【追悼】わが心のMr.YT 高橋幸宏さん
2023年1月15日
著名人の訃報が続く中、信じられないニュースが飛び込んできました。
高橋幸宏さん逝去。
あまりの喪失感に言葉がありません。
なぜなら、私が多大なる影響を受けた人物のひとりだから。
2020年に脳腫瘍の摘出手術を受け、その後も療養中としてメディアにあまり顔を出さなくなっていました。
一昨年、細野晴臣さんのラジオにゲスト出演した際、久しぶりにお声を聞くことができたのですが、その声は少し弱々しく、ちょっと心配していました。
しかし、我々ファンの想いも虚しく、幸宏さんは天国へ旅立たれてしまいました。
幸宏さんの追悼記事を書こうと決めたはいいものの、何も考えずにつらつらと想いを書き始めると絶対に収拾がつかなくなってしまう。
レコメンドしたい作品もたくさん。
YMOは好きな曲がいっぱいあるし、それ以上に90年代のソロワークスも本当に好きで語りたいし、木村カエラさんがボーカルを務めたサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mikaela Band)も最高にカッコよかったし、遡って桐島かれんさんのミカ・バンドも後から見て最高だったし、ちょっと時間が離れてMETAFIVEはライブにも行くほど好きだったし…。
それらを全て書いたとしたら、きっと膨大な量になってしまう。
そこで、今回は「私と幸宏さん」をテーマに、今の想いを語ってみたいと思います。
きっかけは「YMO再生」
高橋幸宏さんのことを深く知ったのは、1993年の「YMO再生」だったと思います。
散開から10年経ち、当時とは別のレコード会社の企画でした。
Yellow Magic Orchestra。
伝説的バンド「はっぴいえんど」を終えた細野晴臣さんが、坂本龍一さん、高橋幸宏さんを誘い、今までにないサウンドとコンセプトで活動すべく立ち上げたユニット。
今までにないコンセプトとは、「シンセサイザーを使ったダンスミュージックで、海外進出する」というものでした。
マーティン・デニーの「Firecracker」をシンセでカヴァーし、1978年デビュー。
以降、1983年の「散開」まで、世界中の若者に影響を与え、日本でも社会現象になるほどのブームになりました。
YMO散開後は、それぞれの道を歩んだ3人。
数々の映画音楽を手掛け、「ラスト・エンペラー」のサウンドトラックでアカデミー賞を受賞した坂本龍一さん。
独自のスタイルで数多くの音楽プロジェクトを立ち上げたり、80年代アイドルソングや歌謡曲を陰で支えた細野晴臣さん。
そして、音楽活動の傍ら、ファッション業界でも才能を発揮していた、高橋幸宏さん。
1993年、そんな3人が久しぶりに集結。
アルバム「TECHNODON」をリリースし、東京ドームで「TECHNODON LIVE」と称したライブを開催しました。
当時、NHKで放送されたライブの模様を見て、衝撃を受けたのを覚えています。
近未来的な曲に合わせて、映像作家の原田大三郎さんがプロデュースしたCGのイメージ映像がステージいっぱいに投影される。
今となっては当たり前の演出ですが、当時は斬新でした。
しかし、TECHNODONの楽曲はあまり心に響きませんでした。
それは今も変わらないかもしれません。
嫌いではないんですけど。
教授(坂本さん)も、著書「音楽は自由にする」で、YMO再生について「3人とも、音楽で何かやろうという思いがあったわけではなく、周囲のお膳立てで再結成した」と話しています。
後でこの本を読んで驚いたのですが、3人にとっても特に思い入れがあったプロジェクトではなかったようです。
その分、ライブで演奏された78〜83年の曲に惹き込まれてしまった。
ライブの中盤でプレイした「BEHIND THE MASK」から「中国女」へのメドレーがおしゃれでカッコよかったし、何よりアンコールの「東風 -TONG POO-」は何度聞いたかわかりません。
ストレートなグルーヴに乗るオリエンタルなメロディに惹かれたのです。
テクノポップなのに機械的な要素が感じられなかったのは、3人の演奏が際立っていたからでしょう。
打ち込みのトラックはあくまで装飾。メインは3人の演奏。
幸宏さんのドラムも、細野さんのベースも生なのです。
今でも、あのグルーヴはあの3人ではないと創り出せないと思っています。
すると、その当時の音源を聴きたくなってしまう。
そこで流れてきたのが、誰もが知るあの曲「RYDEEN」。
作曲は幸宏さんです。
「RYDEEN」は、私の小学生の頃の思い出でもあります。
登校するとすぐに体操着に着替え、全校児童がグラウンドを3周走る「業前体育」という習慣が我が母校にはありました。
任意ではありません。強制です。
そのランニングの時に流れるBGMが、「RYDEEN」でした。
このチョイスはいったい何なのか?
ランニングが終わった後に行進しながら教室へ帰る時のBGMが、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」のインストバージョンだったので、当時の流行りの曲をチョイスしただけなのかもしれませんけどね…。
だから「RYDEEN」だけは知っていた。
毎日走りながら聞いていたわけですから、忘れるわけがありません。
しかし、曲を聞くとランニング中の辛い思い出が蘇る…ことはありませんでした。
あまりにもポピュラーすぎてそこまでの感情は沸かなかったのでしょうか。
アルバム1枚1枚を丁寧に聞いたわけではありませんが、ベスト盤を聴き、次第にYMOの魅力に取り憑かれていった私は、昔の音源から映像までを短期間でかなり掘り下げました。
あの有名なGreek Theatreでのライブ映像も、1980年ワールドツアーの武道館公演も、散開ライブを収めた「YMO伝説」も近所のレンタルビデオ屋さんにありました。
当然借りてきて、ダビングして、何度見たことか。
主要な曲を聴いたり、ライブを観たりする中で、私はやはり初期のサウンドが好きかなぁ。
特に、アルバム「SOLID STATE SURVIVOR」の曲はどれも印象的。
あの機械的だけど洗練されたサウンドが好きなのです。
曲もシンプルで、メロディもキャッチーですし。
ライブによってもサウンドが大きく変わるのが面白いですね。
当時の機材の限界だったのだと思いますし、逆に機材が進化してサウンドが大きく変わった、ということもあると思います。そこが面白い。
散開ライブの頃には初期の曲も全く別物のように変わっていました。
生々しさも残しつつ、少し機械的でクールなサウンドでもある。
敢えてそのようなアレンジにしたのかもしれません。
サウンドが大きく変わっても、「TECHNOPOLIS」や「RYDEEN」、「BEHIND THE MASK」といった曲の魅力は失われない。
これぞまさに「名曲」と言えるでしょう。
夢中になって聴いたソロワークス
YMOをきっかけに興味を持ち始めた私は、メンバーのソロワークスにも注目していきました。
テレビでも注目されていたのは、教授のソロワークス。
教授はその時からニューヨーク在住で、帰国した時にダウンタウンのガキの使いやあらへんで!を観覧したのをきっかけに、ダウンタウンのコント番組にも出演。
最終的には「GEISYA GIRLS」をプロデュースしました。
ちょうど同じ時期に、アルバム「Sweet Revenge」を手がけ、1995年には「SMOOCHY」を発表。
全国ツアーを周り、最後の武道館ではその模様をインターネットで生中継したり、と言った活動もしていました。
「D&L」というライブで、前述の原田大三郎さんと再びコラボ。
武道館公演は観に行きました。今思い出しても洗練されたライブでしたね。
細野さんはあまり表立った活動はしなかった印象ですが、突然コンビニのCMに登場。
森高千里さんと夫婦役でコミカルなドラマCMに出演していました。
その流れで、細野さんプロデュースで森高さんが歌った「東京ラッシュ」が印象的でした。
当時のヒットチャートを賑わす楽曲とは一線を画す洗練されたサウンド。
後にこの曲が細野さんのかつての音源のセルフカバーと知ってさらに驚きました。
森高さんが「モアベターよ」と言う、おしゃれでハイセンスな企画でした。
そして幸宏さん。
それまでのテクノポップとは少し離れた、ボーカルをフィーチャーしたポップスが主流でした。
落ち着いたサウンドと、幸宏さんの穏やかなボーカル。
「大人のポップス」とも言うべきソロワークスに惹かれたのです。
当時は10代でしたから、「大人の世界への憧れ」もあったのだと思いますし、単純に落ち着いた雰囲気の楽曲やサウンドに惹かれた、と言うこともあると思います。
ほとんどの作詞を手掛けたのが、幸宏さんと親交の深い、森雪之丞さん。
「CHA-LA HEAD-CHA-LA」や「お料理行進曲」のイメージが強いかもしれませんが、それはごく一部の作品。かなりのアーティストに作詞提供されている方です。
他にも多くのアルバムで親交のある方が多数ゲストで出演。
竹中直人さんや、東京スカパラダイスオーケストラも。
また、幸宏さんの曲はCMでもよく流れていました。
テレビから幸宏さんの声がすると、「この曲なんだろう?」と興味を持ち、アルバムを手にする、という流れ。
流行りの歌とはちょっと違ったサウンドが気になったし、じっくり聞くとその曲の良さがさらに味わえる。
とはいえ、10代でお金もなかったので、もっぱらCDをレンタルして聴いていました。
オリジナルアルバムでのお気に入りは、「Lifetime Happy Time 幸福の調子」。
「元気なら うれしいね」がCMソングでした。
この曲をはじめとして、ミドルテンポの落ち着いた曲が中心。
幸宏さんのボーカルが際立つ1枚です。
そして、「Mr.Y.T」。
オープニングから、幸宏さんが敬愛するジョージ・ハリスンが歌ったビートルズのカヴァー「Taxman」のカッコいいアレンジ!
「二人でくらしてみたいね」や「青空」といったCM曲も。
収録曲もミドルテンポやバラードだけでなく、バラエティに富んだ内容でした。
このアルバムは発売日に頑張って買いましたね。
印象的で何度も聞いたのが、ライブアルバム「A NIGHT IN THE NEXT LIFE」。
※こちらは後に発売されたPremium Discs。
私が聴いていたのはCD1枚のライブ盤でした。これは知らなかった…。
サブスクで聴けるのもPremiumバージョンです。
1991年のライブを収めたライブ盤。レンタルCD屋さんにあったので借りてきて、ダビングしたカセットテープを何度聞いたことか!
その後、たまたま中古CDを見つけて買い直しました。
「A Day in The Next Life」というアルバムのツアーだったのですが、肝心のオリジナルアルバムを聞いておらず、ずっとこのライブ盤だけ聞いていました。
小坂忠さんの「機関車」を演ってくれたり、初期の曲「音楽殺人 MURDERED BY THE MUSIC」をポップで楽しいアレンジで演ってくれたり。小原礼さんのラップで始まるのも、原曲完全無視で面白い!
病気で療養する前、ファーストアルバムの「Saravah!」をもう一度作り直したい、と録りなおしてリリースされた「Saravah Saravah! 」もユニークでしたね。
オリジナルの「Saravah!」は聴いたことなかったのですが、収録曲は今聴いても色褪せない。
歌い方がだいぶ変わったので、曲は同じですが印象はガラッと変わる。
それでも味があるし、聴き比べも面白いですね。
私が90年代に好きになって聴き漁ったアルバムも、ソロワークスのごく一部。
当時はお金がなくて全部聞くことはできませんでしたが、今はサブスクで全て聞くことができます。
ちょっと聞いてみましたが、当時の時代背景も楽しめていいですね。
「Saravah Saravah」のライブ盤が出ているのも知りませんでした。
「騙されないぞ!」心に残る幸宏さんの言葉
YMO再生から2年後の1995年。
NHK Eテレで放送していた「土曜ソリトン side B」を見て、当時リアルタイムだった世代へのYMOの影響力の大きさを知りました。
YMOに興味津々だった私も当然毎週のように見て、様々な影響を受けました。
夏休みが明けた9月の最初の放送のトークゲストが幸宏さん。
自身の活動の経緯や、YMOについても語ってくれました。
この時、最近Twitterでも話題になっていた言葉を語っています。
3人の関係を端的に表していて、一緒に活動してきた幸宏さんならではの言葉が印象的でした。
そして、番組の最後に幸宏さんが語った言葉をよく覚えています。
これはどういうことか?番組内で詳しく語っています。
「洞察眼がいい意味で屈折してる人が好きなんですよ。騙されないぞ、と生きてる人が好き。
特に若い人に顕著に見られるのが、与えられた情報を信じすぎる傾向があると思うんですよ。
これは感動する映画ですよ、と言われたら、ああ、感動するね、と受け取ってしまう」
この番組を見た10代の頃はあまりピンと来ませんでした。
人生経験も少なく、周りの言っている事は正しい、と思い込んでいたのかもしれません。
大人になるちょっと手前で、何が正解なのかもよくわからなかった時期。
今思い返してみると、確固たる正解なんてないし、自分がやりたいように生きていけばよかったんですよね。
どう生きていきたいか、それは人それぞれ。
それでも、世の中を飛び交う多くの情報に惑わされたり、周りの声に流されたりしてしまう。
放送から27年経った今、インターネットの普及やスマホ、SNSが登場し、飛び交う情報量は今よりもはるかに多い。
そんな情報の中にも、信じられるものもあれば、危険なフェイクもある。
莫大な情報を鵜呑みにしてしまう危険性を、幸宏さんは27年前から痛感していたのだと思います。
幸宏さんの感性の鋭さに驚くばかりです。
「騙されないぞ!」という生きかた。
よく、「行間が読めない人が多い」とか「読解力がない人が増えた」とか言われますが、そういった言葉を目にするたびに「私は大丈夫かな?」と心配になりました。
でも、最近ハッと気づいた!
そうやって心配して、SNSやネットニュースの言葉を疑ってみたり、疑問に持ってみたり、自分なりに考えて答えを見つけ出そうとすることが重要だったのです。
正に「騙されないぞ!」という生きかた。
幸宏さんの言葉を、この歳になってようやくわかるようになりました。
時間を共にした二人のメッセージ
YMOで共に活動し、刺激を受け合ってきた3人。
幸宏さんの訃報に際し、教授のリアクションが話題になりました。
教授がTweetした時、私も一報を受けて気持ちが沈んでいました。
年始、NHKのラジオ番組を聞いたのですが、教授も声が弱々しかった。
心配になったので、このように返信しました。
こんな発言をしたのは、不謹慎かもしれませんが「呼ばれてしまう」という事があると信じているからです。
発言を聞いたわけでも、直接話したわけでもないので、今の教授の気持ちは深くはわかりませんが、気持ちが沈んでしまうと体調にも表れてしまう。
自身、「1時間半~2時間という長いライブで演奏する体力がない」とおっしゃられていたので、ここで気持ちを強く持っていただかないと、本当に呼ばれてしまう…。
そう考えるとゾッとして、すぐにキーボードを叩きました。
ちょっとバズったようですが、胸が締め付けられるほど心配だったのです。
そして、訃報から1週間が経とうとしているタイミングで、細野さんもコメントを寄せてくださいました。
素敵なコメントでした。
ファンにとって、それぞれその「物語」のあらすじは違っていたと思います。
私にとっては、YMOだったし、90年代に夢中になったソロワークスだったし、竹中直人さんのコントに出て笑わせてくれた姿でした。
そして、こうやって「あとがき」を書いてるわけです。
長くなりましたけど、ここで終わっていいのかなぁ?もっと語らなくて大丈夫かな?語り足りないな?なんてことも思っています。
高橋幸宏さんのご冥福を心よりお祈り致します。
※タイトル画像は幸宏さんのアルバムジャケットを使用させていただきました。
※ちょっと宣伝。
METAFIVEについては過去に1本記事を書いています。
もしよろしければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
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