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ロリコンを内在化させてしまった女たちへ



物心ついてはじめて母親に年齢を聞いたとき、
冗談めかして「18歳」と言われたことを今もはっきりと覚えている。
そのときの自分は5歳かそこら、母親の年齢がわかってからも、なぜ18歳というのか、全然わからなかった。

自分が小学生、中学生と年を重ねるにもかかわらず、母親はずっと「18歳」のままだった。ついに自分が18歳になった時、「親の年齢になっちゃったわ」と冗談を言って、どうして18歳と答えてきたのか?と率直にきいてみた。

その時の私は、自分たちのことを「LJK(=ラストJK)」とか呼んでいて、
人間、若くいたいものなんだろうなとぼんやり思っていた。
母親はこう続けた。

「もし戻れるなら、18歳に戻りたいから。」




いつの日からか、誕生日が来るのが怖くなった。

昔は誕生日が来るのが嬉しかったのに、今は怯えて逃げたくなるほど怖い。

誕生日を祝われました!ってSNSに投稿する人はみんなニコニコしていて、本当に?若くいたいって思わないの?強がってない?とか思っちゃう自分もいて、本当にいやになる。

私は、今24歳だ。

そして、この数年間、ずっと、ずっと、
年齢コンプレックスに悩まされている。

20歳になるときも、21歳になるときも、22歳になるときも、23歳になるときも、そして、24歳になるときも。

ずっとずっと、自分は遅れていて、この年齢の時に成し遂げているはずの理想には全く追いついていなくて、人生のピークが終わっていく。そんな風に感じて、何もかもが怖くなる。

21歳よりも20歳の方が価値が高くて、24歳よりも23歳でいた方がいい。
そんな気持ちになるので、本当に本当に、誕生日が来るのが怖かった。

毎年6月になると、その気持ちに支配されて、上京するまで体験したことのない梅雨と一緒に、誕生月だということが誰にも知られないように、ひっそりと、じっと、時間から逃げるように、過ごしていた。



私は、高校を卒業した時に、受験に失敗している。

芸大美大でデザインを学ぶならここ、と予備校の先生に言われるがままになんとなく受けた、東京藝大のデザイン学科も、多摩美術大学のグラフィックデザイン学科も、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科も、金沢美術工芸大学の視覚デザイン専攻も、ことごとく落ちた。

現役で大学に行けるように、滑り止めを受けておけばよかったか?
今はそうは思わない。でも、そういう人生だったら、私のこの劣等感は少しはマシだったのかと思うと、それも経験してみたい。今よりも人の痛みがわからない傍若無人な美女になってたかもしれないね(?)

北海道にいながらにして、これらのいわゆる''花形学科''に現役で受かることは、ほぼほぼ難しかった。(花形とかもはや今はそんなことなくて、倍率は平面系に及ばずともすんごい教育を受けられる学科はマジでたくさんある)わかりやすく、同級生たちの中で現役合格者は東京、神奈川出身者がほとんどで、地方の予備校からの合格者は浪人生ばかりだ。もちろん例外もあるが、美大受験における地方格差、(つまり予備校の『凄さ』が違う)っていうのは、リアルに存在する。

高校の同級生で、最後の1年はほぼ学校の授業を放棄して、先生たちに怒られながら最低限の単位を取り、東京のウィークリーマンションを借りて予備校に通っていた同級生がいた。彼女は現役合格し、地元の予備校でのんびりやって、''ラストJK''を楽しんでいた私は落ちた。そういう世界だ。

まぁ、そんなのは全部言い訳で、そんな言い訳を胸に、私は浪人した。
人生で1番努力した1年はいつか、と聞かれるなら、間違いなくこの年と答えるだろう。挫折を経験したことがなかった私にとって、あとがない、負けからはじまる戦いというのは、もう、それはそれは試練だった。


朝食、昼食、夕食を美術予備校で食べた。
毎日朝から、日が沈むまで描いた。
夜は10時近くまで、代々木ゼミナールの衛星授業を受けた。
家に平面構成を持ち帰り、深夜のラジオが朝のニュースになるまで、絵の具を塗りまくった。

受かるか、落ちるかの二択。落ちれば、また人生を1年棒に振る。

SNSとは程遠い生活を送っていた私にとっての楽しみは、プリペイド式のガラケーに届く友人からの新生活を知らせるメールと、予備校内でぶりっ子をためして敵を惑わすことぐらいだった。

私は19歳になっていた。

めきめきと上達する絵を見ながら、センスなんて、絵心なんて、くそくらえだとさえ思った。勉強と同じだ。筋トレと同じだ。やったぶんだけ、確実に結果が返ってくる。それが気持ちよかった。

その年の2月、私はあっさりと、努力を回収した。
多摩美のグラフィックデザイン学科と、武蔵美の視覚伝達デザイン学科に合格し、また、なんとなく先生に相談して、多摩美に行くことを決めた。

この浪人が私の人生に必要だったか?当たり前だ。人生を1年棒に振ったんだ。それが無駄だったなんて信じたくない。この1年があったからこそ、今の自分がある。浪人してよかった。誰だってそう言いたいだろう。

でも、入学してまず思った。浪人なんてしなければよかったと。
もっと理想を低くして、倍率の低い学科に現役で入っても、こんな楽しい大学生活を送れたなら、18歳のうちに入学すればよかった、と。


私が入学してたったの2ヶ月でハタチになろうとしているとき、周りは18歳だった。周りはいとも簡単に言った。
しゃか、もうハタチになんの?おばさんじゃん、と。

それが冗談だとわかっていても、今までの人生と全く同じように接したい「同級生の友達」が本当はひとつ下で、私と同い年の先輩に敬語を使っているのを見ると、どうしてもどこか距離を感じてしまう。

年齢なんて、関係ないって、思うだろう。
そうだよね、そう思うよね。そう、仲良くなればなるほど、年齢のことなんて忘れられる。
だからこそ、友達が誕生日に私が半年前に終わった年齢になろうとしているのを祝おうとするたび、
「私たち同期なんですけど年齢はひとつ上で〜」と説明すると「えっごめん!」とやたら謝られてそこから敬語にされたりするたび、
年齢で分断される世界のことを考えずにはいられない。

私は常に自分の年齢より大体ふたつ下として扱われて、実際の社会経験も全くそれと違わないので、わざわざ否定したり、年齢を大声で言うのをやめてしまった。

今だって新卒の年なので22歳くらいだと思われているのだが、6月に誕生日を迎えたのでもう24歳だ。私だって信じたくない。全然年取りたくない。
誕生日の前日に一生23歳でいさせてくれと神に頼んだけどダメだった。

ハタチになったその日に一生恨むと決めているおっさんに手を出された時も、何も相手に制裁を与えるようなことはできなかった。上京したての大学生なんて18歳も同然だ。未成年だったら訴えられるのに、社会に対する防御力も18歳だったのに。私はあの時、成人女性だった。



若いほうがいい。

そうやって自分に呪いをかけてきた。

上京して、芸能に興味を持ったのも、21を過ぎてからだった。
女優としてやっていくには、10代のうちから事務所に所属して、育ててもらわないといけないから、ちょっと遅すぎる、そういうことを言ってくる大人もいた。
実際、今の芸能界はそうなのだろう。だとしても、声を大にして言わせてほしい。そんなの、けっこう気持ち悪い。

クラシックバレエの経験があるから、バレリーナとしてのピークが20歳前後なのはわかる。跳躍力のピークは15歳とも言われている。

でも、芸能の夢のために、進学を諦める女性がいるなら、そんな悲しい世界があるだろうか?

この文章を書くのは、つらく、くるしいことだ。
もしこれが、30年後、夢を叶えた私が書いているならどんなに読んでいて楽な成功譚だろうか。でも、こうやって今の世の中に中指を立てながら、そのルールの中で生き残ろうとしている私は、あまりにも弱く、ダサく、痛い。

24歳で夢を叶えていない新卒の私がもがいている姿は、私だって全然見たくない。目を背けたくなる。ヒリヒリしすぎている。私が別人だったら、こんな人間、とっくにリムってる。気づかないうちに消えていくのを待つだろう。

でも私は、遅咲きって言われてもいい。おばさんって言われる年になってからでもいい。映画に出たいし、誰かを楽しませたい。感動させたい。ゲラゲラ笑ってもらいたい。やめなかったら、きっと叶うなんて、そんな言葉を信じるしかない。これは、なんの未来の保証もない人間の言葉だ。

でも、だからこそ言いたい。
立派に浪人して大学生活も楽しみ尽くして、思う存分勉強して、やっと社会に出て自分で生計を立てられるようになって、それから夢を追ったって、全然いいじゃないか。



先日、私が日記で動画の収録をしてきた!と書いたのはこの
ONE MEDIA」という動画メディアだ。たまたまIGTVで「女子高生の制服の価値について」というオピニオン動画を載せていた。

JKという言葉が援交から生まれた、ということ、JKブランドについて、なぜ制服は「エロく」見られるようになったのか?ということが伝えられていて、私が普段不穏に感じていたことがスカっとするような動画だった。(PR記事じゃないヨ。)

私たちはこんな風に、若くいることを求められる世界にいつのまにか馴染んでしまった。

「若さ」が価値=金になるこの世界でより高値で買われるためには、
その価値基準を自分の中にも搭載しなければ、生き残れない。

より幼いものを可愛いと思え。
より不完全なものを愛せ。
劣っている存在こそが愛されるものだ。

私たちは、ただ美しいと思われるためのおしゃれをやめてしまった。

プリクラは、顎を削り、目と口の距離を縮め、黒目を大きくする。
これは、女子高生たちがその10代の見た目よりもより「幼く」見えることが「良いことだ」と信じていることの証明に他ならない。

性的に成熟して見られる「ギャル」の文化は廃れ、黒髪や、白ソックス、短すぎないスカートで処女性を代表するようなビジュアルを主張するJKたち。
透明感こそが正義であり、相手の安全を脅かさない弱き存在こそが性的対象として尊ばれる。

幼さが一番高級だ。そういう世界に脳みそを乗っ取らせなければ、「高く買ってもらう」ことはできない。そうやって、生きてきた。

だからこそ、同性を見るときも、幼くみえる存在を高く評価している自分がいた。幼いからこそ性的だ、そんな風に思う自分を、止めなかった。

「幼さを性的に消費してきた側の人間たち」を、そっち側に追いやって追求するつもりはない。
そういうふうに、世界を分断するような発言が、私たちが成長するのを止めると知っているから。

私たちもまた、幼さを消費させてきたのだ。バカでロリで世間知らずな自分として、そのポーズが取れるうちは、取ってきた。それを全部「kawaii」の言葉の中にとじこめて、そうやって勝ったつもりでいたんだ。ただ、消費させて、消費されていただけなのに。



私たちは、みんな年をとるのがこわいのかもしれない。
若さを眺めているときは、自分の年齢を忘れられるから。

そうやって、幼さを演じる側と、幼さを買う側、両方のいい歳した成人の間でJKビジネスが行われていたりして、そういうのってもうディストピアだ。

若さって、圧倒的に強い。今の日本では、若さは追随を許さない価値だ。
だからこそ、それを支配しようとする人たちがいる。その市場を作る人たちがいる。それを買い占めようとする人たちがいる。

大人だけじゃない。中学生や高校生のロリコンもいる。だってそれが育ってきた環境の一番楽しいエンターテイメントなんだ。自分のクラスの着替え動画が高値で売れると知って、それに飛びつく人間だっている。そんな人間たちのおかげで、今日も若さはうなぎのぼりで値上がりしている。

やる気のピークは20代前半で、残りの人生は消化試合、というツイートを見た。若さに人生を支配された人間は、残りの人生を消化し続けるしか、やり過ごしかたがない。


ねえ、みんなでそろそろ、若さを手放さなければいけない。

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