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クルマとドラマとオモロ人間ホイホイ

先週末日曜日、早朝に都内を出て600キロ以上を走破し兵庫県を目指した。友達と各々のクルマを運転し6時間以上を走った。当然会話はない。
現地に着いて目的の場所(広義のクルマ屋)の主と落合い、案内されるままに田舎道を走る。

日本の田舎はある程度見慣れているにも関わらず、
僕らが訪れた集落はどこか異国情緒をかんじさせる。
四方を山に囲まれていて、その間を縫うように家々や畑などが点在する。
遠近感がおかしくなるほど間近に聳える大きな山々にトリップしたような感覚を覚えた。

同行の友達には偶然にもこの地に知り合いがいて、
その知り合いがやっているカフェで昼食を摂った。
友達が事前に頼んでおいてくれたヴィーガン対応のランチ。
そこそこ期待していたものの、出されたのは雑なワンプレートランチ。みんな落胆を隠せずがっかりするも食べ始めて一転、旨さに驚いた。
ご飯にグリル野菜を乗せただけに見えるそれは、それぞれの素材を引き立たせる工夫が実は巧妙になされているのだけど、まあともかく見た目と味のギャップが酷い。

そんな捻くれたサプライズに気をよくした友達は、もっと何か出せという。事前に聞いてないからこれ以上出来ないよ、と半ギレ、しかし対応する店主は、3種のナッツのオイルパスタなどというシャレたものをぱぱっと作り我々を更に驚かせた。

そのカフェは二階だての二階にあり、実は一階をオーベルジュのような泊まれるレストランに改装中。
お世辞にもそんなアイデアが似合う店ではないのだが、先のランチの例でも分かる通り真価は見た目では測れない。そして、かなり落ち着きのない店主の甲高い声から発せられるバイタリティを考えればなんだか全てがうまくいくような気もする。

その後本来の目的であるクルマ屋の2つにまたがる施設をはしごし、いろいろなクルマの修理やアップデート、レスレーションに関するレクチャーを受ける。
フェラーリやポルシェ、メルセデス・ベンツの歴史的な名車がランダムに並び作業を待っている。それらの殆どが現代のクルマ生活事情からするといささか扱いにこまる部分をそれぞれ抱えてる。

これはクルマに限らずどんな工業製品であれ、新しいものと比較したときに年数とともに古臭くなっていくのは致し方ない。反面、利便性や経済効率を優先することで失われていくクルマの持つ魅力があることも確かだ。
そんなジレンマを埋める作業をこのクルマ屋はやっている。超ヘビー級のスーパーカーにパワードステアリングをインストールすることや、もともと本来得られるであろうスペックを発揮出来ていない原因部品、それらを何千万円もする、3Dスキャナーやプリンターで再デザインし高性能な素材で置換することなど、一般的なクルマ屋でやることとはまるで別次元のことをやっている。
旧車の持つ魅力を最大限に引き出しつつ現代の環境で不便なく乗れるクルマを作っているのだ。
さらっと書いたがこんなことをやっているクルマ屋は日本に他にはない。しかも兵庫の山奥で、だ。良い意味でキチ○○だ。

率直に書くと、ほとんどのクルマ屋はこの手の旧車を元に戻すことすら出来ない。不調の原因すら特定出来ない場合も多い。オリジナル重視というまやかしの言葉で、中古で不安定な部品をこねくりまわし、出来の悪い骨董品をこしらえることに時間を浪費している。

もちろん人それぞれ旧車に求めるものは違うだろう。僕の場合、そのクルマの本質的な魅力を最大限に引き出すアップデートやモディファイには全く抵抗がない、どころか積極的にやる派だ。そして世界の旧車に対するスタンスも随分まえからそっちよりだ。古着をリメイクする感覚に近いかもしれない。

そんなこんなで丸一日を兵庫の片田舎で過ごしたわけだけど、まあとにかく笑った。同行の友達との旅はいつだっておかしなドラマを誘い、最後は笑いに包まれる。そして今回仲良くなったクルマ屋の主との出会いは、僕と友達のもつ不思議なチカラ「オモロ人間ホイホイ」が本領を発揮したことは間違いない。
このクルマ屋の主、旧車クルマ屋業界の悪態をつかせたら何時間でも喋り続けるだろうし、なんならあいだに井筒監督竹村健一のモノマネでシモネタまで放り込んで来るだろう、そのくせ時折センチメンタルな中年を演じてみせ、音楽に対する並外れた見識や審美眼で僕らを驚かせたりもする。しかしなぜ、おっさんが関西弁で文句言うのって無条件に面白いんだろうか?


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