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初!閉鎖病棟体験記

ご無沙汰しております。

しばらく記事を書かない間に色んな事が起きて、
タイトル通りの体験をしてきました。

こんな機会も無かったし、何より想像と違った部分もあったので記録していこうと思います。

いきさつ

旦那と揉めました。旦那は私の事が嫌いなのも、離婚したいのも知っています。
でも、一応は書類上まだ夫婦です。
毎週末、金曜の夜から日曜の夜まで泊まりがけで遊びに行くのを控えて欲しい。と私は旦那に言いました。脅すわけじゃないけど、
もし離婚だの裁判だのになった時に不利になるような事(不倫、度を越えたギャンブル、借金、家庭をかえりみない等)はやめて欲しい。少しは家族の時間が欲しいと伝えました。
すると、
「俺は家族の時間なんてほしくない」
「それが嫌なら離婚しろ」
「離婚届出してくる」
と言って揉めました。
確かに今まで、どちらかというとモラハラをしてきたのは私です。束縛とか、ヒステリーとか。
そして今の旦那はモラハラだけど私とはジャンル違いのモラハラです。
我慢すべきなのか、どうなのか今でもわかりません。

押し合いへし合いしつつ、最終的に私が警察を呼んでと旦那に頼んで警察到着。
私が死にたい死にたいと泣き喚き、旦那に私がこの前首吊りに失敗したのを警察に報告され、このまま帰るわけにいかないからと私は保護されました。旦那は近距離にある実家へ。


保護という名のお説教

保護という名目で部屋着のまま警察の車に乗せられ地域の警察署へ。

格好はヨレヨレのトレーナーに毛玉だらけのスウェット。裸足にスニーカー。
警察が到着するまでの間にブラジャーつけてて良かった。

持ち物も何も持ってなかったけど、
障害者手帳
お薬手帳
保険証
財布
携帯
家の鍵
ヘアゴム
処方してもらっていた薬

これだけは警察官の人が旦那から預かって持ってきてもらえました。

で、ここからです。
交番じゃなく警察署に到着するなり、ドラマに出てくるような取調室に入れられました。
んで、押し合いへし合いした時に怪我などしていないか女性警官に確認され、デジカメで撮影されました。
その撮影も押された場所を指差して撮影します。

その次にトミーズの健ちゃんそっくりの刑事さん登場。
病院に入院しないと帰らせないと言う。
私は別に入院したくない訳じゃない。お金が無いから出来ないんだ。以前も医師に勧められたけど、パートにも行けなくなるし金は無いしで無理だと。
健ちゃん「死にたいって言ってる人このまま帰せる訳ないし、お金と命どっちが大事かわかりきってるやろ?」
上から目線で急に命の大切さを説かれても生きるのに疲れた私には心に響くどころか、反発、抵抗、拒否感しか湧かなかった。
今思えば、真っ当に生きて人から尊敬の眼差しを向けられる職業でお手本の様な人生を送ってきた人にはわからないのは当たり前だ。

ただ生きろって無責任で残酷だと改めて思った。

そんな会話をしている間に夜間救急で精神科を受診出来るか問い合わせをしていた様で

警察官「入院になると一旦10万円を預かり金として預けなければならない」

私「そんなお金は無い」「旦那にもお金出せるか聞いてみて」

〜3分後〜

警察官「旦那も無理やって」

私「でしょうね。じゃ帰ります。もう死にませんから。」

健ちゃん「じゃあ、入院じゃ無くて診察だけ受けに行こ?ほんで大丈夫やったら帰ったらええよ」

私「じゃあそれだけは行きます」

実際、自覚がある程度にはメンタルが消耗していたから診察だけなら深夜料金込みでもせいぜい5,000円程度で済むだろうと。

と言うわけで警察の三列シートの車で
運転席に1人
真ん中に1人
最後尾の座席に私と横に婦人警官
という構成で出発!!


病院に到着

高速道路を使いつつ大体40分程度走っただろうか?
真っ暗な下り口で高速を降りて山の中を5分程走った所に急に病院が現れた。
周りは完全に山の中で民家はおろか街灯すらない。
直感的にここは閉鎖的な病院だとわかった。
正面玄関では無く、裏口の小さな扉から院内へ。

警察官に囲まれつつ、看護師さんに誘導され薄明かりの中の院内を通り診察室へ。

そこで入院生活中、とてもお世話になるH先生と出会った。
H先生は小柄なおばあちゃん先生で、穏やかな喋り方で可愛いらしい印象を受けた。

H先生「どうしたのかな?入院は怖い?」

私「入院が怖いわけじゃない。お金の問題だけ。ほんとは入院できるならしたい。」

H先生「そうかそうか。じゃあ03:20措置入院で」

私「え?」
(じゃあなぜ聞いた?)

H先生「72時間は入院しないといけないけど、落ち着いたら任意入院に切り替えて出れるからね」

そこで、警察官達とお別れし看護師に連れられて病棟内へ。

一般的な病室ではなく、保護室?に入り看護師に入念なボディーチェックや所持品検査をされる。

服は下着も含め院内着。
紐のない上下と綿パンを着用。ブラジャーは危ない(首がくくれる?のとホックに金具が付いているから)からノーブラ。
着てきた服は全て預ける。

着替えののち、次は所持品検査。
全てをスマホで動画撮影し、紙に記載。
薬手帳の中の診察券、財布の中のカードや小銭類を全て見せる。その一枚一枚まで記録。
きっと退院時の返却の時に揉めない為だろう。

もちろんスマホも電源を切って没収。

その後、入院にあたっての同意書や保護室で治療すること、入院着のレンタルの申込書など複数枚にサインする。

看護師さんと会話しながら作業をしたが、とても優しくして下さった。
途中、私の生年月日を書いていると

看護師さん「あ、同い年!誕生日が3日違い!」

私「え!またまたにしてはすごい!」

や、

私「旦那の暴言にもう疲れた。離婚はまだ考えられないけど一旦逃げて自分のメンタルを立て直したかった。強制入院になって少しホッとしている。」

看護師さん「私も実は離婚してるねん。子供も居て。旦那に死ねって言われて、見といたるわって言われた。不倫した上で言ってきたで」

心底驚いた。看護師っていう結構な資格持ってて子供も居て側から見たら順風満帆に見えるのにそんな目にあってたなんて。

私「でも離婚しても資格あると強いね。やっぱり手に職はいるね」

看護師さん「確かに。でもいつでも離婚なりできるからすぐ判断してしまう節もあるよ。それが良いのか悪いのか。」

そして、書類のサインも終わり保護室で休むことになった。不安になったら頓服も出せるからねと言われていたけどどうやら、深夜3時までなら睡眠薬は渡せるけどそれ以降は起きるのにしんどくなるから渡せないとのこと。
不安感はなかったけど、知らん場所で寝るのが苦手なのでさっさと寝たかったのにな。

そして意外だったのは、映画で見る様なベッドの上に寝かされてツタンカーメンみたいな体制で身動き出来ないようにされると思っていたのにされなかった事。
その時は安堵感があったし落ち着いてたからなのかな?
状態によっては拘束されるのかな?

というわけで鍵のかかった保護室の中を探検?してみた。

部屋の中には洋式トイレが付いていて蓋は無く、その真横の壁にトイレットペーパー。キャッシュカードの挿入口みたいな隙間から出ている。
その横にナースコールのスイッチ。
そのまた横に手を洗うセンサー式の水道がある。
手を擦るにはあまりにも小さい窪みなので、どうしても床に水が散る。
トイレに座った左斜め前には細い小窓がありそこに1日の予定表が貼ってある。
反対側のトイレの横にはベッドがあるのだが、その間に間仕切りの壁がある。
そしてトイレの真上に監視カメラ。

窓はあるけど夜中なので真っ暗で何も見えない。
後でわかったが、窓の外にベランダの様な場所が付いていて、そこに日よけのシャッターが付いていた。そりゃ景色見えないわ。

窓の上にも監視カメラが付いていて、ベッドに横になってもトイレに座っていても常に監視できる様になっていた。

ベッドに横になってみるすると木の保護カバーの中にテレビが入っていた。
病状にもよるだろうけど、テレビは観れるしトイレはすぐだし個室。カギはかかって自由に出入り出来ないけど。
私は監視カメラがあろうと平気でトイレできるし、監視カメラが気にならなければ割と良い環境だなと思った。
それと同時にこれ個室代取られるのでは?とそっちの方が不安になった。
のちに看護師さんに個室代かかるか聞いたら治療の一環で入ってる部屋だから個室代はかからないよと言われた。よかった。

いざ入院生活開始!!

ここでトイレ横に貼っていた1日の予定表を書いていく。

06:30 起床 
(検温、血圧、トイレの回数)

08:00朝食
(服薬)

12:00昼食
(服薬)

18:00夕食
(服薬)(検温、血圧)

21:00消灯
(保護室じゃない人は何時でもホールなどに出入り自由)(テレビは23:00まで)

ザッとこんな感じ。
カッコ内は時間が前後する事があるが予定表の合間に行われる事。

入浴は週3回。そのうち一回は入っても入らなくても自由らしい。ただ保護室の人は週2回らしい。

私は08:00〜21:00までは保護室のカギを開けてもらえて出入り自由。テレビも06:30〜23:00まで観ることが出来た。

入院生活1日目(月曜)


結局、ウトウトはしたものの熟睡できず。
部屋に時計が無いので今の時刻がわからず。
窓の隙間からわずかに見える外の明るさで大体の時刻を予想するしかなかったが、
06:30頃にシャッターが開けられ外の風景を観ることが出来た。ツバメがベランダに巣を作って居て鳴き声がよく聞こえる。

鍵がかかっていて詰所などの様子はわからないけど廊下の方で人が頻繁に動いているのが音で分かった。
そして、ノックののち看護師さんがやってきた。

看護師さん「先生から許可が降りたから持ち物を返すね」
といってバッグごと返された。あと、スニーカー。

今のところ返却されていないのは、
スマホ
ヘアゴム
私服

あと私の生い立ちや家族関係も看護師さんに聞かれました。
カルテの様なものに、丸や四角を書いて関係性を記入していました。


08:00からは部屋から出てご飯を食べるホールにも行けるからお茶はそこで自分で注いでねと言われた。

しかし院内着しか身につけていないのでノーブラ。流石にロビーやホールに出る訳にも行かず、事情を看護師さんに話すと「確かに出にくいよね、気がつかなくてごめんね。ちょっと先生に確認取ってみるから今は保護室で待ってて」と言われる。

しばらくすると看護師さんが
「昨日着てきた服と下着、今洗濯して干してるみたいで、乾いてからなら渡せるけどいいかな?」
と。洗濯までしてくれるなんて感激した。

天気が良かったのも幸いして昼過ぎには乾いてたようで、無事ノーブラから脱せた。

お茶を注ぐ以外は廊下の窓際で中庭をボーッと眺めて居るだけで1日目が過ぎていった。

スマホが無いのは正解だ。
カッコよく言うとデジタルデトックス。
不安をかかえると常にスマホで調べる事が出来る。確かに便利だけど、調べすぎて考えすぎる。しかしスマホがないと疑問や不安を一旦置いておく事が出来る。
いかにスマホに支配されていたか思い知った。

その日は朝昼晩と保護室で食べた。
食事に関しては
朝食から白米がめちゃ多かった。
170gと小鉢もの、紫蘇ふりかけ、バナナ、牛乳
すごい組み合わせだと思った。
というか仕事してないし、メンタル死んでるし、その日はほぼご飯を残してしまった。よそってくれている物を残す事にすごく罪悪感を感じたが、本気で食べられなかった。

昼食
ご飯170g
メインの煮魚(カチカチの謎魚)
ほうれん草の胡麻和え?
うっすいすまし汁

晩御飯
ご飯170g
豚肉と玉ねぎの煮た甘辛系のメイン
マロニー的な物とカニカマとわかめの和えた小鉢
お漬物
薄いお味噌汁
パインの缶詰

総合して。うん。私のメンタルがおかしいから味覚もおかしいんだ!きっと元気になったら美味しいはず!多分!と思って頑張って食べていたけど、退院するまで同じ感想だった。
作った人に申し訳なさを感じる。
きっと栄養や塩分などに気を使ったご飯なのだろう。そして予算もある。
体を満たす食事と、心を満たす食事は別という事を改めて学んだ。

食後の一服については
結構なベビースモーカーだけど案外、タバコを吸わなくても大丈夫そう。食後はモヤっと吸いたい欲が出てきたが、吸えなくてイライラするまでは行かなかった。

旦那に連絡をする。スマホが使えないので詰所でスマホの電源を入れ、電話番号をメモ。
合わせて職場、実母の番号もひかえる。

公衆電話から旦那に木曜日までは入院しなければならない、木曜日に迎えにきて欲しいと伝えると
仕事終わりならとの事で話を終える。


そうこうしてる間に21時になった。
保護室に戻りベッドに横になりテレビを眺める。

するとH先生がやってきた。
穏やかな可愛らしい声で
H先生「どうですか?調子は?」

私「おかげさまで落ち着いています。入院させてくれてありがとうございます。少し逃げたかっただけなんです。」と泣きながら頭を下げた。
実際、強制的に入院させないと私は入院しなかったと思う。

H先生「一旦ね、ゆっくりしたら良いんだからね。ご主人も悪い人じゃないでしょ?だから今はゆっくりね。入院したこと無かったら不安だったんじゃない?でも入院って悪いものじゃないでしょ?」
と穏やかににこやかに。

ここで、今までの受診した病院を聞かれる。
すると1番長く通っていた先生は業界では有名な先生だったらしく。
H先生「S先生?有名よ。知ってるよ。」
と。
実際、元々通ってた病院で、もしかしたらS先生の方が良いかもと医師から言われ紹介状を渡された。当時の私は匙を投げられたと、治らないんだと大泣きした。10年経ってからわかったが善意だった。

以前、年金の手続きで書類書かないと言われて先生変えたけど、名医っぽい。

H先生「この病気はね、ずっと同じ先生にかかる方がいいよ。」
と言われる。
私「病気マシになりますかね。双極性は薬も大事だけど境界性パーソナリティ障害はカウンセリングも必要な気がしてて」

H先生「若い頃と比べてみて?マシになってない?その通り。薬は飲まないとダメだけどそれだけじゃなくてカウンセリングもね」

そして会話を終えてベッドへ。

保護室がズラッと並んでいるのだが何部屋か隣から男性のうめき声や叫び声が聞こえる。
彼は何も悪くない。ただちょっと気になった。
しかしそれも次第に静まる。たぶん薬が効いて穏やかに眠っているんだろう。

昨晩は眠れなかったので今晩は眠れそうだったが、途中で起きて何もない部屋で発狂するのも嫌で、テレビの切れる23:00までに眠れる様に22:15分位にナースコールして睡眠薬をもらう。
部屋の電気は監視カメラの事もあるからしっかり明るかった。体感として豆球2個分位だろうか?
真っ暗よりは明るい方が落ち着くので助かった。

テレビが切れ、部屋が静寂に包まれる前に無事眠りにつく事が出来た。

入院生活2日目(火曜)

朝04:00に目が覚める。
保護室にお茶を持って入る事が許されていたので、喉の渇きを潤す事が出来る。
もう少し飲みたくなってナースコールを押す。
部屋の天井にはスピーカーが付いており、会話が出来る。
看護師「どうされましたか?」
私「お茶お願いします。」
お茶と現在時刻を聞く。

06:30のテレビ視聴可能な時間までまだまだある。部屋をウロウロしながら、今晩こそは仮眠もせず06:30以降に起きるのを心に誓う。
動物園の動物が同じ所をくるくる歩き回る気持ちが少しわかった気がした。

男性の叫び声が聞こえる。何か意味をなしている訳でもなさそう。そりゃ病むよねこんな世の中じゃね。
外が明るくなり出して、人の往来の気配を感じる。
06:30待ちに待った時間。
看護師さんにテレビをつけてもらい、めざましテレビを眺める。
でもテレビのテンションを見るとすこーし心が疲れた。天国から現実世界見ている様な、またこの世界に戻らなければならない不安や、バカみたいに明るいナレーションに対して私はこういう風に明るくはなれないんだ。という焦りのような不安。

無音が嫌なだけで、テレビが見たい訳じゃない。

だから布団を被って寝たフリをした。

そしたら本当に寝ていた様で、看護師さんのノックで目を覚ました。
入院生活しているのに反射的に「すみません!」と謝り勢いよく起きた。別に寝てても怒られないのにね。寝ちゃいけないって思ってしまってたんだよな。社会人としてちゃんとしないとって。自分では怠け者で社会性も皆無だと思ってたから意外だった。

朝ごはんが運ばれてきた。ふりかけで誤魔化しつつ少し食べる。
食べないと心配される。下手すると退院すら怪しい。だから必死だった。

食後しばらく横になっていると、またノックされ看護師さんが入ってくる。血圧と体温、トイレの回数を聞かれる。
その後、入院すると全員受けなければならないという検査の為に採血。検尿。
看護師とは別の恐らくお手伝いさん的な方に連れられてCT検査室へ。
あの輪っかの中に潜るのが怖くてずっと目を瞑ってやり過ごす。なんか苦手なんだよね。
胸部と頭部の2度潜る。
入院生活の中で治療ぽくって1番怖かったのはこの検査だけだった。採血は平気だし、看護師さんが上手だったので良かった。

その日は翌日の水曜日がパートだった為、なんて嘘ついて休むか必死に悩んでた。
公衆電話だと表示が公衆電話になって怪しいし、
どうしようと悩んでいた。そこで何かの用で看護師さんが入室した時に相談して言い訳を考えてもらう。

看護師さん「身内の不幸って事にするなら病院から電波悪いから公衆電話で掛けたってことにしたら変じゃない様な」

私「それだ!!」

とはいえ、出来ればスマホから掛けたかったので先生に職場だけかけていいか聞いて貰う事にした。別に内容聞かれてもいいし、詰所で話すからと。

しばらくして許可が降りたので、詰所で話すのかなと思ったら保護室で1人で話して良い事になった。その間、看護師さんがドアの外で見守ってくれていた。クソほど忙しいのに申し訳ない。

とりあえず得体の知れない架空の身内を1人殺して木曜日までお休みを貰う。

そこでやっとこの状況を楽しみ、自分を立て直そうと思えた。

その日からロビーに出てみたり、ホールという食堂みたいな場所へ行って本を読んでみたり。

誰かと会話するわけではなかったけど、少し徘徊する様に変わった。

ホールで借りてきた美容雑誌を保護室で眺めていると、またノックされる。

お手伝いさん「お風呂に入りましょう」
本心は面倒だし、誰に会う訳でもないし、もう恥も何も無かったから行きたく無かったけど、拒否して看護師さん達が困るのは嫌だったので大人しく従う事にした。
どうやら、その日のその時間帯のお風呂は介助が必要な人のお風呂時間だった様で、保護室に入ってる私はそのグループに割り当てられた模様。私以外は認知症のお年を召したお姉様達だけだった。

脱衣所はカゴが置いてあり、私の入院着の着替えが入っていてタオルもその上に置かれていた。

浴場に入ると6人が使える洗い場とそれなりに大きい湯船があった。
イメージしていた無機質な浴室とは違い、コンパクトなスーパー銭湯の様な印象。

ボディーソープとリンスインシャンプーが備え付けであり、皮脂でコテコテになった頭を洗う。

すると看護師さんが
「女子はそのシャンプー可哀想やからちゃうシャンプー出すわな、トリートメントせんと髪バサバサなるやろ」
と言ってパンテーンのシャンプーとトリートメントを貸してくれた。
あと、洗顔料も。
優しすぎる。心の中で、テキトーに洗ってサッサと上がろうと思ってたのに、このひと言でちゃんと洗おうと決めた。
というか、洗い場横で排泄しちゃった方のお世話しながらそれ言うとか、目が何個付いてるんだと思うし、洗えりゃ良いんだ仕事はしたからな!ってなりそうなもんなのに、気配り出来るとか人として尊敬した。

有り難く使わせてもらい、体も洗い、さぁ上がるかと思ったら脱衣所が介護役の人達とお姉様たちで溢れていたので一旦湯船に浸かり空くまで待つ事にした。
するとお手伝いさんの1人が
「詰所にヘアオイル持って行っとくから、ドライヤーも時間かかるやろし詰所でゆっくり乾かし」
と言ってくれた。

自分に余裕があった時はヘアオイルを塗って乾かしたっけ。いつの間にか、せっかく買ったお高めのシャンプーもヘアオイルも減らなくなってたな。

書いていても涙が出そうになる。
あぁちゃんと人として扱ってもらえる、気にかけてもらえてる、人並みの行動をさせて貰えてるんだって。

看護師さん忙しいし、髪の毛を乾かしたら終わりでも良いはずなのに、ある方は綺麗に髪を結んで貰っていた。ある方はブローしてもらって。
これが本当のケアなのかと。

脱衣所が空いてきたから湯船から上がり着替え、頭にバスタオルを巻いたままロビーを歩いて詰所へ。

次の時間帯は男性陣だった様で浴場前のベンチには男性が座って待っていた。そういえばここは男女混合の病棟だった。
部屋やエリアは違うけど、同じフロアに男女がいる。

詰所でヘアオイルとドライヤーの件を話すと詰所内の洗面台を使わせてくれて、横で私を見守りつつお仕事をする看護師さん。

本当にサッパリした。というか気持ちが軽くなった。入って良かった。

その後も気持ちよく過ごせた。

今日も夜にH先生がきてくれた。
そして書類を渡され、
H先生「どう?木曜日までは入院してくれるかな?もし、入院するって約束してくれるなら明日から任意入院に切り替えて、病院の敷地内を自由に動ける様にできるんやけど」

私「もう、約束します。しばらくは入院したいです。でもお金の事もあるし木曜日まではゆっくり休みます。」
「帰っても落ち込んでじっとしているだけでその空気が嫌いやねんと旦那に言われる。それが怖いです。でも、あたしから言っても理解はしてくれません。」

H先生「わかった、じゃあちょっとご主人に電話でお話ししとくわね」

もう院内を自由に動けるとかどうでも良く、本心から出たくなかった。

そして任意入院にする為の書類にサインした。


その日の晩も21時には保護室の鍵が掛かるので、20:45頃に保護室前の洗面所で歯磨きをして
部屋に入る。
そして22:30頃に睡眠薬を飲み、テレビが消える前に眠る。
今日こそは06:30より早く起きません様にと祈りながら。

入院生活3日目(水曜)

3日目の朝は06:00に目覚める。
お茶を注いでもらう為にナースコール。時間確認。
30分程度ならまぁ許容範囲内かと言い聞かせる。

テレビがつけられて、ボーッとテレビを眺めたり

窓際に出来たツバメの巣に頻繁に出入りする親鳥を眺め、自分の現在と重ねて泣いた。
オスとメスがベランダの縁に留まり鳴いている。
鳥ですらツガイとなって子供を育てている。
一方私はどうだろう。
ツガイも破綻して、子は居らず、閉鎖病院。仕事は休み、自分の世話すらままならない。
ツバメを観るのをやめた。

監視カメラがあるから泣いていたら退院出来なくなるかもしれない、拘束されるかも知れない。
カメラに顔が映らない様にカメラの真下で真下を向いて泣いた。声を殺して泣いた。

朝ごはんの時間。今日からはホールで食べる様だ。ホールにご飯ありますよと促され、ホールで食べる気分になれずホール横の会議室の様な部屋で食べる事にした。その部屋も開放されていたが誰も使って居らず1人、泣きながら食べた。
本当に悲しくて情けなくて、そして何より退院する時に旦那に会うのも怖かった。離婚を言い渡されるんだと。

退院したい、いやしないと金銭面で死んでその事で悩みが増える。という感情と現実から逃げたい感情でぐちゃぐちゃになっていた。

あまりにぐちゃぐちゃになったので、詰所で看護師さんに
「カウンセリングを受けたいのですが、そういった事は出来ますか?」と聞いたら

看護師さん「カウンセリングはあるけど今は居ないのよ。何かあるなら聞くよ?」

私としては忙しい看護師さんの手を煩わせたり、時間を割かせるのは申し訳なかったけどこのままだと治療も何もないなと思ったから

私「お願いします」

看護師さん「男子でも大丈夫?」

私「大丈夫です」

男性の看護師さんがきてくれた。
ロビーで話す。
私「退院した後が不安で、今できる事なんて何もないのに不安で泣きたいです。でも、泣いたら退院が遅れるかもしれないのと、拘束されるんではと思って泣けません」

男性看護師さん「あぁ、大丈夫ですよ。みんなここにくる人はしんどい思いをしたから来てるんです。泣くくらい全然大丈夫です。それに拘束は暴れるとか自分を傷つけてしまう恐れがある人にしかしてはいけないし、法律で決まってますから。安心してください」

これで安心して泣ける。傷つけたい訳じゃない、死にたい訳じゃない。不安から逃げたくて仕方ない。でも今、現実を変える事なんて出来ない。そのもどかしさや焦りから泣いてるだけ。

その後も憂鬱な気分のまま過ごしたが、このままでは宜しくないと保護室から出てホールに行って塗り絵をさせて貰う。何か手を動かす、意識を逸らさないとおかしくなりそうだったから。
塗っていると男性の患者さんから声をかけられた。
男性「色塗りしてるんですか?」

私「はい。何かしておかないと暇で病気が悪くなりそうで」

男性「わかります。塗り絵して病気良くなりましたか?」

私「なかなか難しいです。でも治れば良いですね。」

会話を終えて泣いた。優しい表情で
病気良くなりましたか?って。上手く表現出来なくてもどかしいけど、彼自身が病気を患っているのに真っ直ぐ私を見て私に優しく聞いてくれた。
心の真ん中に刺さる一言だった。
泣いてる所を看護師さんに見られてどうしたの?!と心配される。
さっきの事を話すと
「そやねん。ホンマに皆んな優しい人ばっかりやねん。世の中もそうやったら良いのになぁ。」

その後、看護師さんに呼ばれる。
13:00頃だったかな?

看護師さん「今日から任意入院になって今晩から保護室の鍵もかけないし、敷地内なら09:30〜16:30までは自由に動けるよ。売店も行けるし、院内を案内するから一緒に行きましょう」

病院は東棟と本館?に別れており、本館?には一般外来の待合席があったり売店もあった。
売店は今は持ち込みが出来る物が何かわからないから一旦やめておきましょうと言われ、どこまでが敷地か説明して貰う。

建物は古めだがとても綺麗にされており、運動場もあった。
ザッと説明してもらい、出入りに必要なカードに行き先、出発時刻と帰宅?時間を書いて提出すると良いらしい。

一度、病棟へ戻り少しゆっくりした後、看護師さんに受付へいって保険証を提出してきて欲しいと言われる。念の為、受付に連絡しておくねと。
再度1人で出てみる事にした。
カードに
行き先 受付
出発時間と帰宅時間を書いて渡す。
この病棟は全て鍵がかかっているのでエレベーターに乗るにも鍵がいる。開けてもらい一階へ。

指示通り受付に行き提出。
その時にざっくりで良いから入院費教えて欲しいと言うと50,000円位と伝えられ驚く。
まぁそうだよなぁ。なんかもっと高額になると高額医療費なんちゃらでだいたい80,000円に収まるって聞いた事あったから割高じゃない?と思ってしまった。もはや入院したままの方がお得では?
病むのにもお金かかるんだなぁと。世知辛いね。

帰りに売店の品揃えをみて雑誌はないし、お菓子、カップ麺、ふりかけ、日用品、介護用靴程度しか置いて無かったので何も買わず病棟へ。

お菓子に関してはホールで分けるわけないで揉めるのを見たし、入院の時の注意書きに物の貸し借り禁止とあったので買ってもこっそり食べれる飴程度だなと。

現実問題、出たいのに出られない人がいる。その事は知っていたから無駄に心を動かされてほしく無かった。
辛い思いさせたく無かった。

その後、もう一度敷地内を探検する為にカードを出す。
行き先は困ったが「さんぽ」とした。

一階に降りてキョロキョロとしていると、病棟でちょくちょく見かける50代位の女性が
「どうしたん?」と声をかけてくれた。

私「今日から敷地内は自由らしいのでどこに何があるか探検しています」

この方をYさんと呼ぶ

Yさん「あぁほんなら教えたるよー」

めちゃくちゃ丁寧に教えてくれた。
ザッと看護師さんに教えてもらったけど、更に丁寧に。
彼女は入院歴はそこそこ長く、色々と知っていた。
あと、オリエンテーション的な物の存在も教えてくれた。日中、各自やりたい事をやるらしい。作業療法士さんがついて色々と教えてくれる。
運動、手芸、音楽、塗り絵、折り紙などなど。

何それ早く知りたかった。
やる事なくてどうしたものかと困ってたのに。
参加には医師の許可が必要らしい。

Yさんも看護師さんに聞いてみたらええねんと。
うん。絶対聞こう。
明日は午前も午後も開催しているらしく、是非一緒にと返事をした。

それからYさんと行動を共にする事が多くなった。
Yさんも話せる相手が次々と退院して寂しかったらしい。

その日の晩御飯の時も不安で泣いていました。
明日退院するんだと。旦那に会うのが怖い。
旦那が怖いんじゃなくて会うのが怖いんだ。

泣きながら完食しました。
とても塩味が効いていた。
看護師さんもそっとしてくれていました。

その日の夜、21時の保護室の門限もなくホールで女子会の様なお話を沢山した。

今までの事

これからの事

病気の事

好きな事

家族

退院したら

恋バナ

親世代の方だったけど、本当に気さくに話してくれた。
本来、院内で連絡先を交換するのは禁止されているが皆上手くやっているらしい。

私はどうでしょうね?
あえて何も書きませんが
彼女のことをお母さんと呼ばせてもらっています。

親でも悩むんだなとか。多くの気づきをくれました。

0時に解散し保護室へ。

即、睡眠薬を貰い横になるもまったく眠れず。

ナースコールをして
スピーカーに向かって
「退院するのが不安です。大丈夫って言って下さい。」と泣きながら。
すぐに看護師さんが来てくれた。

私「明日の退院が不安です。眠れません。今どうしようもないのに考えてしまいます。皆さん退院する時はこんなもんですか?」

看護師さん「そうやね、出れて喜ぶ人もいるけど不安になる人も多いよ。実際の生活ができるのか不安になる人とか。」

私「じゃあよくある事なんですね。わかりました。眠れないのでお薬を追加で頂けますか?」

看護師さん「良いですよ。ちょっと待っててくださいね」

お薬追加。やっと眠る。
因みに上の会話は全部号泣しています。そして、少しは薬が効いていたみたいでボンヤリとしか覚えてないです。ナースコールを押す為にベッドから立った瞬間ふわっとした感覚がありました。
看護師さんには感謝しかないです。


入院生活4日目(木曜)退院日


翌朝起きたのは08:00、朝ごはんの時間だった。
まだ体に薬が残っているのかして頭がふわふわしている。だから睡眠薬は自宅の時は使わない。
寝れなければ寝れないでそのまま仕事に行けば、その日の晩は少しは寝れる。

昨晩Yさんとご飯を一緒に食べる約束をした。
ホールに行くとすでに彼女は着席していたので、お隣に座る。
ホールに座ってご飯を食べるのは今日が初めてだ。いつもホール横の会議室で1人食べていた。

ご飯の量を減らしてもらっていたが、それでも140gある。
昨日知ったけど献立表がホールに貼ってあり、朝ごはんはパンと書かれていた。
何故か私はご飯だった。お手伝いさんに聞くとパンが良いなら変えれるよと言われたが、もうそのままで良いかと思って量だけ減らしてもらっていた。
パンならそこまでおかしな献立では無かったと思う。毎朝必ず牛乳とバナナ(青々としてる)だったし。
このバナナも固いのは患者の間では有名らしい。何故かいつも青っぽいバナナを出すらしい。
謎だった。私に当てたものがたまたま青っぽいバナナだと思ってた。

固いバナナを食べながら、Yさんに昨日は眠れなかったと話す。何も言わずに聞いてくれた。

09:30
オリエンテーションの許可が下りて、Yさんと共に別室へ移動。オリエンテーション専用の部屋があり、楽器やパソコン、運動機器などがあった。
何をするか迷ったが、手芸にした。
今日退院だからすぐに作れるビーズにした。
あっさり完成し、2個制作した。
小学生のころビーズにハマっていた時期があった。作り始めると作り方を思い出した。
ネイルが長いのでビーズが中々掴めず苦労していると作業療法士さんが掬いやすいように小皿を用意してくれた。
完成後、ゴム紐を切るときにはハサミがいる。その時は作業療法士さんが切ってくれた。
あぁここは精神病院で、ハサミは危険物なんだと再認識。
完成品は持ち帰る様言われたのでちょいダサブレスレットは持ち帰りになる。

11:30ころに終了し、病棟へ帰る。
12:00昼食。Yさんと共に食べる。完食。不安はあるものの泣かずに食べた。Yさんのおかげ。
昼食後、ホールで雑談をしているとケースワーカーさんが声をかけてきてくれた。
保護室へ入り、今後の生活面や通院での困り事を相談した。
通院に関しては既に予約済みであること、自立支援制度の申請に関しての事、役所の精神保健福祉士さんと既に繋がりがある事などを話した。
役所の精神保健福祉士さんに電話で現在の私の報告をしてくれるらしい。
後は職場。カミングアウトすべきか。どうか。
結果、正直に話すことにした。病名はうつということにして。もしそれでクビになればもう仕方ないなと。でも、職場が理由で病んだわけでもないし特に配慮してほしいことも無いから言わなくても良かったけど。
むしろめっちゃ休んでごめんなって気分。

14:00午後のオリエンテーションはホールで行われた。
午前とは内容が違い、好きな曲をリクエストして流したり、塗り絵、折り紙、間違い探し、スクラッチアートなど。
以前から興味があったスクラッチアートをさせてもらう事にした。
ダイソーで見かけるたびにどんなやろ?とは思うけどやる迄に至らなかったから試しにやってみる事ができたのは良かった。
曲のリクエストは1人2曲までで私は

ヒルクライム 大丈夫
奥田民生  風は西から
をかけて貰った。
まだ時間が余った様なので
ブルーハーツ 1001のバイオリンもかけて貰った。
途中、若い作業療法士さんと話をした。

私「作業療法士さんってどんな仕事してるのか知らなかったです。聞いたことあるけどピンと来ないというか。」

療法士さん「まぁそうですよねー。基本遊んでるっす笑」

私「資格とか大変だったんじゃないですか?というかどうやってもなるものなんですか?」

療法士さん「大学4年か専門学校3年行って、年に一度の国家試験って感じっす!」

私「すげぇ。勉強キツかったでしょ」

療法士さん「まぁまぁ笑」

私「話変わるけど、曲のリクエストってメンタルに影響するから選曲難しいですよ笑 例えばコッコとか流したらマズイ気がする笑」

療法士さん「そこは気にしたら負けっすよ。笑  それよりも自分に響きすぎることを気にした方がいい!」

私「確かに!」

実際、ヒルクライム流して貰ってる時はウルウルしていました。図星です。さすがプロ。

スクラッチアート、案外集中して出来ていたみたいで終了時刻の16:00ギリギリに完成しました。

これも持ち帰りでした。
楽しかった。ますます帰りたくなくなった。
このまま穏やかに時が過ごせたら。
というか2、3か月は入っておきたかった。

オリエンテーション後、Yさんと共に売店へ。
私は頭に湿疹が出来て痛いのでシャンプーとコンディショナーとヘアブラシ、洗顔料を買って病棟のトイレにある大きな流しで洗う事にした。看護師さんにも許可を得た。
それに金曜日からは普通に働く訳で。きっと今日の夜に帰宅してもお風呂に入る気力が無いだろうと思って。
しっかりと丁寧に洗ってコンディショナー、洗顔を済ませる。
髪を洗ってる時、
Yさんが「髪の毛長いなぁ。そら大変やわ」と笑っていた。確かにそう。
大体は初対面で髪の長さとネイルの長さを突っ込まれるから大きな特徴になっている。
バスタオルを頭に巻いて詰所でオイルを馴染ませて乾かす。ブラッシングもした。その日、ヘアゴムは返却となったから束ねる事ができ、サッパリした。
流しの下がビチャビチャになってお手伝いさんに平謝りして拭いてもらう。
本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。

そして詰所にシャンプーとコンディショナーと洗顔料とヘアブラシを持って行き、寄付しました。
私が初めてお風呂に入って借りたものも寄付、ヘアオイルも寄付で置いていた物だったから。
初めYさんに渡そうかと思っていたけど、物の貸し借りや譲渡は揉めると聞いていたので、Yさんが手持ちなくて困ったらこれを使ってね、使わせてあげてねと一言添えて。
きっとどこかの誰かが何も持たず入院し、絶望してる時にお風呂に入って気持ちよくなって欲しかったんです。
看護師さんが1度しか使ってないんじゃ無いの?いいの?と言ってくれました。でも、私は寄付したかった。

誰かへ。サッパリするよ。シャンプーしただけなのに生きてる事を実感するよ。
私も今お家では入らないし入れないけどね。

18:00夕食
Yさんと共に食べる。完食。
この辺りから心がソワソワし出す。
夕食後、ホールでYさんと過ごして雑談をするも心ここに在らず。
代わりに旦那と一緒に帰ってほしいという。

19:00頃
H先生がホールに来てくれて会話する。

私「帰るのが怖いです。不安で仕方ないです」

H先生「じゃあ延期する?早くご主人に連絡しないと来ちゃうよ?」

私「いつか帰らないといけないし、お金もないし頭ではわかっているんです。ただ、不安なんです。」


H先生「どっちを選択してもそれぞれ良いところと良くないところがあるよ。でもね、やる前の不安って実際やった時の不安に比べて100倍強いのよ。だからやったら案外こんなもんかって思うのよ。」

名言です。本当にそうだと思う。ジェットコースターは乗る前の方が不安でドキドキするもんね。
いざ乗ってしまうとあー怖かった笑で済むもんね。

私「念の為、今は飲まないけど帰り際不安になったら飲む頓服をお守りに一つ貰えませんか?」

H先生「わかった。いいよー」

私は液体のにがーいお薬をお守りに残りの時間を過ごす事にした。

H先生「あとね、紹介状を3通書いておいたから予約している病院に渡してね」

何から何まで優しい先生だ。自宅からは電車を乗り継いで行かないと行けない距離だけどかかりつけにしたい。

横で聞いていたYさんも、さっきのやる前の不安は100倍ってのは勉強になったと言っていた。

Yさんと2日だけどずっと一緒にいて親切にして貰った。私が退院する事で、彼女が話し相手が居らず寂しい思いをするんじゃないかと心配した。
彼女ももうすぐ退院するつもりらしい。
だから、約束した。退院したら一緒にタバコ吸おうって。で、ちょいダサブレスレットの一つを手首につけてあげた。というか正しくは押し付けたになるのかな。

ロビーに足音が聞こえるたびにビクビクして振り返るを繰り返す。
そんな状態の私の横に何も言わずに座っていてくれた。

21:00過ぎ
とうとうやってきた。看護師さんから声がかかる。退院だ。
廊下を通るとエレベーターホールに立つ旦那の姿が見えた。
膝から崩れ落ちた。看護師さんが支えてくれ、Yさんが背中をさすってくれる。
Yさん「いつでも電話してきていいから、話きいたるから」
旦那の姿を見たくなかったので目を背けて保護室へ。最初に着ていた服に着替える。院内着と布団を畳む。手が震えて力が入らない。
もう限界だったので、お守りを飲んだ。
そこからあまり記憶がない。

頓服のお守りを3袋だけ出して貰っていた。
過去に頓服薬に依存して辞める時に大変な事になったからあまり飲みたくない。
その時の薬に比べて苦い液体の薬は依存性はマシらしい。

エレベーターに乗る時、鍵の掛かったガラスの向こうでYさんが手を振ってくれた。私は泣き顔だったけど手を振った。

受付で支払いをする。
39,200円だった。思ってたより少し安かったので良かった。

ロビーにはH先生もいた。
私が支払いをしている時、先生が旦那に何か話している。
東京駅で迷子になってる幼稚園児みたいなもんだから…的な事が聞こえた。病気の説明だろう。

支払いを終えて病院を出る。
H先生にお世話になりましたと告げ、
行ってきますと言った。
終始ニコニコして送り出してくれた。

旦那の車に乗り込む。
いつも少ししか開かない窓から眺めた景色の中にいる。ずっと病院の建物を見ていた。恋しかった。

あとがき

とても長い文章を読んで下さってありがとうございました。
ほんとどうしてもっと早く入院しなかったのかと。まぁお金なんですけどね。

でも逃げる場所があって良かったです。

内容やイニシャル、時間はかなりボカしてるのですが入院生活を少しでも想像してもらえればと思います。

閉鎖しているから牢屋みたいな場所だと想像する方も多いのではないでしょうか?
もちろん私が体験した事は全ての病院に当てはまる訳ではありません。病状にもよると思います。
しかし、私は見たんです。認知症で会話が出来るのかどうかわからない方でも優しく声を掛けてニコニコと接し、髪型まで整えて、興奮状態の患者さんに対しても冷静な声かけ、精神病だとバカにする事なく1人の人間だと尊重してくれた事。
医療従事者の方々は精一杯のケアをして下さいます。
もうこれ以上、辛い思いをしない様に。

そして最後になりますが医療従事者の方々。
激務の中、常に細やかに気を配って下さった事、忘れません。
本当にありがとうございました。






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