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日々子育て 運動会に思うこと

こんにちは。
こちらは、ジメジメとした曇り空。
先日の大雨による災害にて苦しい思いをされている方も多いことかと思います。早く日常に戻れますこと、願っております。
熱中症にもお気をつけて、ご自愛ください。

復職へ向けて色々と準備をしていましたが、無事に採用となりました。来週から出勤となり、ドキドキそわそわしています。育児脳から仕事脳へと変わっていけるのか?色々と不安も多いのですが、以前では気がつかなかったこと、出来なかったこと、今だから出来ること、があるだろうと思います。
学び直すことには苦しいことや辛いこともあるとは思うのですが、私が長年学んで経験したことは決して無駄ではなかったはず。躓いたり失敗したとしても経験の糧としたいし、今から学べることを、そんな機会を与えてくれた同期であり戦友であり頼れる親友に感謝したいと思います。
うっ、緊張しますね。こんな緊張感を味わえることを、楽しめるかな・・・楽しみたい!です。

息子の運動会について思ったことを書いています。
あくまでも個人の主観です。今日も長文です。
お時間ある方、お付き合いいただけると嬉しいです。

運動会に思うこと

5月下旬の土曜日に息子の運動会がありました。昨年はコロナの影響で学年ごとに入れ替えがあり、時間や保護者の人数制限もありました。
今年はコロナ後、全学年が揃ったはじめての運動会となりました。3年間ずっと我慢を強いられてきた子供たちの喜びもひとしおだったと思います。

運動が苦手な私の影響があるかと思いますが、息子はあまり運動が得意ではありません。本人もゲームやレゴなどの家での遊びが好きなようです。
体調を崩して数日休んでいた息子が呟きました。
「運動会に行きたくない」
週末に運動会を控えていました。
「行きたくないの?どうして?」
「徒競走で、ぶっちぎりのビリなんだよ」
ビリになるのが嫌な息子。その気持ちはよくわかる、確かにビリは嫌だよね。
風邪症状が出ていたのは本当で、具合が悪かったのも本当だとは思うのですが、どうにかこうにか運動会に行けないように、どうにかこうにか休みたい休めないかな、そんな息子の思惑を感じてしまいました。
「そうだよね、ビリ嫌だよね。ママも運動会キライだった。でもビリだっていいじゃない。参加することに意味があるんだよ。みんなでやったってことに意味があるんだよ。ママはビリでもどんな息子でも好きだよ。大丈夫だよ。きっと楽しいよ?運動会に行こうよ。かけっこの練習する?」
「えー、えー嫌だよ。練習しない。運動会に行きたくない」
「先生も心配していたし、待っているよ。明日は熱がなかったら学校に行くよ」休んでいたことを心配して、担任の先生が電話をくださっていました。実は運動会に行きたくないと息子がいっていると伝えた所、無理はしなくても大丈夫ですよ、とおっしゃってくださっていました。
「えー、でも、行きたくない」そんな会話が運動会の前々日の夜にありました。

運動会前日、なんとか登校できた息子。
その日の運動会の練習はうまくいったようで、帰ってくるなり「速く走れたんだよ!明日、運動会に行けそう」嬉しそうにニコニコと話してくれました。
息子は楽しかったようです。そして、ちょっと自信がついたようです。私の小さい頃、私は今でもそうですが、行くまで動き出すまでが面倒くさかったり怖かったり。そういえば小学生の頃、リコーダーが上手に吹けなくてズル休みしたことがあった、な。いざ行ってみたりやってみると、楽しい!となることが多いのですが、その一歩がなかなか踏み出せない。はじめの一歩を踏み出せれば、きっと大丈夫。息子も、そうなのだと思います。
その一歩を後押しできるような親でありたいし、苦手なことにも挑戦できる強い心を育てていきたい。私は弱かったから。

運動会当日

朝7時ごろにドーンと花火の音が聞こえてきました。
「あ、花火。運動会、開催するんだな」花火の音を聞くとワクワクドキドキ、不安と期待の入り混じったような複雑な気持ちになります。私は、どちらかというと不安多めの憂鬱な気分になっていたことを、ふと思い出して胸がキュッとしてしまいました。私のそんな負の思いを息子は受け継いでしまっているようで(ゴメン息子)、しかし息子には運動会を楽しんで欲しい。
天気は晴れ。気温26度の暑い日差しの中での運動会となりました。

夏のような空
日差しが痛いけど
風が気持ちよかった

「ビリでもいいから最後まで走るんだよ。最後まで走ることが大切。嫌なことでも参加することが大事だよ。息子なら大丈夫。応援してるよ」そんな声をかけました。
「うん」
運動会の場所確保がてら、一緒に学校まで登校しました。校庭のゴール付近には、すでに保護者の行列ができていました。空には万国旗がはためいていて、「この万国旗が、なんだか好きなんだよね」と空を見上げると、気持ちも一緒に上がってきます。やっと全校生徒の運動会ができるんだな、楽しい運動会になりますように。しみじみと感慨深い。

徒競走。息子は第一走者。
ゴール前の人集りの中から、カメラを構えて息子を探す。
あれどこだ?どこだ?と探している間にゴールしていた!肝心の走る姿を見れず、もちろん撮影もできず(泣)。そして、やっぱり、ビリだったのですが。私は諦めずに最後まで走ったことを褒めたいと思いました。しかし、夫はふつふつと思うことがあったようで、「ちょっとショックだ。ダントツのビリか・・・」そんなことをぶつぶつといっていました。
運動ができる人は運動ができない人の気持ちは、わからないのかもしれないし、色々な感じ方があるのだろう。私はショックや悲しい悔しいという感情よりも、改善の余地あり、息子はもっとやれそうだな、と思いました。

息子の走るフォームはキレイなんです。練習をしてコツを掴めば速く走れそう。私は悲観なんてしていないのです。ゴールの後に誘導してくれた6年生が「悔しいね。来年は1位とろうね」と励ましの声をかけてくれたようです。まだまだこれから、伸び代がある!に違いない!と楽天的思考な私です。
「息子はビリだけど最後まで走ったよ。行きたくないっていっていたのに、頑張って走ったよ。私はビリでも褒めてあげたい。運動会にみんなで参加することに意味があるって。あんなに嫌がってたのに参加できて、走りきったんだから。走り方はカッコ良かった!走り方は!」
「そうだね、諦めなかったね。でも悔しくて!」夫は悔しい!悔しくてしょうがなかった!らしい。撮影していた動画を何度も食い入るように見ていました。男親ゆえの気持ちなのでしょうか?

最近の運動会

最近の運動会、午前中で終わる所が多いそうです。息子の小学校も午前中で終わり、お弁当は無しです。私が小学生の頃は運動会に家族が来て、レジャーシートに座ってお弁当を食べたという楽しい思い出があります。正直、お弁当を作らなくて良いことには、保護者は助かる!非常に助かる!と思いますが、何だか寂しい気もします。
息子の小学校では、レジャーシートや椅子の持ち込みも禁止になっていました(それでも、やはり、ちらほらと折りたたみ式の椅子を持参している方がいらっしゃいましたが)。昨年までの制約があった時には、息子の場面だけを見てサッと帰りましたが、今回はせっかくなので最後の閉会式まで見てみたい、と思っていました。
そうすると・・・3時間ほど立ちっぱなしになるわけです。保護者も多くなり、人混みで息子が見つけられなかったりもするわけです。かんかん照りの日には熱中症になるかもしれません。足腰が悪い方や祖父母の方など、なおさらに辛いだろうな(椅子持参も致し方ない・・・と思ってしまいます)。昭和の頃はレジャーシートに座って、なんなら寝ていても良かったのですけれど。
ある意味、時間制の入れ替えで短時間で見る運動会、それがいいのかもしれないなと思ったりしました。

保護者がどうしても運動会に来れないことがある。保護者が行きたくないこともあるし、子供が保護者に来て欲しくないこともある。

中学生の頃。揶揄からかわれて、いじめにあっていた男子がクラスにいました。
ある時の運動会。
その子がお昼ご飯を人気のない体育館裏の階段のところで、母親と二人っきりで食べていました。本来ならば、皆と校庭で楽しく食べるお弁当。運動会は苦手でしたが、家族と食べるお弁当を私は楽しみにしていました。その子はその子の母親は、どんな気持ちで二人っきりで学校の片隅で隠れるようにお弁当を食べているのだろう・・・たまたま見かけてしまい、心が苦しくなりました。
その子だけではなく家族をも傷つけてしまう、いじめという行為があり、楽しいはずの学校生活が苦しみに変わるということを目の当たりにして、切なくなりました。それでも私は傍観者、その子を助けることはできませんでしたが。
運動会を思う時に、この光景が罪悪感とともに脳裏に焼き付いて離れません。

息子はビリになって泣いているのでは?と夫は心配していましたが、本人は楽しかったようです。
「運動会、楽しかった?徒競走、残念だったけど最後まで走れたね。行きたくないっていってたのに、頑張ったじゃん!行ってよかったでしょ?」頭をわしわしと撫でました。
「うん」
「来年は一位を目指そう!」
「・・・」
息子は乗ってきませんでしたが。

皆で協力して何かをすること、勝つこと負けること、お互いに応援して励まし合うこと。誰かの励ましで頑張れる力、勝つ喜び、負ける悔しさ、戦う勇気、皆で成し遂げる達成感。弱い人も強い人も悲しい人も楽しい人もいる現実を知り、たくさんの感情を体感する。嫌だな、やりたくないな、と思っていても、やってみたら楽しいってこともあるのだと思います。学校へ行くということ、その中には自分では選ばない素敵な出会いもあるのだと思います。
運動の好き嫌い、お弁当のこと、性別のこと、順位のこと、保護者のこと、全てを平等にすることは難しいのだと思います。全てを平等にしようとすると、歪みが生ずる。
子供の頃に不平等な悔しい悲しい思いをして、自分が苦手なこと、出来ないことがあると知る。そんなことも必要なことのように思います。社会に出てから立ち上がれない程の傷を負う前に、子供のうちに小さな傷を味わうことも。そして、その傷をどうしたら癒せるのか?たくさん考える。
傷ついても立ち上がれる。傷ついても克服できる乗り越えられると知る度に、人は大きく成長していく。克服できる力、安心して傷を癒せる場所を作っていくことが大事だと思います。その場所は我が家であって欲しいですが、傷を癒せる場所が、息子が逃げれる場所が、たくさんあると私は嬉しいです。悔しさや怒りが力になることもありますが、社会に出たら、格差社会、不平等、思い通りにはいかない、理不尽なことが多いのですから。

色々な事情を皆が抱えています。皆が楽しむ華やかな行事の運動会、その中で辛い思いをしている人もいる。皆が幸せで楽しい、そればかりではない。
少し前までは競技に順位をつけることをなくしていた運動会。お弁当がない運動会。午前中でおわる運動会。今は男女の区別をなくして競技を行っている学校もあるようです。

時代とともに変わっていく運動会。今後どのような運動会になっていくのか?そもそも運動会が存続されていくのか?昭和の時代のように、校庭にレジャーシートを広げて近所の方や親戚や家族や友人、皆で和やかにお弁当を囲む。そんな長閑な風景はもう、見られないのかもしれないですね。

今年の息子の運動会、まだまだふにゃふにゃで一挙手一投足が可愛らしく癒ししかなかった一年生。ピシッとした集団行動の演舞が目を見張る出来だった六年生。一年生と比べると体幹がしっかりしてきたな、大きくなったなと感慨深い二年生の息子。子供たちの成長を子供たち自身も保護者も楽しんでいるようでした。

何を残して何を存続させていくのか?教育の場に置いて、その選択は子供たちの成長に未来に大きく関わってきます。時代にただ流されるのではなく、大人の都合ではなく、あくまでも子供たちのことを思って子供たちの笑顔を思って、愛のある選択を。
時代とともに変わっていったとしても、いつまでも子供たちの心に残る、楽しい運動会であって欲しいです。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございます!
6月15日 色々と追記しました。

ここまで、貴重なお時間を!ありがとうございます。あなたが、読んで下さる事が、奇跡のように思います。くだらない話ばかりですが、笑って楽しんでくれると嬉しいです。また、来て下さいね!