と仰ってた」というエピソードがもうすごい…刀剣乱舞ってジャンルめちゃくちゃすごくない…?って思ってしまったのもすごく大きくて、最後のページはこの姿にしようってずっと決めてました。
大倶利伽羅と出会って、伊達家を出て水戸家に渡って、一度燃えてしまったからこその、今の光忠なんだという事を描けてたら、伝わってたらいいなぁと思います。

ああ~自分語りが長くてすみません!!!!
だめだ壊れるほどくりみつを愛しても1/3も伝わらない…。
でも、自分の中の、神・人・刀・主と史実に対する解釈をこれでもかと詰め込めて、描きながら悩むことも多かったけどすごくすごく楽しかったので、お手に取って頂けた方には楽しみながら読んでいただけたら、そしてもし何かひとつでも心に残る部分があったら、とても嬉しいです。
ここまで読んで頂いてありがとうございました!

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