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撮らなくてもいいこともある

 夕方からは、毎月のクラッシック音楽をテーマにした番組のラジオ収録で、一緒にやっている友人の綾部さんと2ヶ月ぶりに会った。毎月一度この収録時間で音楽をかけている間、色々と雑談を楽しむのだ。月一回ともなると話すこともいっぱいありすぎて、逆に何事もいつも通りだということに落ち着きやすい。しかし今日はたまたま僕が映画を撮りたい欲がまた盛り上がってきたという話を彼にした。ある原作がとても気に入っていて、ぜひ映画化したいと切々に語った。綾部さんは、その話に似ているかどうかわからないけど中島敦の「名人伝」を思い出したといった。その話を読んだことがなかったので、早速帰りの車を運転しながらAudible で見つけた「名人伝」を聴いた。

 ある弓の上級者が、さらに上手くなろうと名人と言われる人に弟子入りして、どんどんその技を極めていくのだが、その人を超えた時、その師匠に天下一と言われるまた別の名人のところに行くことを勧められる。その名人曰く、射のための射ではなく、不射の射を目指すのが頂点だという。つまり弓も持たずしてこそ名人というわけだ。そこで修行を積んだその男はとうとう不射を極め、弓矢を見ても名前も使い方もわからなくなったというのが大体のあらすじだ。

 家に帰ると、玄関の外で妻と子供が空を見上げていた。その夜が皆既月食だということを僕は全く知らないでいた。携帯でうまく撮ろうとするのを、苦戦している様子だったふたりを見て、見本を見せてあげようと僕も携帯を取り出したが、なかなかうまく撮れない。何度かトライした後、諦めて先に家に入ってるよと、中に入ると、玄関に昔子供に買ってあげた子供用天体望遠鏡が置いてあった。これなら見えるだろうとまた外に持ち出すと、妻がうまく使えなかったからという。それはもう捨てようと思っていたもので三脚もなかったが、なんとか手持ちで手すりの上に押さえつけて安定させ、もうすぐで消えそうな月を探し出した。天体望遠鏡のような超超望遠はのぞきながら対象を探すより、目測でなるべく方角にあたりをつけてから覗かなければ延々と目標は見つからない。それが月のような大きな目標でさえかなり手こずるのだから、星を見つけるのはかなりのコツがいることだろう。なんとか見つけた月を手で固定したままファインダーから目を外し、息子に覗くように促した。

 目を離した瞬間に数ミリでも望遠鏡が動くともう月はファインダーの外に逃げてしまう。何度目かのチャレンジでやっと拡大された月を見た時の息子の喜ぶ声を聞けたのはとても嬉しかった。続いて妻がのぞいた。肉眼で見るのとはまた違うわ、クレーターが見える、とはしゃいだ妻の声も久しぶりに聞いた。もうすぐ消えてなくなると思っていた月もそれから15分近くもかけてゆっくりと影に消えていった。その間なんとかその望遠鏡が動かないようにと中腰で腕に力を入れてぎこちない姿勢で体を固めながら、明日やってくるであろう筋肉痛を想像した。影に消えた月が出てくるまではここから30分はかかるだろうということで、中断して家に入った。

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写真家の若木信吾です。 写真に関するあれこれです。写真家たちのインタビューや、ちょっとした技術的なこと、僕の周辺で起こっていること、それら…

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