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いっぱいいっぱいは主観「この俺の忙しさを、俺の時間の大事さをわかっていない!!!」

1km走るだけでやっとの人が文句言いながら走る5km < 毎日10km走ってる人が走る5km < 1km走るだけでやっとだけどフルマラソンを走ろうとやる気まんまんの人が走る5km

デリケートで難しい話なんですが、前向きに活動していくのに非常に大事なことだと思うので、がんばって言語化してみようと思います

このテーマはいまの時代特に触れにくい上にちゃんと伝わらないとやばいやつなので書くのに抵抗があるんですが、やっぱりちゃんと書いておこうという気持ちになったので出来るだけちゃんと書いてみようと思います。

まず前提として本当にやばい場合はのぞきます。
1km走るだけでやっとの人が5km走って死にそうというのは、決して外から行けるだろう推測すべきことではないし、休むように促すべきだと思います。
あくまでその前提で。

忙しいとどうしてもイライラしたりいっぱいいっぱいアピールを周りにしたくなることがありますよね。
でもこれってだいたいが主観なわけです。

僕が最近やってしまった話なんですが、ある仕事の納期ぎりぎりのタイミングでバタバタしていて、若干いらいら気味だったんですよね。そんな中で予定外のトラブルが起こって、え?この忙しいタイミングで?みたいに腹が立ったんです。
なんとこのリスケの連絡の直前、普通にTwitterみてたにも関わらず…!
こんな経験ある人、多いんじゃないかと思います。

大学受験直前の時期に、さっきまでテレビみてて勉強始めた瞬間に親から「お風呂先に入ったらー?」「勉強の邪魔しないで!!!」みたいな。

こういうときの思考回路は、こんな感じじゃないでしょうか。
「この俺の忙しさを、俺の時間の大事さをわかっていない!!!」

でも同じだけのタスクを持っていても、2倍のプレッシャーを抱えていても余裕な人はたくさんいるはずです。確実に。
10倍でも余裕な人もいるかもしれない。

じゃあなんでこんな風に思ってしまうのかと言うと、これは自分に対する期待値とか自分の未来像への前向きさが低いことが原因なんじゃないかと思います。
ざっくり言えば「まだまだ俺はこんなもんじゃねーぞ」と思っている状態であれば、そんなイライラアピールも、いっぱいいっぱいアピールもしないだろうと。

ストレスとかプレッシャーは大きく2つに分けられます。
受動的なストレスと能動的なストレスの2つです。
受動的なストレスの場合は、いかにそこから逃れるかが重要だと思っています。しかもできる限り早いうちに。
その一方で、上で書いたようなイライラを見せつけたり、いっぱいいっぱいアピールをしたくなるような能動的なストレスの場合は、捉え方で大きく違いが出るよなぁと思います。

で、この捉え方の違いをつくるのが、自分に対する期待値とか自分の未来像への前向きさだったりすると思うんですよね。

1km走るだけでやっとの人が文句言いながら走る5km < 毎日10km走ってる人が走る5km < 1km走るだけでやっとだけどフルマラソンを走ろうとやる気まんまんの人が走る5km

これは走っている人の自分に対する期待値とか自分の未来像への前向きさ、そしてさらにはビジョンの違い、視野の広さの違いです。
前向きにがんばっているとき、この最後の人のような心境になれているかを意識しておくのは、成長の意味でも自分の心を落ち着ける意味でも大事なんじゃないかなぁと思います。

【いっぱいいっぱいについて】
いつの日かの自分のためにもここは強調しておきたいと思って最後に。

しつこいですが、本当にいっぱいいっぱいだと思ったらどうやってそこから脱するかの1点のみが大事だと思っています。
僕も一時期本当にいっぱいいっぱいだったときがあったんですよね。
こういうときのいっぱいいっぱいというのは完全に主観だし、誰かとくらべるようなものではなく絶対値だと思います。いっぱいいっぱいであるという事実以外に何もないという感じ。
主観のすごさは、負の連鎖は強烈に連鎖するということです。
もう自分の考え方とか捉え方だけでは打ち切れなくなります。
あくまで僕の経験からだとやっぱりそれは物理的にそこから(一時的にでも)脱するというのは本当に大事だなぁと思っています。

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