俳優・林遣都の魅力をプロライターが本気でプレゼンしてみた③

そろそろ、作品についてじっくり語ってみたいと思う。数多ある林遣都の出演作で、今回とりあげるのは2017年公開の『しゃぼん玉』。多分におこがましい表現であるが、筆者が林遣都の“これから”を確信した作品である。そして、ただ純粋に、心から好きな作品だ。
あくまで今回は「俳優・林遣都」のプレゼンであるから、ストーリーや作品解説はさておきで進めていこうと思うが、思い入れの強い作品ゆえ、長くなってしまったら申し訳ない。

■大女優・市原悦子の最後の出演映画

周知のとおり『しゃぼん玉』は、故・市原悦子(敬称略)の最後の出演映画である。1957年から半世紀以上にわたり、女優として活躍してきた市原。

欲がなく、ひたすらに演劇を愛し、演劇に生きた人であったという。作品に出演を決める際も、役に魅力を感じるかどうかを大切にしていたそうだ。

そんな市原の最後の出演映画に、林遣都(敬称略)は主演として並ぶ形で出演した。

「俳優としてやっていく上で、武器となるような期間だった」。完成披露試写会で、本作品への出演、市原との共演についてこう語っていた林。

同試写会では、療養中であった市原からボイスメッセージを受けとっている。

‐林さんとの共演は、忘れられないものになりました。これからどんな役をなさるのでしょう、楽しみです‐

あの市原悦子からこのような言葉を受けたこと、そして、大女優の最後の映画出演作で主人公を演じたこと。

この経験は林遣都が手繰り寄せた必然であると思うし、必ず糧にしていく役者であると信じている。

■“ただそこにいる”ことが成立する役者

冒頭で「林遣都の“これから”を確信した」と述べた。筆者は、本作を初めて鑑賞したとき、序盤のあるシーンが目に焼き付いて離れなかった。

物語の舞台は、深山の宮崎県椎葉村。市原演じるスマが暮らす家の目前には、雄大な自然の景色が広がる。

そこへ流れついた、林演じるイズミ。とあるきっかけから、もてなされるままスマの家で暮らすことになる。

ぼさぼさの髪に無精髭、用意されたパジャマの“着せられた感”がなんだか可笑しい。

もう昼前だろうか。遅く起きてきたイズミは、開けっぴろげの軒先から庭へと出て、だるそうにベンチへと腰かける。
煙草をくわえ、目を閉じ、ふぅっと息を吐く。

「…いい天気だなぁ」

目の前に広がる豊かな景色をぼうっと眺め、そうつぶやくと、煙草をくわえたままごろんと寝転がる。

文字にしてしまえば、たったこれだけのシーンだ。
“たったこれだけ”、イズミがただ、そこにいるだけのシーンである。

ある過去を持つイズミという男が、ひととき手にした安らぎ。
それが、たったひとことのセリフと表情から伝わってくる。

そしてなにより、雄大な自然を前にしてなお、負けない存在感がある。

林遣都は、そこにいるだけで語る。セリフにはない、役の背景を映し出す。

今は亡き名優・高倉健(敬称略)。彼こそ「そこにいるだけで世界が成立する役者」の代名詞的存在である。

高倉健が雪のなかで寒さに耐え忍ぶ、ただそれだけで日本人は涙する。そう評した人もいる。

天性の華はもちろんのこと、見せない努力もあった。
たとえば名作『幸福の黄色いハンカチ』では、出所したばかりの男がビールを飲むシーンにこだわった。

高倉は、撮影までの約2日間を水だけで過ごしたという。運ばれてきたビールをしばし見つめ、震える両手でコップをつかむ。食らいつくように一気に喉へと流し込むと、その味を身体中に染み渡らせるかのように、かたく目を閉じる。

それだけで、彼のこれまでの日々、出所の実感、シャバの食事に満たされる思いが、ありありと伝わる。

語るだけが映画ではない、役ではないと、思い知らされた名シーンだ。

我々だって、日常生活でそう易々と心情は語るまい。

高倉健の存在は、豪雪にも、酷暑にも負けない。余計なセリフもいらない。そこにいるだけで語り、そこにいるだけで絵になる。彼はそういう俳優だった。

大仰な話をして、林遣都に冷たい視線が向くことだけは避けたい。

ゆえに明言はためらったのだが、筆者は本作の林遣都に、高倉が持っていた“そういうもの”を感じた。

大自然の前にも決して負けない存在感。ただそこにいて、煙草をふかすだけでシーンが成り立つ。

それが、林遣都という役者だ。

本作、とくに序盤には、イズミが“ただそこにいる”シーンがいくつか存在する。イズミ自体、多くを語る人間ではないし、物語全体として出演者も少なければ、セリフの量も決して多くはない。

地味といえば地味かもしれない。しかし、静かな美しさとあたたかさをもつ作品だ。

市原悦子、綿引勝彦、そして林遣都。それぞれが圧倒的な存在感をもって、そこに生きている。
リアリティが生まれている。

制作当時、林はまだ26歳か、27歳になる年、といったところだろうか。その若さで本作を、伊豆見翔人を演じることのできる存在感と説得力には、末恐ろしさすら感じた。

さて予想のとおり、語り始めると長くなってしまった。

プロと名乗りながら展開が粗雑で申し訳ないが、もう少々、お付き合いいただけると幸いである。

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