輪ゴム

こないだ、be動詞を繰り返しながら道を歩いてたんですよ。そしたら、近くを見るために歩いてるみたいな、そのくらいの手の動かし方がはやいおばさんが前から歩いてきたんですよ。
そういうおばさんって、小さな牛丼屋とかにすぐ気づくから、自分がbe動詞屋だと思われたらまずいって、一回目なのにもう一回思って、とりあえず誕生日会って言ってみたんですよ。
そこで、そのおばさんの視点が、確実に、無いけど道に落ちてる輪ゴム、その輪ゴムってのは存在してないんですけど、完全にそれを見ようとしてるなってことに気がついて、じゃあこのおばさんは歌えるなって思ったんですよ。
その、輪ゴムの細かい汚さになんかいいなって感じになれるのって、その場の雰囲気で咲こうとする花を否定できるのと同じで、すっごい昔だったとしたら、そういう人が最初に髪を切るって発想に辿り着いてると思うんです。
だから、髪を切ることを思いついた人は、天気に影響されない素質を持ったまま、天気に影響されるみたいな、そういう感じを出しながらベンチで休んでるっていう、そういう怖さもあるように感じましたよ。
でも、自分がそのおばさんの歌の才能を見抜いたとして、このベンチの話をすっ飛ばさないとtいけないから、ただ目を見て見抜いただけになっちゃうんですよ。だから、そこで「これ自分が輪ゴムになり始めてるな」って気づいて、その中継地点として、選ばれたbe動詞は輪ゴムのフリをしたベンチだったんですよ。
で、ここまで色々考えてたんですけど、普通にまだすれ違ってなくて、この背中がまだ旗になれるポテンシャルがあるな、ってまだその表の黄色しか見てないからね、思って、それで逆に、もう帰れない道を避けようて思ったんですよ、逆にね。
で、その帰れる道の途中で、まだベンチにも輪ゴムにもなれる細いスイカを見つけたんで、軽く撫でてもとあった場所に輪ゴム巻いて戻しときました。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?