Ryuei Fujii

藤井隆英。理系禅僧(曹洞宗)、整体師。一月院副住職。禅健康法第一人者。仏教身体研究家。…

Ryuei Fujii

藤井隆英。理系禅僧(曹洞宗)、整体師。一月院副住職。禅健康法第一人者。仏教身体研究家。禅療法士。zafu代表。身心堂 主宰 。「zafuざふ」、「zafu瞑香」、禅セラピー、安楽坐禅法、開発者。 http://www.facebook.com/ryuei.fujii

最近の記事

  • 固定された記事

ハート ウォーミング ディスタンス

ことばの普及活動 【ハート ウォーミング ディスタンス】 ┏━━新たな世界に据えられる━━┓ ┗心の在り方を示す新しいことば━┛ -Heart Warming Distance- -わたしとあなたの心温まる距離感- -New world New heart- ◇賛同記載者現在80名*記事後半に一覧有◇ ○この活動は 「withコロナにおける、新たな世界に心の在り方を示す新しいことばの普及活動」です。 ○【ハート ウォーミング ディスタンス】とは 「一人一人が安らか

    • 禅的生き方キーワード〈禅セラピー修得にあたって〉

      -対象者・効果・ポイント・生き方の成果- 〇修得キーワード 「技術もしくは知識向上の際の善き心得とは、階段を築いて昇るように高めていくことではなく、独楽の同心円の径を長くするように高めていくことである。」 キーワード ・柔軟性があり、寛容である。 ・軸が形成される。 ・生きる力となる。 ・本質をとらえて進む。 ・全てを生かすことができる。 ・関係性がフラットである。 ・自分が否定されず、自己肯定の状態で進まれる。 ・崩れることがない。 ・必要なものを適切に選択できる。 ・

      • このような差別がなくなりますように。

        • 「悟り」は一瞬で到達する神秘現象ではありません

           -なぜ悟りの状態になりたがるのか-  -悟りとはなにか- 写真は仏教学者 佐々木閑 氏 8/7日本経済新聞夕刊の記事です。 日本人にはびこる悟り観は、仏教本来の考え方とは違います。そして本来の悟り観を元にした生き方が、本質の安楽に至る道であることが書かれています。 悟りとは、悟り状態になることではありません。 本文より《古代インドから伝わる仏教の文献を見ても、人が一瞬にして悟りを開いた、というような話はみあたらない。創始者の釈迦自身、長い修行で試行錯誤を繰り返し、

        • 固定された記事

        ハート ウォーミング ディスタンス

          スイーツ男子 in 高尾 〈真夏の昼の夢〉

          -感覚が感覚として話し伝わる人達- -絶望の大切さ- ◎TOUMAI [トゥーマイ] ◎ふたこぶ食堂 8/6直射日光が照りつく大変暑い夏の日。 そして広島原爆投下日。 午前中の国際NGO団体への脱ストレス禅セラピー講習でのワークは黙祷から始まり、 過去現在未来と繋がる自分を大切に感じるワークをいたしました。 午後に、禅療法士であり、感覚や情動を扱う業界にて大変人気のある方と今後の打ち合わせ。都心在住の方ですが、リフレッシュを兼ね、高尾まで来ていただきました。

          スイーツ男子 in 高尾 〈真夏の昼の夢〉

          禅の身体育ての必要性 ~統一精神論理が許される時代に向け~

          最近の時流を想うと、トップや権威、マスに流されやすい。そして同調圧力が以前にも増して大きくなってきている時代だなと感じざるを得ません。時折トップの不法な強権が暴かれたり、強者の論理からの不当な発言が叩かれることがあります。しかしそれはもぐらたたきのように、一つ叩いたら次のもぐらを待つように、当事者以外の私たちはゲームをする側として守られながら、一つの社会刺激の楽しみとして成立している風にさえ思えてしまいます。 暴かれ叩かれる出来事を目の当たりにしても社会構造の変化を起こ

          禅の身体育ての必要性 ~統一精神論理が許される時代に向け~

          オンライン どこで行うか問題

          ーコロナ禍におけるNGOの苦慮ー ー自然の中でつながり合うー ー気持ちの分断を解消する禅セラピーー 本日は、今年初めから毎月行っている、ある国際NGO団体への脱ストレス禅セラピー講習でした。 こちらのNGOは、海外特に東南アジアの教育文化支援。そして国内の自然災害復興支援をしている団体です。現在海外渡航が制限された上で、各国におけるコロナの状況や紛争などにより、活動が思うままにならず苦慮しております。 禅セラピーが、スタッフの脱ストレスの一助になればと、毎回想いをも

          オンライン どこで行うか問題

          8月6日に日本人であるということ

          ーどの縁を選択していくかー 日本人であるということは、 8月6日に起こったことを想う責任があるということ。 これからの日本は、今までのように無関心ではいられなくなることでしょう。 それでも無関心を貫くことで、依存と否定の存在でいるのか。 気づき関心を持つことで、本質の楽しさを智る存在となるのか。 亡き者とつながることは、今の私とつながり、未来の私の基礎を築くということ。 世界の安寧につながる私の未来を築くために。 私とつながるどの縁を選択していくかが、これからさらに重要な時代

          8月6日に日本人であるということ

          様々な意見はありますが

          様々な意見はありますが 現在の情報の出され方は 限定され一方的な情報と 感じざるを得ないことを 多くの方は気づきはじめ 自らの意思を信じるべく 変わりはじめるよう願う https://www.facebook.com/keitaro.nomura/posts/4377997658928534

          様々な意見はありますが

          祈りに 向き合う

          あなたがされているのは あなたがしているのは 祈りの”フリ”なのか 祈りそのものなのか 功徳の有無を 見極めながら 自戒しながら 祈りに 向き合う https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1308334606230195&id=100011610049289

          祈りに 向き合う

          「瞑想とは」の適切な見解

          〇リンク冒頭文、大変適切な見解です。仏法の瞑想には本来独我や依存を強めるスピリチュアル要素などないのです。 瞑想とは、何か聖なるものや象徴的なものを思い浮かべたり、無になるとか「空」を得る事ではありません 様々な課題について思索や分析をし、その結果として見解を得ることにより、認知や認識が変化していくためのものです さらにその上で、生きるこの生活の中で様々に起こる体験に重ね、考えることにより、それは確実なものになります 見解を得れば見るもの、聞こえるものが全てかわります その

          「瞑想とは」の適切な見解

          rasiicu(らしく)

          森昭一郎さん (禅セラピーインストラクター[禅療法士]) がメンバーの HSP・繊細さん仲間でつくる「HSP応援プロジェクト」 【 rasiicu(らしく)】にて 著書「幸せになる坐禅」紹介いただきました。

          rasiicu(らしく)

          日本人への素朴で重要な問い

          ー個人、他者、社会への寛容の基礎ー ◯本文より◯ ◇日本人への感想として ・求められるレベルのことを達成するためなら、自分を大切にしないことも選んでしまう。 ・誰かが辛い思いをしているサービスを受け取ることが辛い。 ◇問いとして 「自分を大切にしてるかい?」 「そもそも、自分の大切にすることが何かわかっているかい?」 「それに照らし合わせて人生を生きてるかい?」

          日本人への素朴で重要な問い

          本質的理論と理論武装の違い

          ー理論でなく物語でよい風潮への危惧ー ーー本文よりーー 難しい話を避けたり、理論やロジガルな話しや内容など必要ではないと言う、僧侶や精神的指導者は、根拠のない単なる感覚による戯論であり戯言にしか過ぎない事を、覚えておいて下さい それはゴシップと等しく、だから人が引き寄せられるのです ーーーーーーーー この場合の本質的理論とは、【印刷物や出版物で何かを見た場合、それを「確固たる証拠」】とするような知識的理論ではありません。自らで探り獲得すること。獲得後はひとつの知識的推察でなく

          本質的理論と理論武装の違い

          仏教身体研究家 藤井隆英が説く【禅的智慧の泉】  第一回 平和の祭典とは

          https://coco-yori.com/News/view/fujii_ryuei/117?fbclid=IwAR02Ipy_kPUmyQNGSsqmPJ1S_Y7Bqr1NBcgHI1hcARHsqTG46ygz4Jk02YY 《ここより記事》 ≫オリンピズムと仏法的平和観との繋がりを書きました≪

          仏教身体研究家 藤井隆英が説く【禅的智慧の泉】  第一回 平和の祭典とは

          これが今の日本が発信したかったことなのか

          ー逆境の中でどう生きていくか試される時代ー 私は日々自分の内外を平穏に保つため ・コンセプトが見えない ・もとよりの趣意を踏襲していない ・世界の安寧に向かわない ・自我を拡大する ・差別を助長する暴力や吹聴、悪言を有する これらの感のある物事やコンテンツには自ら近寄らないですし、触れないようにしています。 しかし、近しい方や社会で起こる物事で、そのような状況になることに際しては憂慮し問い、場合によっては変化するよう関わります。 それが戒を有する僧侶として当然の役割

          これが今の日本が発信したかったことなのか