見出し画像

住む。

数週間前に買った花たちが枯れてしまった。
その子たちを土に還させてもらうまでが一連のしごとなので、朝もはよからぱちんぱちんと小さく切り刻む。茎は5ミリほどの長さに、花びらは一枚ずつに。

いつも、この動作をしていると「申し訳ないなぁ」と思う。ひっそりと解体し、遺棄しているようなものだ。

そして、岡倉天心の『茶の本』にあるこの一節を思い出す。

星の涙のしたたりのやさしい花よ、園に立って、日の光や露の玉をたたえて歌う蜜蜂に、会釈してうなずいている花よ、お前たちは、お前たちを待ち構えている恐ろしい運命を承知しているのか。夏のそよ風にあたって、そうしていられる間、いつまでも夢を見て、風に揺られて浮かれ気分で暮らすがよい。あすにも無慈悲な手が咽喉を取り巻くだろう。お前はよじ取られて手足を一つ一つ引きさかれ、お前の静かな家から連れて行ってしまわれるだろう。
そのあさましの者はすてきな美人であるかもしれぬ。そして、お前の血でその女の指がまだ湿っている間は、「まあなんて美しい花だこと。」というかもしれぬ。だがね、これが親切なことだろうか。
     Tenshin Okakura. Cha no hon 04 Cha no hon (Japanese Edition) 

私に花を買う資格なんてあるんだろうか、と思いながらも、きっとすぐにまた新しい花がここにいるんだろうね。

ぱちんぱちんと連続的な単純作業をしていると、いろいろなことが頭に浮かぶ。そして、そもそも朝からこんなことを綴るきっかけをくれた友人たちのことを考える。

今の家に住み始めてからなぜか、急を要する女の子が家にやってきて、一定期間一緒に過ごす、ということが続いている。

私にとってそれはなんだか養分の摂取みたいなものだな、とも。

誰かの当たり前が自分の日々に加わることで、新たな自分と出会えることって多いんだなぁと思う。

こんな時期だから、外出が不要不急な私はできる限りこの家にいるのだけど、その分、よりいっそう、ここに住んでいることを感じている。

この家には小さな花壇がもともとついているので、お茶を飲んだら、切り刻んだ花たちを土に混ぜてきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?