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狡猾なエッセイ

好奇心で体重計に乗ってから、小さく後悔をした。

昨日一昨日と家族と過ごしてごちそうを食べ、ハメを外してきたこともあり、デジタルの画面は近ごろ見ていなかった数値をたたきだしている。

体重の推移を記録しているスマホアプリにデータが残らないようにし、キッチンに残っていた烏龍茶をペットボトルからそのまま飲んで、今日はそういう日だ、とノコノコと2階の自室に戻る。

気が済むまで布団で暮らそう。そんな日。

だから今は、すっぴんにお団子、メガネ姿の、おおよそ漫画に出てくるダメ女のコスプレかしらと思われても仕方ない格好で、布団にうつ伏せになってMacをひらき、毛布を二枚重ねして、これを書いている。

だけど、エッセイというものが実はにがてだ。

Twitterのプロフィールに「エッセイもすき」と堂々書いておきながらこんなことを述べるのもどうかと思うのだけど、それは「求められた上で書きたいから」という狡猾さが混じつていることを隠したくない。

自己陶酔と承認欲求。
ものを書く上で、これらと戦っている人はどれくらいいるのだろう。

ただ純粋に、書きたいから、多くの人に読んでほしいから、という気持ちだけで文章を書けるようになれたのなら、と、どれほど思ってきたことか。

「書いたもの読ませて、と言っても貴方はずっと持ってきてくれないのね」

と、師にあたる存在の方に昨日言われて、とっさに答えた。

「だって、それを読んでダメ出しをされたら私は先生のことが嫌いになってしまいます」

やってもみないことをそうやって考えて、馬鹿ね。

正確には先生は「馬鹿ね」とまでは言わなかったけれど。

そんなことを思い出しながら、のらりくらりと友人とLINEする。

自己陶酔、承認欲求、上等。
みんな自分のこと書けばいいと思う。読むし。

そんな、じつにシンプルな回答に救われることは多い。

やっぱり読んでほしいのだ。
だから、毒にも薬にもならないような文章をたまに書く。

長い昼寝から目覚めたら、UberEatesでレバニラと卵炒めと餃子を頼んで、真っ赤なマニキュアを塗り直そ。

ここまで書くのは蛇足だと思いつつも、色の名前はbe brave。

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