“愛ゆえの苦言”に愛はあるのか

「愛してるからこそ」なんて言葉は、言い放つほうが使うものではない。
そこに「愛」があるのか、本当に「愛ゆえの」言葉なのか、判断するのは受け取り手だ。

2021年。皆、疲れている。けれど、誰かを傷つけていい理由にはならない。「誹謗中傷はやめよう」と、あれほど問題になったことを、もう忘れてしまったのだろうか。

感情をすぐさま誰かに、どこかにぶつけたくなる人間がいるのだから、もちろんぶつけられる人間……嫌な言い方をすれば“ターゲット”がいる。

検索しなくとも、見たくない、聞きたくない言葉が容赦なく飛び交う時代。そして傷つく、たくさんの人たち。耐えられなくなった私は、数日間インターネットを閉じた。

■期待とは望んで待つこと

ジャニーズ関連の仕事が多い私だけれど、基本はジャンルレスにエンタメ記事やレビューを執筆し、ときどきプロモーションの仕事をしている。

仕事で関わりのある人と「期待しているアーティストはいるか」という話題になったとき、ここしばらく私は「SixTONES」と答えている。

ジャニーズを敬愛するひとりとしても、エンタメに敏感であらねばならないひとりとしても、推したい逸材だと思う。事実、あちこちから彼らの今後を期待する声が聞こえる。嬉しいことだ。

ただ、結果を出し評価を受けるにつれ、一部のファンが彼らを極端に「アーティスト推し」するようになったと感じる。

正直「アイドル」と「アーティスト」をくっきり分けて考える人も、差別する人も、プロのレビュアーでは出会ったことがない。音楽は音楽であり、素晴らしいものは素晴らしいのだから。

立場に優劣などないのに、ファン側がアイドルを誇れない風潮は、寂しくもある。そしてこの、ファンによる「アーティスト推し」に、少し雲行きの怪しさを感じている。

繰り返すが、私は彼らに期待している。期待とは望んで待つことだ。求めるのでも、押し付けるのでもない。ましてやハードルを高く設定することでも、厳しい視点で見ることでもない。もちろん、追い込むことであってはならない。

■SixTONES生配信ライブを観て

1月5.6.7日の3日間、SixTONESは生配信ライブを開催した。私は、自分が楽しむために1部、仕事のために1部、鑑賞した。

デビューしてまだ1年。下積みが長いといえど、これだけやれれば素晴らしいものだ。アルバムに関してもそうだが、彼らがやりたいことを存分にやらせてもらえる、温かい環境にいるだろうことも感じ取れた。

彼ら本来のステージの魅力は、会場を埋め尽くすファンと作り上げる「ライブ感」。けれど今回は、時代がそれを阻んだ。

デビュー組としてはまだ若い彼ら。無観客となったことで少々、大人しさは感じたが、今回描きたい世界観はアルバムからも感じていたし、ファンクラブ向けのアンコールでは伸び伸びとしたいつもの彼らがそこにいた。ほんの少しの背伸びも含め、今の彼らにしかできないライブだったと思う。

もちろん感じ方はそれぞれだ。楽しめなかった人がいてもいい。万人受けするものなどこの世にないのだから、自分が感じたことに正直であればいい。

彼ら自身、課題もあるだろう。成功と失敗を重ねて、人は大きくなっていく。いつの日か見たい景色へ、見せたい景色へ、ともに辿り着くために、彼らはこれからさまざまな経験を経て、成長していくのだ。楽しみしかないじゃないか。

■「愛」を盾にした圧力、匿名というナイフ

そろそろ本題に入ろうと思う。

ライブ鑑賞後、ファンはどう思っただろうかと知りたくなった。「SixTONES」と検索すると、まずサジェストに上がるワードは「音程」だった。

まったく問題なかったと言えば嘘になるが、生配信ライブなのだから、揺らぎもあればその日かぎりのミスもある。しかし、それもライブの醍醐味だと、私は思っている(これはあくまで私の考え。異なる意見があることは承知の上)

音程がきっちり合うことと心に響くこととはまるで別物であるし、とはいえ「基本中の基本」だろう、という人の意見も分かる。

簡単に言えば、私はそこを重視しない人間なのだ。

個人としても、仕事としても、ライブを鑑賞するにあたり「音程」があっているか否か、そこに集中したことは過去一度もない。テレビ番組の生放送なら、身に覚えがありすぎるけれど。

第一印象としては、新しい感想に驚いた。そういう鑑賞の仕方もあるのだな、この冷静さが配信の怖さなのかもしれないなと。そして、よほど彼らの音楽が好きで、信頼しているゆえなのだろうと。

けれど、時間が経つにつれ「愛」を盾にした圧力が増えてきた。なかには一部メンバーに対する誹謗中傷ともとれる発言まで見受けられた(これはさすがにファンの発言ではないと信じたいが)

まず「愛ゆえに」「好きだから」と前置きし、苦言を呈す人に言いたい。

愛があれば、なんでも言っていいのだろうか。その前置きははっきり言って卑怯だ。自分にだけ逃げ道を作るくらいなら、最初から苦言など言わないほうがいい。

そして批評家、専門家の姿勢で分析し、苦言を呈す人へ。

批評し、あまつさえ本人たちにアドバイスまでするのであれば、もう私たちと同業かそれ以上だ。ぜひ名前を出し、堂々とコラムなりレビューなり書いていただきたい。ただし、炎上は免れないと思う。愛も敬意も感じないからだ。

結局、匿名であればなんとでも言える。そして匿名ほど、鈍く、けれど確実に心を刺すナイフはない。何度も何度も念を押さなくとも、たった一度でナイフはしっかりと刺さっている。安心してほしい。だからもう、手を止めてくれないか。

■誰もが「心を持つ人間」

最後に少しだけ、まるっきり主観で話をしたい。

今回、ひとりのメンバーが公式サイトのブログで今後の課題について綴っていた。自分自身で感じたものかもしれないし、何かを目にしたのかもしれない。それは彼にしか分からないけれど、今の時代、目にしないほうが難しいと考えるのが妥当だろう。

配信ライブは、目の前にファンがいて、遠いなりにもコミュニケーションがとれる通常のライブとは明らかに異なる。カメラ越しに、何万人が、どんな表情で観ているか分からない状況。初日からあれほど言われれば、そこはもはや針のむしろだ。

それでも毎日ファンに言葉を届け、ファンを思いやり、笑顔でよくやり遂げたと思う。

「愛ゆえに」彼の成長を急かす人、辛辣な言葉を投げる人は、彼のなにを、グループのなにを見てきて、何を求めているのだろう。頑張らない人であるはずがないし、“いるだけでいい”という言葉を額面通りに受け取る人でもない。

そして“彼だから”何を言ってもいいと思っている人はいないだろうか。いるとすればそれは大きな勘違いだ。ファンならば、本当に愛があるならば、親しき仲にも礼儀ありの心を忘れてほしくない。

たとえば3日間でいい。名前を出し、所在を明らかにしてTwitterをやってみれば、自分が今つぶやこうとしている言葉が本当に適切かどうか、判断できるだろう。

彼らはそうして日々、視聴者の前に立ち、言葉を放っている。
それが役目、それが仕事、そうかもしれない。
けれど同じ「心を持つ人間」なのだということは、絶対に忘れてはいけない。

そしてこの世界の、多くの人はやさしい。やさしくて美しい。私はそう、信じている。


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