“演じる人によって全く違うものになる”役。悪いけど、期待しまくっている

スカーレット。

信作&百合子おめでとう企画のブログで、印象的な一節があった。

あとは演じる側にお任せというあの台本を読んだ時、僕はワクワクしました。
演じる人によって全く違うものになるという部分で、これはもうやりがいしかないと思ったからです。

ト書きが少ないという水橋さんの脚本について、林遣都はこう語っていた。

彼はいままでも、役や演技について「楽しみ」「やりがいがある」と話していたけど、

同じくらい、常に悩みや葛藤を抱えていた印象がある。

もちろん、口にするかしないかの違いだけで、
俳優はみなそういった悩みや葛藤を抱えながら「演じる」という仕事に向き合っているのだろう。

でも、彼がここまで「自分が演じること」に堂々と胸を張ったというか、
ワクワクする気持ち、やりがいをはっきり表現することって少なかったように思うから。

なんだかとても嬉しくなった。

経験を確かな自信に変え、
年齢的にも、キャリア的にも、いま最高に演じることが楽しい時期なんじゃないか。

そうであればいいなとも思う。

彼はもともとバラエティや番宣にあまり多く出るほうではなかったけど、

さすがにもっと若かったころは、もう少しくらいは元気だったというか。

いつからか言葉選びもどんどん慎重になり、声も小さくなっていったような気がする。

彼のその「慣れ」のなさや、控えめな姿勢も、大きな魅力のひとつではあるのだけれど、

そうならざるを得ないなんらかの経緯があったのかもしれないとも感じていた。

(まあ、単純に若さがもつ力だったのかもしれないけれど)

20代といえば、誰だって生きるに迷う時期だ。

手探りのスキルと、数少ない経験値を武器にもがく時期。

彼がかつて話した「どんどん追い抜かれていった」経験も少なからずあっただろうし、

才能と才能がひしめき合う芸能界で、
いつだって「自分」を誇るのは容易ではないはず。

誇り続けたとして、その先にあるのはおそらく衰退だ。

正解もゴールもないからこそ、悩み続けるのがクリエイティブの世界なんだろう。

でも、ここ数年の彼の躍進には目を見張るものがある。
ここらで一度、思いきり自分に胸を張っていいくらいの活躍だ。

私が彼ならば、間違いなく調子に乗りまくっているだろう。

観ている側としては、もっと自分の軌跡を、自分の存在価値を、誇りに思ってくれればいいのに、なんて思ったりもした。

一回、両肩をガッシリつかんで「なあ!自信もてよ!!」と揺さぶりたいくらいの気持ちにもなった(説得の仕方が体育会系)

それこそ『おっさんずラブ』という作品に関わるコメントにも、難役を演じるにあたりさまざまな葛藤があったことがうかがえる。

その「葛藤」あっての名作になったことは言うまでもないが、

社会現象の中心にいて、その創り手であり、作品や共演者を誇りながらも、
それでもなお彼は、自分にイエスを出しきれていないようにも感じた。

けれどファンや視聴者は、彼が演じるどの役も「林遣都じゃなきゃ」と思っている。

林遣都にも「自分じゃなきゃ」「自分こそ」と思ってほしい。

その自信は、もう充分に持ってほしいと、ずっとずっと思っていた。

事実、信作はたくさんの人々から愛されるキャラクターになっている。

だから冒頭に引用した彼のコメントが、私は嬉しかったのだ。

大河ドラマ、舞台、朝ドラ…
さまざまな経験が、彼の糧となっているのを感じる。

演じる人によって全く違うものになる”役、

“林遣都が演じる”大野信作を、これからも楽しみにしている。

穴窯のシーン。
「夫」になって、話し方が変わった。

ここから、40代の男をどう演じるか。

彼には悪いが、期待しまくっている。

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