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日本における他人の子に金を使う不公平感と教育が社会インフラであるという意識の欠如


無償化の賛否

東京都や大阪府の私立高校を含む高校無償化がメディアで連日話題になっています。

無償化に関しては賛否が分かれており、特に高学歴層の場合は低いレベルの高校生に公費を出すべきではない、という意見は多いようです。

また、中学生が私立高校に安易に進路決定し受験勉強をおろそかにするという批判もあります。

一方、塾講師を務める36歳男性は、「当事者である中学生に与える影響を考えると反対」と口にする。
「高校無償化によって、勉強もせず、目的も持たずに進学する子がさらに増えるかもしれない。頑張らなくても何とかなってしまう状況を後押しすることになりかねない」

この意見に関しては私なりの反論をまとめています。

教育費=親負担主義

日本では教育費は親が負担するという考え方が一般的です。

リンク先のデータにもあるように、OECD平均で教育費はGDP比で4.1%のところ、日本は2.8%です。

もちろん上位の国々は税負担率の高い北欧などが占めていますが、アメリカやオーストラリア、韓国と比べても低い数値となっています。

これが示すのは日本において、子供の教育費は保護者の自費負担が原則である、という考え方です。

もちろん、教育は個人の能力や才能を最大化する目的を持っているのも事実です。

そのため自費でその能力を開花させるという考え方には一定の合理性が見られるわけです。

とはいえ自己責任の考え方が強いアメリカよりも低いというのは驚きです。

教育は社会インフラ

公費負担に反対する人の多くは、能力の低い人間に教育費をかけるのは無駄だ、という考えを持っています。

「偏差値○○以下には補助はいらない」という言説はそれを如実に表した言葉と言えます。

こうした考えは一見すると合理性が存在します。確かに学業に熱心ではない層を高校や大学に行かせたところで、技術革新や世界的な発見に寄与するとは到底思えないからです。

ところがそうした主張をする人にすっぽり抜け落ちているのが「教育が社会インフラである」という思考です。

現在の日本では18歳が成人年齢となりましたが、若者(というよりも中高年も含めて)の精神年齢はむしろ低下しているように思います。

現代の18歳は半世紀前の中学生かあるいはそれ以下の精神年齢であるとさえ言われています。

これは社会が豊かになり、モラトリアムが延長したことなど様々なことが原因とされていますが、間違いなくそうした傾向が存在します。
(私自身、40歳を過ぎても不惑とは程遠い人間性です)

そうした社会状況において、社会への準備段階を踏む経験を積むのが教育機関の責務となっています。

つまり、現代の中学生は全くの子供であり高校での教育を受けずに社会に出ることは不可能に近く、高校生は大学に行かずに労働者として社会貢献できるほどの精神性を有してはいないのです。

そしてそれらの教育機関が教科教育と並行して社会における常識やモラルを伝達することで安定した社会が実現しています。

貧しくなったと言われる日本という国が、とはいえ世界でも屈指の治安、公衆衛生を担保できているのはこうした教育の賜物なのです。

社会インフラは皆で支えるもの

そうした教育の社会インフラ的な側面を考慮すれば、公費負担の合理性が見えてきます。

教育レベルを一定に維持することは社会を支えるインフラです。

国民の多くがモラルや道徳、科学的知識、社会規範や法律の最低限の理解を共有することがどれほどの社会の安定性に寄与しているかまでを考える必要があるでしょう。

もちろん、そうした前提条件を踏まえてなお個人負担の原則を主張する人も存在するでしょう。

しかし、そうでないならばそうした人たちに教育の社会インフラとしての価値を考えてほしいと思うのです。

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