スラムと言語
僕が留学しているのは、タマサート大学の国際コース、UDDI(Urban Design and Development, International program)というところです。そこで、デザインスタジオ1科目と、オーディエンスとして"Mega City"という壮大な名前の科目、合計2科目を履修しています。
スタジオコースでデザインするのは、スラムのRelocation(強制移住)先の住居計画。地図分析や、強制移住させられる方々へのインタビューを経て、最終的にマスタープラン(街区/建築計画)をコミュニティの方々やCODI(タイのスラム改善機関のようなもの)にプレゼンするというものです。
RAILSIDE COMMUNITY
2月はじめ、既存スラムのコミュニティの方々へインタビューを行いました。伺ったのは、SRT(タイ国鉄)線路沿いにInformal Settlements(非正規住居)を構えて住む方々。スワンナプーム国際空港からバンコク市内へ向かう空港線の終着駅、Phaya Thai駅のすぐ近くです。
この地域の方々は、SRTの開発に伴い立ち退きを命じられ、タイの全国スラム改善プロジェクト・Baan Mankong Projectの対象地に選ばれ、Relocationが決定しました。直線距離でおよそ1.7kmほど離れた、Ratchathewiという地区の、別のSRTの敷地へ移住されます。
お話を伺ったのは、線路沿いのコミュニティのひとつのリーダーの方。普段の生活や要望を中心に、1時間ほど話をうかがえました。更にその後、コミュニティ一帯や周辺の市場などを案内していただけました。
状況
話を伺えば伺うほど、その経緯は酷いものでした。もともと線路の両側にあったコミュニティは、SRTの命令で片側が一掃され、かつてそこにいた人々はコミュニティを出るか、線路の対岸に軒を連ねる様にして移住したようです。
バイクタクシーや路上露店、食堂などインフォーマルな仕事を生業とするコミュニティの方々は、コロナで打撃を受けるも援助が得られず、それで更にコミュニティは静かになった、とおっしゃっていました。
そして4~5年前からSRTによって強制移住の話が本格化し、ついに今回それが動き始めたかたちです。
しかしSRTから十分な援助はなく、その額はとても新しい住居を構えるのに足りません。
しかも移住先は汚染された運河と高速道路に挟まれた狭小な敷地で、決していい環境とは言えない。
更に、4つのコミュニティが一カ所に移住させられて来るため、かなり狭小な計画とならざるをえません。
そして最も衝撃的だったのが、借地権。なんとコミュニティの方々がそこに住み続けられるのは移住後わずか30年だけなのです。
30年後には、敷地周辺で行われる大規模開発プロジェクト(https://www.aravia.com.hk/makkasan-tod-thailand/)に伴い、再び移住を余儀なくされます。コミュニティの方々は、その時にSRTと交渉する、と言っておられましたが、その行く先はきわめて不透明。
ジェントリフィケーションが、途方もないスケールと壊滅的なリアリティをもって、現実のものになろうとしています。
頓挫
インタビューを踏まえ、先行研究を行いながら、僕たちスタジオコースの生徒たち(といっても僕含め3人のみです)は、デザイン草案を完成させました。僕の提案は、カドケシのようなかたちで、高密ながらも外部と多く触れ、かつ通路も多く設けるというものでした。
そして2月20日、中間プレゼンテーションの2日前、教授からプロジェクトが頓挫したことが伝えられます。
コミュニティは、SRTとプランナーが提案した安価でシンプルなものを既に選んでしまった。だから僕たちがプレゼンテーションしたところで、コミュニティの人たちは関心を持たないだろうし、CODIにとっても有用ではないだろう。そんな事情でした。
正直言って、そのプランは住環境的にいいものとは言えず、単に家を工夫なくならべたように感じられてしまった。僕らの提案もコストを考えながら行っていただけに、低予算でももう少しやりようがあるのでは、と思ってしまいました。また、30年後のことを考えているとも思えない提案でした。
しかし、環境的によくなくても、できるだけ安価に、早く住み始めたい、というコミュニティの方々の意見もまた重要だし、切実なものです。
そもそも、30年でもいいから安定して住めるなら家は何だっていい、という方も一定数おられたそうです。
ありがたいことに、その場で教授が新しいプロジェクトを提案してくれて、僕たちは再始動することになりました。
しかし、幾分かのやりきれなさと、大きな理不尽に対する怒りと無力さが残りました。
僕らの計画が頓挫したこと自体はさほど問題ではないし、それに対する怒りはありませんでした。
それよりも、コミュニティの方々がそんな(適切な言葉か分からないけれど)適当な提案を受け入れざるを得ないこと、そして30年後に再びその場所を追い出されなければいけないことに、憤りを感じました。
インフォーマルに住む人々に十分な支援と配慮をしようともしないSRTが間違いなく悪いのだけれど、そもそもなぜ人々がインフォーマルに住まなければいけないかというと、ジェントリフィケーションによって地価が高騰し、貧しい人が正規の家に住めないからで、ではなぜそうまでしても貧しい人々がバンコクに来るかというと、農村と都市の経済格差という、大きな社会問題にまで起因してくる。
何が悪いか、と突き詰めて考えていくと、その主語は途方もなく大きくなっていって、僕らの力ではどうにもできないものになっていく。
建築家や都市計画家というのは、決してそれを直接解決するスーパーマンではなくって、表面に現れてくる問題を、チマチマと応急措置的に修復作業を行う存在なんだ、と感じました。その無力さを悟り、しばし呆然としていました。
しかし、それはとてつもなく微力だけれど、しかし形として人々の生活に直接に関わっていく、そんな責任も同時に感じました。
言語
インタビューは、僕ら生徒2人と教授、そしてゲスト講師のタイ人の先生、合計4人で行いました。僕も少しだけタイ語を勉強していますが、しっかり話せるのはタイ人の先生だけ。通訳を介しながら、コミュニティリーダーの方へのインタビューは進みました。
話を伺ったり、コミュニティを見学させていただくなかで感じたのは、言語化が難しいけれど、「この方たちも、僕らと同じように毎日を送っている」という感情でした。
スラム、というとどうしても怖い、汚いイメージがあるかと思います。ともすれば、言い方は悪いけれど、自分たちと異なる人たち、その意味での「他者」に感じてしまうかもしれない。
でも、リーダーの方は軽食や水を振る舞いながら、気さくに、丁寧に接してくれた。コミュニティを歩いているときも、挨拶したりタイ語を喋ったりすると、コミュニティの方々がニコニコしながら話しかけてくれた。
その時考えたのが、「他者」という感情は互いを理解しない、あるいは理解しようとしないことから生まれるもので、そのことが多くの差別や偏見、先入観を生んでいるのではないか、ということでした。
強制移住という発想や、正直僕も以前は無意識に抱いていた、スラムは別の世界だ、というような考え方は、そうした「他者」に対する無知や無関心から来るようにも思います。
そして、その「他者」との大きな架け橋となるのが、言語。
たまに、タイ語を勉強するモチベーションは何なの?と聞かれます。
もちろん生活のために必要というのはあるけれど、インタビューや、そうでなくてもタイ国内で旅行をしたときにも、互いを理解する手段として、それは必要だと感じます。
もちろん完璧に話せることがベストだけれど、少しでも話そうとすること、学ぼうとすること、伝えようとすること、その姿勢は案外人に伝わるし、だからこそ重要です。
そして、言語が少しでも通じたとき、あ、この人は今同じ時間を生きている、そう感じられる気がします。
タイは特に「他者」とのコミュニケーションに寛容というか、ハードルが低い国で、それに救われている部分も多々あります。
いろんな場所でいろんな人に出会い、そこでたくさんの「他者」に近づく。だから言語は素晴らしいな、と思いつつ、タイ語の勉強にも苦戦する日々です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?