小説『生物失格』 4章、学校人形惨劇。(Episode 5)
Episode 5:死体遊戯、承。
全身が血に染まった教師――舎人遣使先生は、自分を見かけるなり顔を向けた。
途端、ナイフを両手に、そのまま突進攻撃。その目に光は宿っていない。傍目からも死んでいることは明らかだった。
……どうする、と逡巡する暇もない。
闘争か逃走か。すぐに決めねばならない。
創作世界の主人公であれば、ここで戦うことを選択するのだろうが、残念ながら自分はしがない一介の中学生――そう言うには些か異常が過ぎるが。兎も角、カナの為ならこの身も捨てる覚悟だが、今は当の彼女から捨てることすら禁じられている――故に我が身は大事にしたい。
それに、既に手詰まりであることも分かっていた。対抗できるだけの体術も、対抗できる様な得物も持ち合わせていない。自分が持つのは精々『死城』の呪いくらいだが、それも無意味だろう。そもそも死人に痛覚返しの呪いは通用しないし、仮に生きていたとしても糸弦操の手によって操られているだけならば、痛覚返しをしても動かされ続けるだろう――マリオネットの様に。
つまり、自分は今打つ手無しであり、滅多刺しには打ってつけの標的でしかない。
今選ぶは、逃走だ。
「……くそ」
舎人先生に背を向けて駆け出す。ガッ、ガッ、ガッ、と物凄いスピードで追いかけられているのを感じる。
……思わず、鳥肌が立つ。
幽霊擬きとも、復讐者とも、そして殺人ピエロとも――今まで出会ってきた化け物共とは別種の、純然たる恐怖。
隠さずに言えば、自分は恐怖を感じていた。
実に、人間らしく!
「くそっ!」
自分自身に悪態をつく。だが、そんなことをしても恐怖は消えないことなどわかっている。
この恐怖に打ち勝つには、どちらかを成し得ねばならない――つまり、舎人遣使を無力化するか、或いは糸弦操を倒すか。
そう。成し得ねばならない――これは義務だ。カナを生涯守ることを決めた自分の、果たすべき義務!
「雁字搦めにも程があるぜ、ったく!」
どうにか2階へ通ずる階段へ辿り着き、脇目も振らずに駆け上がる。1段飛ばしで2階に到達、また廊下を駆け始める。後ろを一瞥する――まだ追いかけてきていない。
壁には、古めかしい『廊下を走るな!』の張り紙が見える。残念ながらそれは学校でのルールであり、狩場のルールではないので無視する。
「しっかし……」
一体どうすれば。
閑散とした廊下を走りながら、頭を回す。いかにして最短最速で糸弦操を倒すか。そして道中に出会すゾンビ達をどう攻略するか。なるべく早くしなければ、置いて来ざるを得なかったカナのことが心配だ。
この死体教師共が、外を彷徨いていないとも限らない。もしそうだとすれば、カナはゾンビの群れに殺されてしまう。
無論、今すぐに戻れるとも思っていない。一度狩場に入った獲物を逃してくれるとは思えないからだ。
兎も角もまずは、武器が欲しい。対抗手段が1つでも――
「……?」
……漸く、ここで気付く。
後ろから追いかけてきた、舎人先生の足音が消えている。
前方の安全確認の後に振り返るが、やはり舎人先生の姿はない。
「……」
――ルール。
成程、ルールか。
『廊下を走るな』の張り紙が初めて役に立ったかもしれない。
恐らくこの狩りにも、ルールという名の制限があるのだろう。だから舎人は追いかけて来られなかったと見るのが自然だ。
だとすれば、その原因は主に2つ――自分という標的を見失ったか、或いは2階に上がって来られない何らかの事情があるか。
いずれにせよ、ルールがあるのなら勝ち筋が見える。糸弦操をぶっ倒し、カナの下へと帰る道筋が見通せる。
だが道が見えるだけでは仕方ない。手ぶらでは手詰まりのままだ。何か、武器さえあれば――
「……」
……そうだ。
そう言えば、そうだった。
実に運が良い。
立ち止まったすぐ隣に、生徒指導室がある。
「怪我の功名、ってやつか」
怪我はしてないし、自分は擦り傷にさえ気付かないが、功名であることには違いないし、微かな光明であることにも違いない。
扉を開ける。昨日の記憶が即座に思い出される。中学生にして出席日数的な問題で内申に響く、と舎人先生に諭された記憶。
そしてその隣に、竹刀があった記憶を思い起こす。そして部屋の中には記憶通り、竹刀が立て掛けてあった。
無論、竹刀程度では心許ないし、普通のゾンビ映画だったらこんなヤツ、即オダブツだろう。が、最早こんな状況では無いよりマシだった。
竹刀を掴み、両手で握る。2度、3度と振り上げ、振り下ろす。
「……よし」
正直何も良くはない。しかし、もうこれで行くしかない。
恐怖を押し込む。恐怖を殺せる程、残念ながら強くはなかった。が、それで良い。
腹を括れ、死城影汰。
カナとの平穏な日常を取り戻すべく、ここにいる糸弦操だけは再起不能にせねばならない。
2度と、変な気など起こせぬように。
――ガラリと扉を開け、生徒指導室から退出。
左を向く。別の先生が歩いていた。その先生が誰なのかは分からない――顔を知らないどころか、そもそも顔が引き潰れてて判別し得ない。顔無しのゾンビは、血の滴るナイフを片手に、よた、よたと徘徊している。
「……」
どうも、その様子を見るに。
今アイツは、自分に気付いている様子がない。
だとすれば、だ。このゾンビ達、一体何に反応している?
扉を開ける時にも音を立てたし、それであれば真っ先に自分の方へ向かって来そうだが、そんな様子も無い。視覚など尚更あり得ない――目玉もろとも顔が潰れてしまって、光を感知することもできない筈。
他の五感――嗅覚、味覚、触覚は尚のことあり得なさそうだ。特に嗅覚と味覚は、視覚と同じ理由で感知などできやしないだろう。
一体何がトリガーか。そのルールを理解しない限り、ゾンビに見つかって磨り潰されるのみ。
だが何にせよ、今がチャンスということには変わりない。竹刀を両手で持ち、握りしめ、一歩踏み出す。
その瞬間。
びくり、と先生の体が震え、顔がこちらを向く!
「……っ!?」
そのまま目も鼻も口もない引き潰れた顔が、ナイフを両手に握り、切先向けて突進する。迷いなく、自分の方へ一直線に!
見つかった以上、やるしかない。ルールが如何などと言ってられない。竹刀を握――。
「……」
――いや、待て。
さっきの舎人先生――正確にはそのゾンビ体――もそうだったが、何で対面する自分相手に、両手でナイフを持って真っ直ぐ突進する?
確かに、自分を刺殺するなら全体重を乗せて突撃するのが良い。だけど、それは背後から攻撃する場合の有効打だ。前から思い切り、今からそのまま突撃しますよという風に来られても、易々と避けられるだけ。
何を考えてる。
或いは、何も考えていないのかもしれない。ゾンビだから尚更だ。
だからこそ、試す価値だけはある。
自分は、体を人1人分だけ、横に避けた。
ナイフを手に突進する先生は、その勢いのまま顔面を壁に突っ込む。
ぐちゃ、という音が顔から鳴った。
顔が潰れているので名も分からぬ元教師は、壁にへばり付けた顔を引っ剥がそうと、両手で壁をつく。成程、顔が潰れているのはこういう理由か。
いずれにせよチャンスだ。
自分は手に持つ竹刀を両手で持ち。
バットでも振る要領で、頭に叩き込む!
ぐちゃ、という音が頭から鳴る。
そして先生は、びくりと痙攣した。続いてナイフを手から落とし、ぐちゃぐちゃと顔を壁に擦り付けながら膝を落とす。それから、2度と動かなくなった。
「……殺した、か」
既に死んだ者を動かなくさせることは、カナとの約束で禁じられた殺人にはいるのだろうか。死体損壊罪くらいには問われそうだが、今そんな議論をしている場合ではない。
生命の危機を前に、どんな弁論も役には立たない。生きれば勝ち、死ねば負けるのだ。
兎も角も、ゾンビの行動が単純で助かった。
しかし、それはそれで妙だ。
『「死城」を相手にするのなら、念には念を入れて懇切丁寧に用意周到にしなくてはならない』、という言葉が罷り通っているにも関わらず、しかも『死城』を相手にしている自覚があるにも関わらず、こんな手抜きは初めてだった。
拍子抜け、と言ってもいい。
とは言え現実はこんなにも平凡なもの。刺激は、創作世界の中だけで充分すぎる。
「にしても……」
自分は、倒れ込む先生にしゃがみ込む。敵が全く動けなくなった今、ルール把握のチャンスだった。一体コイツらは何でもって動いているのか。
すぐに、頭のところに糸があるのに気付く。手に取ってみると、よく目を凝らさないと見えない程、細い糸だった。何かの糸屑が髪の毛にくっついたのか、とも思うが、今回は敵が敵だ――糸で人体を切断し、更にはライオンを意のままに操れさえする曲弦師、糸弦操なのだ。
この糸にも何かの意味があるに違いない――
「……っ」
……おい、おい。
冗談キツいぜ――流石に悪趣味が過ぎる。
手に取った糸の片方は、千切れてしまっていて床に投げ出されていたが、もう一方は、先生の頭の中に入り込んでいた。
より正確には脳の中、だろう。
この場で解剖する気は無いので推測でしかないが、間違いない筈だ。
そういうことをしたヤツが昔、死城家にも居た。どいつだったかは忘れたし思い出したくも無いが、実験と称し脳味噌を弄って反応を愉しんでいた奴が。
……嫌なことを思い出した。
閑話休題だ。
糸弦操は、脳に直接干渉して先生達の死骸を操っていた、ということになる。
干渉しているのは恐らく2つ。1つは行動。脳へ直接干渉することで、手脚を動かしているのだろう。そしてもう1つは刺激伝達。何らかの手段で糸伝いに脳に直接刺激が到達すると、攻撃本能を刺激され、さっきみたいにナイフを持って突進してくるという仕組みだろう。
舎人先生の死体が2階に上がって来れなかったのは、単純に、糸の長さの問題によるものだろう。
「で、恐らく刺激の伝達は――」
この建物内に張り巡らされている糸によって、行われているのではないか。
周囲を見れば、やはり――壁と壁、天井と床。ありとあらゆる所に糸が張られているのが見える。ここに何かが引っ掛かって振動を起こすと、糸伝いに脳に伝達、その振動の発信源に向かってナイフで突進する――という寸法だ。
ナイフで突進する、という行動に留まるのは、恐らくそれが操作の限界だからではないかと推察する――脳のどこを作用させれば動かせるのかが分からないのだ。
それなら腕とか脚とかを直接動かした方が早いのでは、と思ってしまうが、そちらの方がもしかしたら複雑なのかもしれない。
兎も角。
まさに操り人形。
悪趣味ここに極まれりだった。
だからこそ、お前には『死城家』に匹敵する才能がある。
そしてだからこそ、お前には『死城家』と同じく――殺される資格がある。
…………。
落ち着け。
落ち着くんだ、らしくないぞ死城影汰。
ぱしり、と頬を叩く。狂気を正気に帰す。
あくまでも、糸弦操を『倒す』んだ。
決して、殺すな。
せめて、半殺しだ。
それだけは、違えるな。
「……進もう」
先生の落としたナイフを拾う。
糸に刃を当てる。流石に細過ぎるのか、それだけで簡単に糸は切断できた。
よし。
ナイフを振り回す。校内に張り巡らされた糸を次々切断しながら、先へと進む。
次↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?