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映画感想『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』


スマッシュヒットを記録した映画が早くもアマプラに登場しましたね。まだ映画館で上映されているところもありますから、その人気は止まるところを知らないようです。
僕の母も映画館に観に行き、以来クリームソーダにハマって自分で作り出しました。
一体どんな映画なのでしょう。

ネタバレ気にせず


悲しい


容赦がない展開でした。

あまりにも可哀想だから少し優しくしよう、という優しさが一切見られません。これは褒め言葉で、外部のノイズに耳を傾けずに、作品と向き合った結果出来上がった一貫性のある作品だと思います。

概要としては、出世のために水木という男がとある村に向かうところから始まり、そこで幽霊族の男ゲゲ郎と出会い、そして村の恐ろしい秘密に迫っていく、というものでしたね。

観ていく中で1番気に入ったのは、自分の中での恐怖の対象が、特定の登場人物でなく、村全体や人間全体に広がっていたことです。

どういうことかと言うと、いわゆるラスボスははっきりと描かれて、自分の娘を孕ませて、その子の魂を乗っ取るという老人の時貞です。ですがそれが判明するまでの間に積み上げられた、不気味な雰囲気、例えば「どうやら娘を襲い、それを正当化しているらしいぞ」という雰囲気は、時貞だけを悪とするのではなく、この日本全体に取り巻く悪を示しているようで、恐ろしくなったのです。

時貞は悪いです。ですが、現実世界に時貞と似たような奴らがわんさかといるような気がします。龍賀家と同じ価値観の団体が日本にはまだまだあるような気がします。

幽霊よりも恐ろしいのは人間です。

というような全体的な恐怖を感じたのです。

人間の闇の中にズブズブと入っていき、抜け出せなくなっていく水木とゲゲ郎は、それはもう悲しく、辿り着く先が悲劇であることは易々想像できるのに、それでも2人がどこかエネルギッシュに前に進んでいく様で胸が痛くなります。

欲にまみれた人間の醜さをここまで見せられて、でもゲゲ郎は人を助けることを選びます。

僕は人間なので、人間を助ける妖怪とかがいても、それが正しいと思い込んでしまいます。ですが改めて人間を見てみると、とても助ける価値があるようには思えません。

僕たちは醜い生き物です。中には水木のように、少しはマシな奴もいるかもしれませんが、大多数は龍賀家と根本は変わらないやつばかりでしょう。

ゲゲ郎、そして鬼太郎が命を賭して守っているものを、僕たちはありがとうありがとうといって感謝するだけでなく、せめて今一度見直さなければならないでしょう。

そんな映画でした。

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