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Creative Problems

 大学の写真学科の1、2年生の必須授業の科目に「Creative Problems」というものがあった。内容はスライドプロジェクターで映し出されたさまざまな有名写真家たちの作品を見て、それらのコンセプトや撮影方法などの話を聞いたり、フォントや同じ写真を組み合わせてパターンを作るなどデザインの練習のようなものをしたり、それらはvisual arts制作の原点を探るような授業で、写真の歴史や技術とはずいぶん離れた観点から写真にアプローチしていたと思う。年代や文章の丸暗記の必要は全くなくて(そもそもテストもないし)、感覚的にスッと納得できるようなそのクラスのことを僕はとても気に入っていた。当時は「Creative Problems」という言葉がどういう意味なのか全く気にもせず受けていたが、今でもその授業はあるのだろうかとふと思い出した。

 Creative Problem Solving「創造的問題解決」という言葉は検索すると出てくる。Creative Problems はその略なのかとも思ったのだが、学科のパンフレットには「Solving」という単語はついていなかった。曖昧な記憶だが、以前担当の教授が、来期から科目タイトルを変えようということがプログラムディレクターの議題に上がったが、このままで行くことになったと誇らしげに言っていたのを思い出す。おそらく、その先生がこの科目タイトルをつけたに違いない。

 Create problems (問題を起こす)でもないし、Created Problems(提示された問題)でもない。創造に導く問題を自らの内に持ち続ける人が作品を作ることができる。個人それぞれに問題を抱えることが、オリジナリティやアイデンティティーにつながることなのだろうと僕は思っている。たまたま僕は写真を使ってその個人的問題に取り組んでいるというわけだ。人によってそれぞれあった方法があると思うが、とりわけ芸術を通してそれらに取り組むのはとてもやりやすい。芸術にはルールがないからだ。例になるかどうかわからないが、2の反対は5という人がいたらどう思うだろう。計算から2の反対は5だと導き出そうと考える人や、言語的に理論を語る人もいるかもしれない。でもそれは単純にデジタル文字盤の2が鏡に映って5に見えただけなのだ。そしてその事実を問題として興味を持って考え直すことができる人がいるのだ。問題は解決されることが目的ではないともいえる。少し深くなっていくと、ダイアン・アーバスがなぜフリークスと呼ばれる人々を撮るようになったのかとか、リチャード・アヴェドンはなぜ父親のポートレートをあのように撮ったのかとか、リー・フリードランダーはなぜBelloq という写真家に惹かれたのかとか、僕らは他人の行動に対して想像して何かを論理づけようとするが、本人にしかわからない動機に答えを導きだすことはできない。同じ写真は決して撮ることができないというように。テクニックの問題ではなく、本人たちはそれらの問題を本人なりの方法で保持していたからこそ作品に繋がったのだと思う。

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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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