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ルールがわかれば勝てるとは限らない

故あって天童市まで行ってきた。
絶対に一生行かないであろうと思っていた山形県である。
これで47歳を残すところあと数ヶ月にして、46都道府県を往訪したことになる。残す一県は、隣の秋田県。

新潟出身なのに山形にも秋田にも行ったことがないというと不思議かもしれないが、東北地方と新潟県は交通が分断されているので、例えば新幹線は新潟市で止まってしまうし、その先に電車が繋がっていない。したがって、バスで移動しなければならない。電車好きとしてはそんなのは嫌なので今まで全く山形にいく用事がなかった。

では何しに行ったのかというと、技研バーの常連メンバーたちと「夢グループ」のコンサートを見に行ってきたのだ。

ちなみに「夢グループ」のコンサートは全国各地、年間800公演もやってるので、わざわざ山形までいく意味は全くない。どこかの頭のおかしい人がよりにもよって連休のクソ高い時期にこの旅行を企画したのである。

技研バーといえば吾輩の生活の基盤であるから、行かないわけにも行かない。

そしていざ天童についてみると、将棋のルールすらあやふやな連中ばかりで将棋の都だというのに全く誰も将棋ができなかった。

吾輩は小学校の頃は囲碁・将棋クラブに所属していたので囲碁と将棋はルールくらいは知っている。

知ってはいるのだが、いわゆる定石というのをちゃんと勉強してこなかったので、定石通りの攻め方をすると大体負ける。

で、昔、囲碁・将棋クラブで悪友たちとふざけて作った「ふ囲い」という戦法を40年ぶりに使ったら勝てた。

ルールすらあやふやなやつに負けるのも悔しいが、ルールを知ってるからと言って勝てるとは限らないのが勝負事の面白いところだ。

しかし、将棋は二人でしかできないので、女子も参加できるように夜中はインディアンポーカーやったり大富豪やったり即席の人狼(絵札に後から意味を加える)をやったりして遊んだ。なかなか楽しかった。

いつもの技研メンバー

天童といえば鳥中華が有名らしい。
鳥中華は「とりちゅうか」と読む。吾輩はどうしても「しまちゅうか」と読む病にかかってしまい、難儀した。

鳥中華の元祖は、水車生そばというお店らしい。名前の通り水車がある。

誰がなんと言おうと水車である。文句は言わせない

ここは本来は蕎麦屋なのだが、賄いで出していた鳥そばのそばを中華麺に変えて中華風の味付けをしたものが流行ってしまったらしい。

これが元祖「鳥中華」だ!

なるほど、確かにラーメン感があるがスープは蕎麦っぽくもあるという不思議な食べ物だった。

さて、いよいよ待ちに待った「夢グループ」コンサートの本番。

技研メンバーの平間さん(恐怖の下戸バーテンダー)が夜なべして作ったウチワを用意していざ観戦

平間さんは別にジャニオタとかではなく今回初めて作ったらしい

しかし、こんなちっさい字が読めるわけないよなと思いながらステージを見ていたのだが、昭和のレジェンド級歌手たちが次々登場しては、「昨年脳梗塞をやりました」とか「昨年入院していましたが今日はハイキックもできました」とか、「これは死にかけた老人たちの盆踊り大会か!」と思ったのだが、でも冷静に考えると、我々技研メンバーズはおそらくコンサート参加者の中で最年少グループに入るはず。基本的にはおじいちゃんおばあちゃんがメインの客層で、彼らからしたら身近でありつつも元気をもらえるコンサートなのかもしれない。「俺らもまだまだ頑張らないと」と思えるんじゃないかな。

どの人も、ものすごくちゃんと声が出ていた。これは結構すごいことで、僕も合唱部で歌を歌ったりしていたから感覚としてわかるんだけど、歌声は、ちょっとサボると全然出なくなる。僕はカラオケに行かなくなったのでもう歌はかなり下手になってしまった。80歳近くなってもボイストレーニングを欠かしてないというプロ根性の塊みたいなのを10人連続で見て、フォーリーブスの二人のダンスパフォーマンスに衝撃を受けた。壇上のスターがいつ脳卒中で倒れてもおかしくない。全く別次元の緊張感のコンサート。こんなの見たことなかった。

何年か前、都内某所でサプライズ出演した五木ひろしさんを思い出す。
五木ひろしさんは、リクエストされた曲を歌ったこと自体忘れていたのだが、バッチリと熱唱。しかも驚いたのは、昔のテレビシリーズの主題歌より、「上手くなってる」のである。これがトップ・オブ・トップのトップスターのスター性なのかと衝撃を受けた。そんな感じで、むしろ「生きろ」というパワーとメッセージをもらった。最初知らない昭和の曲ばっかりで退屈かと思ったけどそうでもなかった。

しかし我々が見にきたのは石田社長と保科有里のはず。待てど暮らせど出てこないと思ったら、ついに保科有里嬢(62)が登場!

「30年間歌手を続けてきましたが、ヒット曲が一つもない。今日は新曲をお聞かせしますが、おそらく前の曲もご存知ないでしょう」という自虐スタート。

それから石田社長が「お客様ー」と登場。待ってた!

「親父に認められたくて商売をやっていたのに、親父が死んじゃって、なんのために生きればいいのかわからなくなりました。お客様のため、従業員のためなんていうのは簡単ですが、それは違うと思います」

と正直トーク。好感が持てる。

それまで歌手一人につき2曲までしか歌わないというストイックさだったのだが、石田社長は社長特権(?)で四曲を披露。というか、これまで歌ってきた昭和の大スターたちが全て前座だったということに衝撃を受ける。

ラストはもちろん「安くして」を完全熱唱。サービス精神ここに極まれり

普通ならここでアンコールになるはずなのだが、「では私たち、物販コーナーでお客様をお待ちしておりまーす」とそさくさとステージを退場。

物販コーナーに移動すると、そこには本当に石田社長と保科有里嬢の姿が!

中央はウチワを作った平間さん

え、これ凄くない?
一枚1000円のCDを手売りする石田社長。
これぞホスピタリティ!
もはや通販会社の社長ではない!興業主であり、CDを手売りする社長。
もしかしてCDの方がチェーンーより利益率圧倒的に高いのでは・・・

俺はこれ真似できるかなあ。
すごいなあ

ウチワを作ってきた効果がここで発揮
ウチワを見て感激してくれた石田社長と保科有里嬢が「ちょっと待っててくれたらみんなで記念写真撮ろう」と言ってくださったので会場が捌けるまで待つことに。

「皆さん地元の人なの?」

「いえ、生まれて初めて山形に来ました。今日東京に帰ります」

というと、さすがにびっくりしていた。そうだよね。俺もなんで来たんだろうと思ってるくらいだし。

「なんでわざわざ山形に?」困惑する石田社長

「五月に東京でイリュージョンやるのよー」

「行きます」

サービス精神が本当にすごい。尊敬しました

帰りに石田社長の本を読みながら帰った。

ちなみにこの日は午後から鶴岡市に移動してもう1ステージこなす石田社長と有理さん。パワフルだなあ。

我々は酒飲みながら帰りました。

たまこんにゃくと山形牛のメンチカツ