花を贈ろう

母は、私が17歳のときに旅立ちました。何の前触れもなく。
朝、つまらないことで口答えをして「行ってきます」も言わなかった。不機嫌な顔で別れたのが最後です。

その後、数年間の記憶がほとんど残っていないくらい、一気にせわしない日々が始まりました。
ある日とうとう言われました、私が母を殺したのだと。

あの言葉だけは今も忘れられません。思い当たることがありすぎたから。その言葉に私は、腹を立てるどころか納得してしまったのです。

言い放ったほうも、今では後悔しているかもしれませんね。みんな余裕がなかったんだと思います。とても責める気持ちにはなれませんでした。

余命いくばくもない母を目の前にしてなお「どうして置いていくの?」としか、考えることができなかった私。
母が辛そうだ、可哀想だと思いやれる、優しい子ではありませんでした。

私はずっとそう。自分が中心で、手のかかる子どもで、いつまでもわがままで、自立しなくて。「おまえがいるとストレスがたまる」。だから、母は早死にしたのだと言われました。

その怒号を聞き、泣きながら庇ってくれた祖母も間もなく旅立ちました。
これも自分のせいなのだと、なんの疑いもなく信じました。まだ幼かったのです。

私は生まれてきてよかったんだろうか。
私がいなければ、母はもっと長く生きることができたのではないか。
もっと生きて、叶えたい夢のひとつやふたつ、あったのではないだろうか。

今となっては、そんな疑問を抱くことすら親不孝なのだと理解できます。

母の突然死は避けられないものでした。生まれつきの器質的な病変により、本来ならば私の小学校卒業を見届けられるかどうかも分からない状態だったから。

頭では分かっていても、17歳の胸のうちは「ごめんなさい」と、後悔でいっぱいでした。

母は優しくて、愛のある人でした。
私のことも大事に大事に育ててくれました。
私が生まれたこと、大きく育ったこと、今もこうして元気にしていること……きっと幸せだと思ってくれている、そう信じています。

けれど、生きているうちに聞いておけばよかった。
母の口から聞きたかった。

私のどんなところが好き?
私のこと、かわいい?たいせつ?
私が生まれたとき、嬉しかった?
私は生まれてきてよかった?

だけど、私だって言わなかった。

お母さんが世界で一番のお母さん。
たくさん病気をして、迷惑かけてごめんなさい。ありがとう。
お母さんのこと、大好き。
お母さんの子どもに生まれてよかった。
次も絶対、お母さんの子どもにしてね。

どれひとつ、きちんと言わなかった。初めて伝えたのは、棺に入れる手紙でした。
それじゃあ、遅すぎますよね。

どうして今日、こんなことを書いているか。

ここ数日、いくつかのコンテンツを通して「母の日」が近づいていることを知りました。

もちろん、みんながみんな「お母さんありがとう」と言える家庭環境にあるわけではないでしょう。それはまあ、今は別として。

言える人はきちんと言葉にしています。たとえテレビであっても、企画であっても、言えない人はきっとずっと言えない。私みたいに。

だから「お母さん、ありがとう」ってちゃんと言葉にできる人のことを、私は尊敬します。

恥ずかしさからか意地なのか、どうせつまらないことを理由にたったひとことを言えなかった、ちっぽけな私。

いつか言おうと思っていたんです。成人したら、就職したら、結婚したら、いつかいつか、って……考えていたんです。でも、どれを見届けることもなく母はいなくなってしまいました。

明日、今日にでも、大切な人と会えなくなることはあります。とくに今は、こんな世の中だから。

人生に“もしも”はないし、巻き戻しもできません。

後悔しないでくださいね。たったひとこと「ありがとう」を言えていれば、想いを伝え合えていればなんて、こんなにも意味のない後悔、もう私以外、しないでほしいから。

「〇〇の日だから」、想いを伝えるべきなんて思わないけれど、いいきっかけではありますよね。

どうしたって母の日にはもう何も伝えられない私は、せめて花を贈ろうと思います。

そして、優しい母に育ててもらった心を大切に、優しい文章を書きたいです。

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